JASIPA SIビジネス委員会に参加して

昨日の当ブログにも㈱ジョルス住吉社長が報告されていましたが、23日アジルコア社の会議室を借りて、JASIPAのSIビジネス委員会が実施されました。私は、先月コクヨ様の御配慮を頂き開催された7月19日の委員会にも参加させていただいたのですが、前回に引き続き20名強の参加を得て、大盛況でした。委員長のエイチ・オー・エスの中西さんが会の運営負荷が大変で(嬉しい?)悲鳴を上げるほど、活発になってきています。

委員会の内容については、住吉さんのブログにありますので省略しますが、「JASIPA活性化」の視点で感想を述べたいと思います。

今回のプレゼンの最初は、今月JASIPAに加入頂いたサイバーソリューション社でした。星田社長は挨拶で「JASIPAの定期交流会に参加し、非常に温かい雰囲気で皆さんが交流されているのを見て加入した」と言われていました。そして、最後に今回のプレゼンの内容「運用を核としたシステム基盤ソリューション」に関して、JASIPA会員の皆さんへの期待として、

  • エンドユーザーの情報システム部門をサポートする案件への協力(プロマネ、コンサル、旗振り役が得意)
  • SIベンダーに対しては、24時間サポートのデータセンターを保有しており、SaaSやクラウドを推進している方には自前のサーバー運用を24時間サポート体制の我が社に任せて欲しい
  • 同業ベンダーの方には、それぞれの強み(S社では仮想化ソリューション)を組み合わせた連携・アライアンスでお客さまにより魅力的なソリューションを創りたい

などを表明して頂きました。

次のプレゼンをやって頂いたソニック社の吉澤社長は、以前別の会社の社長時代JASIPAのメンバーだったそうです。昨年3月にソニック社を設立され「Androidアプリ向けUIテスト自動化ツール」をご紹介頂きました。非常に有用なツールだと思います。

JASIPAは比較的小さなITベンダーの集合体です。それぞれの強みをうまく結集して、より大きな、お客さまにとって魅力的なソリューションを創りあげる、そのためにJASIPAの家族的で温かい会員同士の交流をより活発化させていき、お互いの意見交換を活発化させていく、このプロセスがJASIPAの最大の強みに出来ればと思います。その意味で、SIビジネス員会は、非常に意義ある委員会だと思います。プレゼン後の懇親会もセットで開催され、より具体的な話し合い・交流も出来る環境にあります。JASIPA会員の皆さん、積極的に参加し、活用して頂ければと思います。

3か月に1回開催の定期交流会(前回は7月27日開催)も60名強の方が集まり、懇親会も盛況です。皆さんのご参加をお待ちしています。各委員会の案内はJASIPAのホームページに掲載されます。

【連絡先】

  • サイバーソリューション株式会社 星田社長 ℡03-5677-3081
  • 株式会社ソニック 吉澤社長 ℡03-6805-1541(代表)

「2駅ルール」って?

先週18日のテレビ東京「カンブリア宮殿」に幻冬舎見城社長とサイバーエージェント藤田晋社長が出演していました。「憂鬱でなければ仕事じゃない」〔講談社〕の本を出版したお二人です(私はまだ読んでいませんが発売翌日に2版を印刷するほど売れているようです)。ずっと見ていた訳ではないのですが、サーバーエージェント社は、社員満足度が高い企業と言うことで興味あるため、気になって最後の方だけ見ました(サイバーエージェント社は日経ビジネスが実施している「日本でいちばん働きがいのある会社(25社)」に選ばれ、中経出版から同名の本が出版されています)。

その中で藤田社長が進めた改革事項(役員入れ替えルール、休んでファイブ、ジギョつく・・・などの施策)が説明されていました。その中で「2駅ルール」と言う言葉が出てきました。これは、会社から2駅内に賃貸含めた居宅があれば、3万円/月の補助を出すルールとの事でした。深夜残業も多い仕事ゆえに、公共交通機関もなくなりタクシーで帰らざるを得ない事もたびたびで、近くに住んでもらうことは、心身の健康や自分の時間の確保、さらには会社としてのコスト削減にも効果がある策として実施しているとの事でした。

