博多の歴女(白駒妃登美さん)講演会のご案内

今年の2月に、当ブログでも紹介しました、博多の歴女白駒妃登美さんが、東京で講演会を開かれます。「11月度致知読者の集い」ですが、致知会員以外でも申し込めます。

過去の当ブログ:①「歴女が語る日本人の生き方」http://jasipa.jp/blog-entry/7270②幸せの種は歴史にある?!http://jasipa.jp/blog-entry/7303

【日時】2012年11月17日(土)
14時00分~16時
【講師】白駒妃登美氏(ことほぎ代表取締役)
【演題】歴史が教える日本人の生き方
【場所】京王プラザホテル南館4階「錦」
(東京都新宿区西新宿2-2-1)
※会費3000円(上記「販売価格」)は、当日会場受付にてお支払いください。
申し込みは「致知出版社ゴームページ」よりhttp://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=M1211

しらこま・ひとみさんとは――

埼玉県生まれ、福岡県在住。慶應義塾大学経済学部 卒業。大手航空会社に国際線の客室 乗務員として7年半勤務し、退社後、2児の母親となる。現在は「結婚コンサルタント マゼンダ」として福岡で活動中。 独自の視点をもつ歴女ぶりに注目されてから東京・福岡・大阪等で歴史講座を行う。ひすいこたろう氏との共著に『人生に悩んだら「日本史」に聞こう~幸せの種は歴史の中にある』(祥伝社)。

過去のブログ②は上記共著本に関してのブログである。紆余曲折を経ながら(子宮がんも経験)、人の生き方の神髄に行き着き、それがひすいこたろう氏との出会いを生み、今の姿がある。歴史上の人物を通して日本人の特性、生き方を説く白駒さんの東京での講演はめったになく、私にとっては待ちに待った機会である。前日は姫路で「新日鉄広畑システム部門OB会」があり、ゴルフと懇親会があるが、翌日講演会に間に合うように帰るつもりである。

愛知のスーパーにもこんなサービスが!

愛知県豊橋市の「一期家一笑(いちごやいちえ)」という食品スーパーがある。朝日新聞10月8日の4面に「スーパー密着路線」という特集記事があり、その中で紹介されている。記事のリード文には「徹底した地域密着路線で黒字経営を続ける食品スーパー」として紹介され、「消費者の心をつかむのは、客を名前で呼んだり、配達先で電球を変えたりといった‘お金に代えがたいサービス’」で、全国の地域スーパーの希望の星として注目を集めているそうだ。

客と店員の大半は店から500㍍圏内に住むご近所さん。「あら、田中さん、いらっしゃい。この間のナスはどうだった」、このような会話が店員とお客の間で交わされる。10年前に近隣に大手スーパーが進出、立て続けに近隣のスーパー3社が閉店に追い込まれた。「一期家一笑」の杉浦店長は悩んだ末にたどり着いたのが「地域になくてはならないスーパーにあること」だった。近所付き合いを深めるために、年中、子供料理教室や餅つき大会などの行事を開催、店員は7割の来店客の顔と名前を覚えるまでになったと言う。5年前から力を入れているのが高齢者向け宅配。そして配達時のモットーは「ついでの頼まれごとも大切にする」。電球や電池の交換、段ボールの回収などもやる。「将来は冷蔵庫の中身まで把握し、食生活の助言をすること」と言い切る。

生き残りをかけて、大手スーパーは規模拡大路線をとる。しかし地域の中小スーパーは、規模ではなく付加価値を追い求める。「一期家一笑」の他にも、100種類の惣菜で有名な仙台の「主婦の店さいち」や、産直青果が売りの東京多摩地区の「福島屋」も黒字経営を続けている。

今年の2月に当ブログで紹介した町田市の「電化のヤマグチ」も地域密着型で成功した事例だ(http://jasipa.jp/blog-entry/7295)。別のブログで紹介した日産プリンスの営業マンも同じような考え方でトップ営業となった(http://jasipa.jp/blog-entry/7882)。

IT業界も、ますます競争が激しくなること必至である。我々中小ベンダーは、大規模ベンダー以上に、お客様に対する付加価値で差別化していくことが求められる。お客様のニーズの把握、お客様への接し方など、異業種の情報も参考になる。

人は皆、あらゆる縁の中で生かされている!

「致知2012.11」の雑誌の中のこんなタイトルの記事に目が止まった。清水マリさんの随想記事だった。清水マリさん?1963年鉄腕アトムが初めてテレビアニメーション番組として放送が始まった年から2003年まで40年間、鉄腕アトムの声を務められた方と言えばお分かりかも知れない。

高校卒業と同時に俳優を目指して養成所に入り舞台俳優としての道を歩み始めた26歳の時、突然虫プロダクションから突然「鉄腕アトムの声をやってほしい」とのオファーがきたそうだ。まだ駆け出しの舞台俳優の所になぜ?と思いつつプロダクションに行って、手塚先生から直々に指導を受けアトム誕生のシーンを吹き込んだ。しかし、これはテレビ局に売り込むためのパイロット版だった。テレビ局が決まったあと、正式にオーディションが開かれ誰がアトムの声をやるか決めることになったが、最終段階で手塚先生の「アトムの声はマリさんで行く」の一声で決まったとか。

マリさんのお父さんは、地元浦和で劇団を作り、ある夏の夜地域の子供たちのために「ピノキオ」を上演することになった。団員は大人ばかりだったので、肝心のピノキオ役がいない。そこで中学1年生のマリさんに白羽の矢が立ち、ピノキオ役を演じた。その時劇団員だった人が虫プロダクションに勤め、手塚先生の側近になっていた。鉄腕アトムはピノキオがモデルと言われているそうだが、「アトムの声」を選ぶとき、その人が手塚先生にマリさんを推薦したとか。

36歳の時、両親を亡くし、しばらく仕事を減らして、その後復帰した時、思い通りの役につけず、心身ともにボロボロになった。その時、NHKのラジオ番組などで共演していた方から「浦和むかしむかしの会」に誘われ、生きる希望をもらったそうだ。お父さんと一緒に仕事をしていた縁で、マリさんをかわいがってくれていた方だとか。

現在76歳のマリサンは言う。「父が一生懸命働き、蒔いた種が巡り巡って私の所で開花しました。人は何かチャンスや成功を手にしたとき、つい自分の力だと思ってしまいます。しかし、人は一人では生きていけません。あらゆる縁の中で生かさせて頂いている。そのことを忘れず。生涯現役の人生を歩んでいきたいと思います」と。

マリさんは、謙虚にお父さんのお蔭と言われているが、ご本人も、与えられた役割を必至で努力しながら果たされたのだと思う。お父さんの縁を活かしながら、自分自身の力で、その縁を呼び寄せたと言う事だろう。

前稿の「チーム山中」「チーム川口」の話にも通じる話題と思い、紹介したhttp://blog.jolls.jp/jasipa/nsd)。