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36歳でメジャーデビューの歌手”半﨑美子さん”がヒット中!

先月末テレビ(NHKシブ5時)で紹介された“ショッピングモールで客に寄り添う歌手”が気になっていた。「致知2017.12」の「第一線で活躍する女性」シリーズで紹介された半﨑美子さんの記事を読んで、彼女がテレビで紹介された歌手だったことに気づいた。記事のタイトルは「自分よりも、自分の歌が長生きすることを願って」。

半﨑氏は今年4月に36歳でメジャーレビューし、レコチョク(国内最大級の音楽配信サイト)で、シングル1位(サクラ~卒業できなかった君へ~)、ミニアルバム「うた弁」で2位にランクイン、デビュー後初めてのワンマンライブも販売開始からわずか1分でチケット完売という華々しさだ。19歳で札幌大学を中退し、歌の道を目指して何のあてもなく上京し、音楽の道を求めて四苦八苦しながら、32歳の時全国のショッピングモールを回り始めたのが大きな転機になったと言う。200か所以上回り、「ショッピングモールの歌姫」とも呼ばれたそうだ。ライブ後のサイン会でいろんな悩みを打ち明けられ、一緒に涙を流す姿もテレビ放送で写されていた。そしてその悩みを歌にして元気付けたりしながらファンを増やしていった。この経験から、誰かの気持ちに寄り添うような曲を書くようになった。本人曰く「どこにも所属せず、販売網も持たない自分の弱みを強みにできたことが嬉しい。自分でお客様と直接やり取りするので、一人ひとりとの結びつきがすごく強くて、人一倍応援をしていただけました」と。その結果、音楽業界でだれもが憧れる“赤坂BLITZ”という1000人規模のライブ会場で、2014年から3年連続でチケット完売の記録を残した。

心に響く楽曲に由来して「メンタルソングの女王」とも称され、サザンオールスターズの桑田啓佑からも絶賛され、笑福亭鶴瓶師匠からもラジオ番組で応援してもらっている。
「明日へ向かう人」は、サイン会で泣きながらCDを買いに来られた方が、息子さんを交通事故で亡くされたことを聞き作った曲だとか。音楽に人生をかける半﨑氏は、教科書に自分の歌が乗ることが夢で、今年の春、NHKの“みんなのうた”で「お弁当ばこのうた~あなたへの手紙~」が選ばれたことを喜んでいる。多くの人の悩みに寄り添い、歌で元気づける半﨑氏を応援したい。