たしかに東京へ転勤して来て、社員の皆さんの通勤時間の長いのには驚きました。それも通勤地獄の中で、1~2時間は当たり前、2時間以上の人も結構多い?地方では、普通1時間以内が常識的な居住地の考え方であり(電車も空いている)、これでないと、公共交通機関は終電が早いため、帰れなくなります。必然的に車通勤が多くなりますが、飲む機会が多い人は困ります。飲んで遅くなれば自業自得でタクシー代は自腹。そのためにも近い事が必然になります。その意味で、遠い人は会社(工場)の近くにある社宅・寮に住むことになります(東京では、社宅・寮も結構遠いところにありますが)。16年前東京に転勤になった時、市川の社宅に住んでいたのですが、夜23時~1時の間JR市川駅から深夜バスが走っていること、そしてそのバスが満員であることに驚かされました。

サイバーエージェント本社は、渋谷ですが、渋谷近辺の不動産屋では、サイバーエージェントと言えば黙っていても「2駅ルール」に則った賃貸住宅を紹介してくれるそうです。

社員には評判がいいとの事で、社員の半分(300人)が2駅以内に住んでいるとか。皆さん、どう思われますか?

シャープペンシルの名付け親?

お盆休みを利用して、太平洋戦争を経験した人たちの壮絶な生きざまに触れてきた。明治から大正、昭和の初期に生れた方々の成功物語にも、多くの感動をもらうと共に、自分の60年有余の生き様と対比して、生きる目的に対する熱意と執念に頭が下がる。

2011.9人間学を学ぶ月刊誌「致知」に連載されている「日本を創った男たち(北康利)」にシャープを創業した早川徳治氏(1893-1980)の人生が紹介されている。冒頭に「本連載は苦労人のオンパレードだが、早川氏が遭遇した悲劇の深刻さは他に類を見ない。だがかれは挫けることなく、前を向き続けた。その精神の強靭さは、軟弱な我々現代人にとって驚異である。」とある。

二歳の時里子に出され、継母の残酷とも言える折檻に耐えつつ、奉公に出された先では、主人が火傷で仕事にならず、その中で穴のいらないベルトバックルを発明し、起業。水道自在器も発明し、さらには故障し易かった繰出鉛筆(これが現在のシャープペンシル)の改良をしたものが大当たり。事業も順調にいっていたところ、関東大震災で家族(奥さん、子ども二人)と工場を無くしてしまった。

大震災1年後、大阪の土地を購入し、早川金属鉱業研究所を起業。これが現在のシャープにつながる(この時早川氏30才)。国産ラジオ受信機第1号をシャープラジオと名づけ事業とした。第二次世界大戦をくぐり、国産テレビ第1号を完成させ、カラーテレビも業界の先頭を切って販売。何事も先取精神で、驚くなかれ、1959年には太陽光発電の研究も開始していたとか。グローバル化も視野に入れ、社名をシャープに変えたのは、パナソニックに社名を変えた松下電器より40年前の1970年。

記事の最後、「東日本大震災で我々は多くのものを失った。しかし、辛くても諦めずに前進する限り再び道は開ける。そのことを早川徳治は時を越えて我々に語りかけてくれている。日本人よ。希望を失うな!と・・・。」

「若者よ、君たちが生きるきょうという日は、死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」八杉康夫(戦艦大和語り部)。

まさに今、我々が平和と豊かな生活を享受しているのは、早川氏や戦争で悲惨な目にあった方々のお陰(日本がロシアや中国の領地にならなかった幸せ)と、気持ちを新たにし、子どもたちの将来をより幸せな世界にするために我々も真剣に考え、行動せねばならないと思います。政治のせいにせず、自ら範を示して!(自省)