多数の著書も著し、メディアにも引っ張りだこの㈱新規開拓の朝倉千恵子社長。小学校教員を経て35歳(平成9年)で「地獄の特訓」で有名な㈱社員教育研修所に入社。初めての営業経験ながら3年でトップセールスに。平成13年に独立し、平成16年に現会社を起業。
雑誌「PHP Business Review松下政経塾」に「朝倉千恵子の上司学―仕事ができて愛される<人>の育て方」が連載されている。名だたる企業の研修を担当されている朝倉氏の話にはなるほどと思わせてくれるものが多い。その中で、9回目の「ガマンならない男」を読んで、「なんとガマン強い女性社長!」と驚いた。
「地獄の特訓」の会社で採用面接を受けた際の面接官でもあり、採用後の営業担当の上司でもあった我満一成氏(記事に実名で掲載)。毎回感情を逆なでされるようなタイプの上司で、「なんやこのおっさん」と腹が立つことばかりで、いやでいやでたまらなかったそうだ。
しかし、独立した際、営業兼講師として外に狩りにでる自分を支え、会社を守ってくれる女房役として来てもらうことにした(我満氏も事情があって標記会社を辞めていた)。多少、トップセールスにまで育ててもらい、独立も出来たことで感謝の気持ちもあったようだ。しかし、感謝の気持ちも束の間、すぐに衝突が始まり、そのストレスで円形脱毛症になったことも一度ならずあったとか。しかし、時を経るにつれ、長年部門長を経験し、部下育成の面でも「勝てない」「うらやましい」と思うこともしばしばあり、敢えて人に嫌われることをする裏には実は全部狙いがあることがジワジワと分かってきたと言う。「未熟であるが故に自分は我満氏の真意が分からなかった」と自戒する。
今でも、ムカツク事はあると言うが、「私が最もきらいで、疎ましくて、それでいて最も尊敬する最高のパートナー。今はなくてはならない存在だ」と言い切る。そして「支えられて今がある。誰と出会うかによって人生は明らかに変わります。偶然の出逢いが縁になり、最高のきずなに深まった幸運に感謝しています」と語る。
社長と言うのはほんとにつらい責任を負うもの。普通だったら、頭に禿を作る位ストレスをためる相手を、社長の権限で叩き切るだろう(私だったら我慢できない?)。しかし、自分にない好いところを素直に評価し、会社を運営するためには絶対必要な人材との判断で、副社長として二人三脚の体制を作り、成功させた朝倉氏の手腕には感心させられる。感情に左右されない、素直な判断力と決断力が、ガマンを強いたのだろう。多くの部下を抱える社長のつらさでもあり、ガマン強さだ。