東京タワーをはじめ、世界で光を演出する石井幹子氏

愛読書「致知2017.8号」の連載「命のメッセージ」(筑波大学名誉教授村上和雄氏の対談記事)に「こころに響く明かりの創造を求めて」のタイトルで、照明デザイナー石井幹子氏との対談記事があった。東京タワーが平成と同時にライトアップされたとのことだが、それをデザインしたのが石井幹子氏(1928年生まれ)だ。インターネットで調べると、50年近くの間、国内外で多数のライトアップ事業をされている。東京ゲートブリッジ、東京港レインボ−ブリッジ、横浜ベイブリッジ、明石海峡大橋、函館市や長崎市、倉敷市、鹿児島市の景観照明、 姫路城、白川郷合掌集落、浅草寺など国内だけでなく、海外の作品には、ジェッダ迎賓館(サウジアラビア)、ノ−スウェスタン生命保険ビル(アメリカ合衆国)、メルボルンセントラル(オ−ストラリア)、 パンパシフィックホテル(シンガポ−ル)、コンベンション・エキジビジョンセンタ−(香港)、大韓生命ビル(韓国)、上海ワールドフィナンシャル センター(上海)などがあり、ハンガリーブダペストのドナウ川にかかるエリザベート橋ライトアップも石井氏の作品だ。
東京藝術大学を出られ、家電製品や車のデザインを手掛ける工業デザイナーを目指しているときに、たまたま照明器具のデザインの機会に恵まれた。その時、明かりを入れた瞬間の変化に驚き、目覚めたのがこの道に進むきっかけになったそうだ。しかし、昭和30年代、40年代の高度成長期、日本では“光をデザインする”ことに関心は低く、北欧の光のデザインを集めた本に出ていた先生に手紙を出して、フィンランドで、そしてドイツで勉強。その後、日本に帰国しフリーランスで仕事を始めたとき、2年後の大阪万博にめぐり逢い、黒川紀章など高名な建築家と一緒に仕事をする機会に恵まれた。が、間もなくオイルショックを迎え、“照明は消せ、いらない”の風潮の中で苦しんだが、海外から声がかかり、サウジアラビアの豪華な迎賓館の仕事などで寝る暇もないほどの忙しさの中で、日本での東京駅レンガ駅舎のライトアップの仕事が舞い込んできた。これが日本での最初の仕事で、これを契機に東京タワーなど国内の仕事が広がっていった。
対談の中で興味をひかれたのは、世の中にあまり関心が向けられていなかった”ライトアップ“に生涯をかける決断をされ、それを成功に導かれたそのプロセスだ。石井さんが言っておられる「継続は力なり」「一念岩をも通す」というのも真実だが、その原点は、村上先生も言っておられる
「何か大きな力が働いているとしたら、それは感動の力だ。感じることで人は動く。“知動”という言葉がないように、いくら知識がたくさんあっても、それだけでは人は動かない。感動があるから、そこに行動が生まれる」
だと私も思う。石井氏もこの言葉を受けて、「まさに30代後半からやっていた“ライトアップキャラバン”がまさにそれだった」と言われている。「世界各地の美しい夜景を日本都市にも」との思いで、例えば京都で、提案しても市役所の賛同が得られないなかで、自腹で二条城や平安神宮周辺の照明をし(許可を得て)、観光客の評判をとりながら、札幌、仙台、金沢など各地で同じようなキャンペーンを実施した。まさに、大学卒業後の、デザインした照明器具に明かりを入れたときの感動と目覚めが石井氏の原点となり、フィンランドの先生への手紙や“ライトアップキャンペーン”の行動につながり、現在の華やかな各地のライトアップでの景観つくりを成し遂げられたことに大いなる敬意を表したい。石井氏いわく、「夜景を綺麗にすると、その地域一帯における経済波及効果は11倍にもなる」とのこと。電力節減にも気を使いながら、ますます娘さん(石井 リーサ・明理)ともども頑張っておられる。

トップ選手は周囲の支えがなくては・・・

2012年ロンドンオリンピックで、日本卓球界の悲願だった初の五輪メダル(団体銀)をもたらし,リオでも銅メダルを獲得した卓球女子ナショナルチーム前監督村上恭和氏が「致知2017.1」の連載記事「20代をどう生きるか」に登場されている。
ご本人も中学、高校、大学そして実業団と精神的にも紆余曲折を経ながら実業団トップ選手になり、日本生命卓球部の監督に招かれ、チームを日本一に導くと同時に日本女子ナショナルチームのコーチに就任、2008年の北京オリンピックのあと監督に就任された。村上氏曰く、選手はみなオリンピックでメダルを取りたいという。だがその中で達成できるのは4年に一度3人だけという厳しさ。メダルを取れる人ととれない人の差は何か?
最初の分かれ目は、本気で思っているか、口先だけか。口先だけの人は行動しない。そして最後は途中で諦めないこと。さらに、次にあげられた村上氏の言葉により共感を覚えた。
支えてくれる人間が多ければ多いほど、達成する可能性は高まる。実力が拮抗する中で最後に勝敗を決するのは、目に見えない思い、周囲の応援がどれだけ多いかだ。何の世界でも、実力と運さえあれば、いったんは成功するでしょう。しかし、より長く、より高く成功するためには自分を支えてくれる仲間、味方がどれだけ多くいるかに尽きると思う。だから周囲の人に感謝できない人間は成功し続けることはできない。このことはスポーツのみならずあらゆる職業の人に共通する成功の条件ではないだろうか。
村上氏も和歌山相互銀行の時、監督によく逆らっていたが、仲間のことを思いやる気持ちを諭され、卓球を本気でやるようになり、今でも感謝の気持ちで一杯という。私も小学校、中学校の恩師をはじめ、高校時代、大学時代の友人、そして会社の同僚、上司、後輩、取引先の方々と多くの方々のお世話になったおかげで今があり、今でも感謝の気持ちをもって、お付き合いさせていただいており、リタイア後の生活に大きなゆとりと幸せをもたらしてもらっている。人生で“ありがとう”と言える人が何人いるかが、その人の人生が勝者となる(幸せとなる)カギとなると言えるのではなかろうか。