「生き方」カテゴリーアーカイブ

長友、葛西も今あるのは母の力!

野口英世やアンデルセン、福沢諭吉なども花のお蔭で偉人になったとの話を以前紹介した(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2013/9/18)。今イタリア1部リーグ(セリエA)インテル・ミラノ所属の長友佑都や、先のソチオリンピックで銀メダルのスキージャンプ葛西選手も母の力が大きかったそうだ。

葛西紀明氏は「致知2005年8月号」に登場し、メダルに懸ける思い、そしてこれまでの辛く苦しい道のりと母の深い愛情を語っている。米も買えない、電話も引けないといった貧しい少年時代。それでも大好きなジャンプを続けられたのは母のお陰。苦労を掛けた母に金メダルを取って、家を建ててあげると約束し、厳しい練習を乗り越えてきた。そんなある日、実家が火事に遭い、母親が全身火傷を負い、手当ての甲斐なく亡くなってしまいます。入院中は手も握れないひどい状態だったそうですが、痛みと死の恐怖に必死で闘いながら書かれた励ましの手紙。そこには「いまこの時を頑張れ。絶対お前は世界一になれる。おまえがどん底から這いあがってくるのを楽しみに待っているよ」という、母の深い思いが綴られていたそうだ。死後見つかったという日記に葛西選手は、「今でも手紙を開くとポロポロと涙がでてくるんです。大事な大会の前にはこの手紙を読み返します。見るたびにものすごく大きな力をもらえるんです」と話している。(2月17日致知出版社“おかみさん便り”より)

「佑都の武器は、スピードでもフィジカルでもなくて、相手の懐に入っていく力だよね」インテルでチームメイトと楽しくやっている僕を見て、事務所のスタッフが言った。「どこへ行っても仲間といい関係が生み出せる。それはひとつの才能」とも。その「才能」は中学時代の経験から開花したと長友は言う。長友は、小学校時代からサッカーをやっており、地元の愛媛FCに入りたかったが不合格。中学でもサッカー部に入ったがそこは不良の巣窟。長友もゲーセンに入り浸ったりして、サッカーはあきらめかけていた。当時お母さんは離婚し、家族を養うために働きづめだったが、荒れていた息子にも何も言わず、「自分が気付かないと何を言っても仕方ない」と周囲に漏らしていたそうだ。そんな時、中学のサッカー部を何とかしたいとの強いを持った先生(井上博先生)が赴任してきた。その先生が、自分が小さい時からプロになりたいと思っていた気持ちに火をつけてくれた。「俺はお前とサッカーをやりたいんや」の言葉が胸に響いた。座る暇もない位、愚痴も一言も言わず働いてくれている母さんに対する感謝の気持ちも思い出させてくれた。情けなくて、腹立たしくて、申し訳なくて、カッと身体が熱くなった。涙が頬を伝ってきた。一筋涙が流れると、もう止まらない。声をあげて泣いた。長友は自分の弱点を自分で掴み、自分なりの練習でそれを一歩一歩、克服していく。サッカー部での練習の他に、早朝と夜間は自主トレだ。睡魔との戦いだったが、授業中には絶対に寝ないで頑張った。母親が必死で働いて、授業料を払ってくれているからだ。その先生のお蔭で、中学時代、ウソ偽りのないまっすぐな思いでぶつかりあう人間関係の熱さや感謝の心を学ぶことが出来た。誰かを思い、大切な人のために闘う。そして誰かとつながっている。ひとりじゃないといつも感じられる。だからいい仲間に出会えるのかもしれない。「感謝の気持ちがあるから、僕は成長できる」と長友は言う。その言葉通り、高校から大学、プロ、そして欧州へと、その都度、下から入って、そこで成長して這い上がっていく繰り返しだった。

 長友の成長の原動力は中学の恩師と母に教わった「感謝の心」だ。そして、その「感謝の心」があるからこそ、イタリアのインテル・ミラノでもチームメートの「懐に入って」、チームの要としてやっていけているのだろう。(JOG-Mag No.838 ‘長友佑都を育てた母と教師’より,2014.3.2)

残念だが、‘父のお蔭’と言う話はほとんどなく、‘母のお蔭’との話が圧倒的に多く、また話題にもなる。後者のJOG-MAGには、今回の記事について「本編に登場する長友の母親や井上先生のような人物が我が国の教育再生に必要です。」とある。母の力は大きい!

