念ずれば花開く(坂村真民)

全国に737基の石碑(坂村真民が直接書いたものから作り入魂したもので真言碑と言われる)が建てられている【念ずれば花ひらく】 という言葉も坂村真民のものだ。味わい深い言葉だ。

念ずれば花ひらく
苦しいとき母がいつも口にしていた
このことばをわたしもいつのころからかとなえるようになった
そうしてそのたびわたしの花がふしぎと
ひとつひとつひらいていった

札幌農学校の初代教頭クラーク博士の有名な言葉も合わせて紹介しておきたい。有名な「少年よ!大志を抱け!」の言葉には続きがある。

Boys be ambitious ! Be ambitious not for money or selfish aggrandizement , not for that evanescent thing which men call fame . Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be .
少年よ、大志を抱け。
しかし、金を求める大志であってはならない。
利己心を求める大志であってはならない。
名声という、つかの間のものを求める大志であってはならない。
人間としてあるべき すべてのものを 求める大志を抱きたまえ。

「[新訳]信念の魔術~人生を思いどおりに生きる思考の原則」(C.M.ブリストル著、大原武夫訳、ダイヤモンド社、2013.9刊)には、「信念の力」で人生は思い通りになる!とある。多くの人が求めているのに少数の人の手にしかつかめない幸せというものは、私たちの自らの心の内(潜在意識)にある。その潜在意識を活用する方法は、心にイメージを描くことだと言う。明確な信念が潜在意識を呼び起こし、奇跡を起こす。この本は、今回新訳で再出版となったが、これまで人々の人生を変え続けた自己啓発の名著と言われているそうだ。

“”念ずれば花開く“この言葉は、簡潔な言葉で人びとの心を掴む故に、各地に石碑が立ち、以降も増え続けているのだろう。

二度とない人生だから(坂村真民)

以前ブログで「人生二度なし(森信三)(http://jasipa.jp/blog-entry/7128)」を紹介した。「そもそもこの世の中のことというものは、大低のことは多少の例外があるものですが、この『人生二度なし』という真理のみは、古来只一つの例外すらないのです。しかしながら、この明白な事実に対して、諸君たちは、果たしてどの程度に感じているでしょうか。 すなわち自分のこの命が、今後五十年くらいたてば、永久に消え去って、再び取り返し得ないという事実に対して、諸君たちは、果たしてどれほどの認識と覚悟とを持っていると言えますか。諸君たちが、この『人生二度なし』という言葉に対して深く驚かないのは、要するに、無意識のうちに自分だけはその例外としているからではないでしょうか。 要するにこのことは、諸君たちが自分の生命に対して、真に深く思いを致していない何よりの証拠だと言えましょう。 すなわち諸君らが二度とない人生をこの人の世にうけながら、それに対して、深い愛惜尊重の念を持たない点に起因すると思うわけです。」

同じように坂村真民の下記詩【二度とない人生だから】にも感銘を受けた。

二度とない人生だから/一輪の花にも/無限の愛を/そそいでゆこう/一羽の鳥の声にも/無心の耳を/かたむけてゆこう
二度とない人生だから/一匹のこおろぎでも/ふみころさないように/こころしてゆこう/どんなにか/よろこぶことだろう
二度とない人生だから/一ぺんでも多く/便りをしよう/返事は必ず/書くことにしよう
二度とない人生だから/まず一番身近な者たちに/できるだけのことをしよう/貧しいけれど/こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから/つゆくさのつゆにも/めぐりあいのふしぎを思い/足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから/のぼる日 しずむ日/まるい月 かけてゆく月/四季それぞれの/星々の光にふれて/わがこころを/あらいきよめてゆこう
二度とない人生だから/戦争のない世の/実現に努力し/そういう詩を/一遍でも多く/作ってゆこう/わたしが死んだら/あとをついでくれる/若い人たちのために/この大願を/書きつづけてゆこう

相田みつをが結婚式の最後に新郎新婦への餞としてよく読んだのが、上記「二度とない人生だから」。その当時はまだ坂村真民も知られていない時だったが、「四国にこういう素晴らしい詩人がいて、自分は尊敬申し上げている。その方の詩の中から若いお二人に贈りたい」と言って朗々と暗唱したとの事(相田みつを氏長男の相田一人氏談―「致知2014.4」より)。

「折角、生を受けた人生だから、楽しまなきゃ」との精神で、一日一日を大事に生きていく。大きな目標を持って、挑戦するのもいい。小さな目標で、些細なことにも感動出来る日々を過ごすのもいい。これまで余裕のない日々を送っていた時は気付かなかったが、道端にも感動材料は一杯ある。沈丁花の香りに誘われて外に出て見れば、春を迎えて歩く人々の顔にも明るさが戻ってきている。自然と自分の心もウキウキしてくる。ともかく、「二度とない人生」を思いながら、今を精一杯生きることを常に意識したい。

我が家のベランダ(早春編)

昨年の今日は既に桜が開花していたそうです。今年は靖国神社の標本木の桜はまだつぼみのようで開花までにはあと10日少しかかりそうだとの事です。しかし、今日くらいからやっと春らしい気温になりますね。横の緑道公園でも、早咲きの桜が3分咲きとなっています。

我が家のベランダ、4か月ぶりのブログですが、気温の上昇に伴い、ビオラなどいろんな花が元気を出してきたようです。最初は、花の全体像です。最前列に’リナリア‘がピンク、黄色、白の花をつけ、その後ろに’ネメシア‘がひっそりと紫、白の花を咲かせています。左側の4つの鉢には、ますます花の数が増えてきたビオラの花が。次の写真では、少し奥に歩を進めて、先ほどのビオラの鉢の向こうの台上にレースラベンダーやメネシアの寄せ植えの二つの鉢があり、ミニシクラメンの花が色を添えています。3枚目以降は、個別に、リナリア、ミニシクラメン、メネシア、ビオラ、そしてレースラベンダーとネメシアの寄せ植えの姿を写しています。

別のベランダには、‘ひなげし’が咲きほこっています。バラは年中咲きますね。そしていつも5月になったら一面の花で埋め尽くしてくれるペラルゴニウムの一団が、今はひっそりベランダの隅で登場を待っています。5月が待ち遠しいです。

今年の冬を越した野菜は、春菊と絹さやえんどう、スナップえんどうです。スナップえんどうが昨年より早く実をつけ、既に1回採取し、夕食を飾ってくれました。春菊もこの寒さで昨年に比して成長は今ひとつでしたが、今冬も鍋物に何度か色を添えてくれました。

2月14~15日の東京大雪の日のベランダの一コマです。