支えてくれた人がいたから今がある!(山中教授ノーベル賞)

致知2012.11号に「はやぶさ」の川口淳一郎氏と今まさに時の人となられた山中伸哉京大教授との対談記事がある。テーマは「人類の未来の扉をひらく~はやぶさXIPS細胞 世紀の偉業を成し得たもの~」である。今回の山中教授のノーベル賞受賞は、「人類の為」というのが非常に分かりやすく、開発から6年目という異例の速さでの表彰も分かる気がします。国、大学、研究室、家族に対する感謝の気持ちが前面に出ていて、山中教授の「人徳」を感じさせられました。ほんとにおめでとうございます。

山中氏の「(はやぶさが)あれだけの困難を乗り越えてちゃんと還ってきた、というのは、科学の世界でいつも壁にぶち当たっては折れそうになっている僕たちにとっては、もう本当に・・・、あんなに勇気づけられたことはありませんでした。」から対談は始まった。「誰にも譲れない信念」があるからこそ、今回の偉業が達成できたというのは当然だが、山中教授が今回のノーベル賞受賞でも、多くの人への感謝の気持ちを心から言っておられるように、お二人は、研究プロジェクトメンバーの中に「心からやり遂げよう」との気持ちが埋め込まれ、心から支えてくれる人がいなければ何事も達成できないと言われている。お二人の研究は、5年、10年と長期にわっており、メンバーの心意気を持続するのは非常に難しいが、これがないと思い通りの成果は出ない。山中教授は、「スポーツ選手でも、選手本人だけが金メダルを取るのだと言っても、一人では難しい。自分の事はさておいても、“こいつには金メダルを取らすんだ”という支える人たちの思いが不可欠」と言われる。確かに、フィギュアスケートの安藤美姫が、コーチ不在の為今季のグランプリシリーズには参加できないとのニュースが流れた。さらに山中教授は、アメリカで恩師から教わったという「VW」という言葉が成功の秘訣と言う。「V」はVision,「W」はWork Hard。長期的な展望としっかりした目標を持ち、懸命に努力すればその一念は必ず叶うということ。強いビジョンを持ち、「心」を一つにした「チーム山中」「チーム川口」だからこそ、この偉業があった。山中教授の「螺旋型の人生」というのも面白い表現だと思った。いろんな失敗を糧に、時々変化したテーマと共に視野を拡げ、IPS細胞に行きついた人生を言っておられる。同じテーマを継続的に行う「直線型人生」が必ずしも成功するとは限らない。

「チーム〇〇」の考え方は企業も同じだと思う。企業理念、経営方針の目標を社員全員が共有し、その達成に向けて皆で頑張る姿を追い求めるべきと考える。システムプロジェクトもしかりだ。プロジェクトメンバーはもちろん、経営者も「お客様のため」の視点を共有化しながら進めなければならない。しかし、いまだに失敗プロジェクトが後を絶たないIT業界は、「心」が一つになっていない現実を物語っているのではなかろうか。

新日鉄先輩が経産省より情報化促進貢献賞受賞!

経済産業省では、経済社会の情報化の促進に貢献したと認められる個人・企業等(企業、団体、教育機関等)を表彰する「情報化促進貢献個人等表彰」を行っている。毎年、情報化推進月間の始まる10月1日に経済産業大臣から表彰される。

今年、個人部門で3人の方が表彰を受けたが、その中に新日鉄時代からお世話になっている方が選ばれた。細川泰秀氏(一般社団法人日本情報システム・ユーザー協会顧問)だ。他には、浜口友一氏(一般社団法人JISA会長、NTTデータ相談役)、和田成史氏(一般社団法人CSAJ会長、オービックビジネスコンサルタント代表取締役社長)が表彰された。

細川氏の表彰理由は下記となっている。

情報システムのユーザーとベンダー両方を経験した知見を生かし、永年にわたり一般社団法人日本情報システム・ユーザー協会の役員として様々な調査研究事業を発掘・実践し、産業界のIT経営の普及に貢献した。また、調査研究等を通じて我が国情報産業の課題を整理追求し、その知見を産官学の多方面に提供することで我が国の情報化の促進に貢献した。