夫婦円満の秘訣!吉野弘の祝婚歌(参院予算委員会での質疑に登場)

6日の日経の記事より。「「正しいことを言うときは少しひかえめにするほうがいい」。民主党の羽田雄一郎参院幹事長は5日の参院予算委員会で、1月に亡くなった詩人、吉野弘さんの「祝婚歌」の一節を安倍晋三首相に紹介した。心に余裕を持って政権運営にあたってほしい、との願いを込めた。首相や外相を歴任した父、孜氏が大切にする詩だ。外交交渉では相手方に「日本の心だ。おおらかにやろう」と呼びかけ、結婚式を挙げる知人には書き写した色紙を贈ってきた。首相は自分自身ももらった一人だと明かし、「常にその態度で妻に接している。わが党も謙虚でなければならない」と話した。だが、国会論戦でおおらかさは至難の業だ。直後の質疑で首相は野党席から飛んだヤジに腹を立て、「吉野さんの詩を後ろの方に渡してほしい」とまくし立てた。羽田氏は「ヤジは議会の華。あまり反応しないで」とたしなめた。」

早速インターネットで調べてみた。結構有名な詩で、結婚式などでも多く使われているそうだ。吉野弘氏は著作権問題関係なく、自由に使って欲しいとの意思を示されているとかで、全文記載する。

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

家内とも時々険悪なムードになることがあるが、その時は私のほうが上から目線の言い方になっている。そんな場合、「ところで自分もそうだけど、こんな人間になるように努力できればなぁー」のような具合になぜ言えないのかなと後悔する。「立派になりたい」「正しくありたい」と思うのはいいが、「己が立派だ、完璧だ」と相手に感じさせるような発言は、反撃を生みやすいという吉野氏には同感だ。「目線を合わせながら謙虚に話す」ことが、人間関係(特にパートナーとの)を築くための基本だと言うことを肝に銘ずべきと思う。

祝婚歌を何度も読み返しながら、謙虚さ、相手を思いやる心を忘れず、一番身近なパートナーとの幸せな生活を送られんことを切に願っている。

杉良太郎さんに安倍総理が感謝状を

2月4日の日経夕刊に菅官房長官が4日の閣議後「日ベトナム特別大使を務めるなどアジア各国との友好親善活動に携わっている俳優の杉良太郎さんに安倍晋三首相名の感謝状を贈ることを検討している。長年にわたり日本とベトナム、東南アジア諸国連合(ASEAN)を始めとするアジア諸国との文化交流、文化振興に多大な貢献をした方だ」と述べたとの記事があった。

「PHP Business Review 松下幸之助塾2013年11・12月号」の新企画「朝倉千恵子の社会を変えたい人列伝」の第1回目に「人の痛みを知ったらやらずにはおれない」とのタイトルで杉良太郎氏をゲストとして招いた記事があった。朝倉千恵子氏は、㈱新規開拓の社長をしておられる方で、「松下幸之助塾」の雑誌に連載されていた記事を私のブログで紹介した所、お礼のコメントと同時に朝倉氏のブログに私のブログを転載して下さった方だ(http://jasipa.jp/blog-entry/9244)。

今年芸能活動50周年を迎える杉さん。一方で、15歳で刑務所を慰問されたのを皮切りに、福祉活動歴は55年と芸能活動のキャリアより長い。国内外を問わず、被災地への救援・炊き出し(東日本大震災では石巻市と女川町に車両15台分の支援物資と共に駆けつけ炊き出しを行った)、刑務所の視察や慰問、ベトナム支援、肝炎対策、さまざまな団体や施設への寄付・慰問、ほんの一端を紹介するだけでもこんな具合になると言う。ベトナムを初めて訪問されたのは1976年。食糧事情の悪い孤児院に、お菓子とおもちゃを持って行ったが、一人の少女がお菓子を食べようとせずに、じっと杉さんを見つめて「お父さんとお母さんがほしい」と言ったそうだ。その言葉に杉さんは涙を流し、その子と兄弟たちを養子にされた。それをきっかけに養子縁組した子供たちが今やベトナムに76人もいるそうだ。最初に養子にした子は36歳になったが、年を取ったから援助を中止するのではなく、杉氏は生きている限り彼らの心の父親で有り続けたいと言う。ベトナムの人づくりのためにも貢献している。ベトナムの経済を活性化するためにも、これからは日本との関係が深まることを予想して、1995年にハノイに日本語研修センターを作り、日本語と日本の文化の分かるベトナム人を育てた。その卒業生は5万人になると言う。ベトナム政府中枢部に入って活躍している人も多いそうだ。

杉さんはこのような活動をしていると、「売名行為だ」とか、「芸能人は金があるから」とかの中傷を受けることも有ったと言う。しかし、杉さんは「根が単純かも知れないが、“やろうか、どうしようか”と悩むことがないんですよ。思ったことはやるしかない。やると口にしたら絶対やる。火の玉のようにやる。あいまいなこと、中途半端なことが出来ない。」と。家計は火の車で、自分の身体を担保に銀行から金を借りたこともあるそうだ。あくまで自然体なのだ。

朝倉氏は、インタビューを終えて、「杉さんはなぜそこまでブレずに続けられるのか、その原動力は何なのか、その真髄をおしえてもらった。ブレない軸、決めた事を最後まで貫く勇気と覚悟、一貫性ある言動に、誠(“言”ったことを“成”すと書く)を追求する姿を見た気がする。杉さんのような方が増えていくことで日本は必ず変わっていく、そんな確信を得た」と、そしてお二人で、杉さんは日本の男性を鍛え、朝倉さんは女性の育成に今以上に力を入れていくことを宣言された(杉さんは「杉塾」で若い俳優の育成に力を入れておられ、朝倉さんは人材育成会社を経営されている)。杉さんに対する安倍総理からの感謝状に心からお祝い申し上げたい。