新日鉄時代もシステムに対して情熱の塊だったが、新日鉄ソリューションズを退職された後JUASの専務理事に就任されてから、IT業界、ユーザー企業を発展させるとの使命感に燃えた八面六臂のご活躍の様子は知る人ぞ知るである。JUASに移られたのが平成13年だから10年近くなるが、その間、ユーザーとシステムベンダーの橋渡し役を果たし、ユーザーのためのシステム開発方法論や、品質標準などの作成、さらに教育研修の充実、本の出版、メディア(日経BP雑誌など)への記事投稿など、JUASの存在価値を大幅に高めると共に日本の情報化促進、IT業界の活性化にも大きく寄与された。今はJUAS顧問となられ、70歳半ばながら、いまなお意気盛んで、「日本のIT業界を立ち直らせ、ユーザーを元気にする」使命感を持って、精力的に活動されている。

細川さんとは、35年前ブラジルのウジミナスへのシステム技術協力でご一緒させていただき(私は入社6~7年目の若造)、薫陶を受けて以来、お世話になっている。とても足元にも及ばない方であるが、このような方が身近にいてくださることは、私の人生にとっては大きなプラスになっている。「頑張らねば」とのエネルギーを常に頂いている。

今日、受賞お祝会が、昔一緒に仕事をされた方々(私にとっては大先輩)が参加されて開かれる。その席に、細川さんのお口添えで私も呼んで頂いた。細川さんから「もっとやることあるだろ!」と発破をかけられることを恐れながら、心では元気を頂きたいと思っている。

襲撃された湖南省長沙市の「平和堂」

今朝の朝日新聞6面に大きく「襲撃 中国人社員も涙~反日デモ被害の平和堂」という記事が載っている。中国進出18年目の災難であるが、今年の2月の当ブログで、中国進出成功事例(日経記事)として、この平和堂を紹介した(http://jasipa.jp/blog-entry/7295)。安売り競争に巻き込まれるのではなく、付加価値UPで成功した事例の一つとして下記のような記事を書いた。

2月19日日経の「日曜に考える」の記事から。中国で最も安定的な成長軌道に乗った小売チェーンはどこか?イオンでも、セブン&アイでもなく滋賀県彦根市の平和堂だ。1990年代初めに滋賀県と友好関係にあった湖南省から同省長沙市への出店要請があった。社内では猛反対を受けたが当時の会長は「内陸部もいずれ成長する」として決断。しかも、スーパーしか経験がないのに、「日本企業なのでブランド品など品質の高い商品を求めるニーズが高かった」ため、ローレックス、シャネルなどを扱う百貨店形式での出店を決断。既存3店に加え、中国各地から出店要請が来ていると言う。これも将来のマーケットを読んだ高付加価値商売への転換の事例であろう。

第二次世界大戦で日本軍が激しく爆撃をした長沙市であったため、怒鳴り込む客や反日ビラをまかれるなど厳しい環境の中でのスタートだった。しかし、サービスUPで苦境を乗り越え、今では地元で最も売り上げを稼ぐ代表的な店に育ち、他省への進出を検討し始めた矢先の事だった。テナントを含めれば1万人近い雇用を生んでいる。湖南省からの要請で進出し、ここまで成長させ、湖南省の期待にも十二分に応えたという自負があるだけに、平和堂の夏原社長は残念でつらかったことと思う。襲撃から10日後、夏原社長は現地の社員に「長年の努力が否定されたようで本当につらい。ずっと店と一緒に成長してきた社員の皆さんも同じ気持ちと思う。困難にひるまず、再出発しよう。団結して頑張ろう」と呼びかけた。通訳していた中国人副店長も涙で言葉に詰まったと言う。

襲撃犯のほとんどは無職。高級品を扱う平和堂の顧客層とは違う層だ。夏原社長は「政治リスクはあるが、リスクと将来性を判断しながら、商機は探せると思っている。これまで同様、現地社員と一体になって取り組みたい」と話す。1号店、2号店とも強奪、破壊された店を修復し、今月末には開店したいと言う。同じく襲撃を受けた「ジャスコ黄島店」は11月下旬、「泉屋百貨(江蘇省蘇州市)」は今月中に全館復旧見通しとか。両社とも「今後も中国に出店していきたい」という。

隣国中国が、まともなお付き合いが出来る国となって、経済・文化面での交流がより盛んに行え、お互いの国の発展に寄与できることを願いたい。そのためにも、政治に対する不満層の暴挙を防ぐ手立てが中国政府にも求められる。お互いWin-Winの関係を作るためにも。