「生き方」カテゴリーアーカイブ

白雲自(おの)ずから去来す

禅の教えに、「白雲自ら去来す」という言葉があるそうだ。この言葉に惹かれた。意味は下記。

夏の畑仕事、暑い日差しを避けるには、雲はありがたいものです。遠くに見える雲がこっちへ来ないかな?と思うのは、誰も同じですが、雲は風任せで、こっちへ来るかは判らない。それよりも、雲を待つのではなく、今すべきことにひたすら取組む事で、暑さを忘れるほどに一生懸命に仕事をする。そして気が付けば、知らぬ間に雲が涼を運んで来てくれる。

ここで言う雲とは、言い換えれば運やチャンスのこと。運に恵まれている他人を羨んでいても仕方がない。チャンスが来ないと嘆いていても仕方がない。ただ一生懸命に今やるべきことをやる。そうすれば、運は必ず巡って来るもの。

3代目崎陽軒社長野並直文氏が、社長を引き継いだとき(平成3年)、それまでは順調だった事業が、バブル崩壊で業績が急降下。その時、友人からこの言葉をもらい、「どんな状況に直面しようと、与えられた目の前の役割を自らの使命と受け止め、コツコツと打ち込んでいくことで必ず良き運命が拓けていく」と、決して慢心することなく経営課題に取り組んで来られたそうだ([致知2015.2]より)。野並氏が言う「コツコツ」はイエローハット創業者の鍵山秀三郎氏の言葉としても有名だ。ある時若い人たちから成功の秘訣を問われ、「二つある」と答えて白板に、「コツ、コツ」 ――と板書されたという。

森信三著『修身教授録』にある言葉。

「真の“誠”は何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まるといってよいでしょう。すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。総じて自己の務めに対して、自己の一切を傾け尽くしてこれに当たる。即ち、もうこれ以上は尽くしようがないというところを、なおもそこに不足を覚えて、さらに一段と自己を投げ出していく。これが真の誠への歩みというものでしょう」

「今、ここを精一杯生きる」事の重要性を説く人はあまたいる。その一部は、一昨年の正月のブログに紹介している。(http://okinaka.jasipa.jp/archives/347)。

  • 曹洞宗大本山總持寺参禅講師大童法慧氏
  • 博多の歴女白駒妃登美さん
  • ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さん
  • スペイン「サグラダ・ファミリア教会」の建築に携わられている彫刻家・外尾悦郎氏

の方々だ。生きている、天文学的確率で、今生かされている実感、喜びを味わいながら、「いま、ここ」を精一杯生きること。これが自分自身の幸せにつながる唯一の道だと信じたい。

人生で一番大切な言葉は“ありがとう”!

感謝と“ありがとう”の精神で、成功をおさめた人たちの話が、人間学を学ぶ月刊誌「致知」によく掲載される。11月号では、小さい時からの夢を次々と実現し、横浜のブリキおもちゃ博物館をはじめ6つの博物館を経営し、年間約150回の講演、累計71冊の著書を出版されている北原照久氏の「人生を変える魔法の言葉」と題した記事がある。兄3人と比較される子供時代、全く勉強に手がつかず体育以外はオール1。中学ではある事件で退学処分を受ける。そんな時、母親から受けた言葉

お前の人生はこれで終わったわけではない。これから先の人生の方がずっと長い。だからめげることはない。人生はやり直しは出来ないが、出直しはいつでもできる。

この言葉に励まされて高校進学。高校でも成績はどん尻。ある時、たまたま60点をとった時の先生の言葉。

「北原、すごいな!お前は出来ないんじゃなくて、やらなかっただけだ。やればできるぞ

本心から褒めてくれたこの言葉で心に火がつき、卒業時には学年トップで謝辞を読むまでに。このような人生を振り返って、北原氏は「すべては出逢いである」と言い切る。人との出会い、モノとの出会い、そして言葉との出会いが自分のすべての夢の実現に導いてくれたと。

北原氏が心がけてきたことの一つは、

絶対に人の悪口を言わない

自分が口にした言葉を最初に聞くのは自分だ。だから、不平不満や愚痴、悪口、怨み、妬みを発している人は、それを相手にぶつけているつもりでも、実は自分自身にダメージを与えていると言う。北原氏は、これまでの46年間で集めたおもちゃなどのコレクションの数は4トントラック100台以上にも上るそうだ。これはいろんな方の協力があったお蔭と言う。もう一つは、「感謝」と「ありがとう」。この言葉を口ずさんでいると人生は好転していくと、心からの実感を込めて言われる。

12月号では、人と話すことの苦手な”売れない営業マン“阿川龍翔氏が「人生で一番大切な言葉。それは”ありがとう“」のタイトル記事で投稿されている。イタリア車の営業で、毎日もがき苦しむ中で、あることに気付き、車を買っていただいた方やご縁があった方に毎月1回「ありがとう」の気持ちを伝えるハガキを書きはじめた。当初はほとんど反応がなかったが、雑誌や新聞などで感動した言葉や物語なども書き添えるように工夫し、ひたすら「ありがとう、ありがとう」と1年、2年、3年と地道に続けていくうちに思わぬ反応が返ってくるようになったと言う。「会社の朝礼でハガキの言葉を紹介したい」「息子の学校の道徳授業で、ハガキの物語を紹介したい」などの要望や、”信頼できる営業マンがいる“と知人を紹介してくれ、その方が訪ねてくれるようなことも増えてきた。こんなにも共感して頂けることの嬉しさが昂じて、商品を売りつけると言う自分の都合を人に押し付ける行為を反省し、思い切って車を売り付けることをやめることにした。が気が付けばイタリア車のトップ営業マンになっていたそうだ。阿川氏は、今はコンサルタント会社「ハートウォーマー」を設立し、講演会や営業に関するセミナーなどで走り回る忙しい日々を送っておられる。阿川氏は言う。

常に自分のコップを“ありがとう”の感謝の思いで見たし、その気持ちを人に話していくことが、巡り巡って自分の幸せとなって返ってくる。それこそ自分の仕事や人生だけではなく多くの人々を幸せに導いていく道理なのだと思う

 お二人の“わが人生の幸せ”事例は、我々の「生き方」に関して多くのヒントを物語っているのではないだろうか?

運命を変えた言葉スペシャル(NHKプロフェッショナル)

19日のNHK番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で「言葉の力SP」と称して8名のその道のプロが自分の人生を変えた言葉を紹介していた。印象的なものを紹介する。

●“裂き3年、串打ち3年、焼き一生”という、うなぎの世界。この道を70年にわたって追求し、80歳を超えてもいまなお研さんを続ける金本兼次郎には、みずからを支える「言葉」がある。天然ウナギを使うのが江戸時代からの伝統だったが、天然が激減し、養殖ウナギを使わざるを得ない状況になった時、これでいいのかと疑問に思う日々を送っていた金本に北海道の菓子職人の一言(その菓子職人は店名を変えることで悩んでいた)。

「のれんにだけ頼っているのなら別だが、本物を作っているのなら心配ない」。

この言葉で金本は養殖ウナギで道を極めた。

●温水洗浄便座などの「包装」の設計で、業界の注目を集める包装管理士・岡崎義和。段ボールに細かな切れ目を入れるだけで複雑な立体を組み上げる。結果、作業の手間は従来の5分の1。これまで実に数十億もの利益をもたらした。しかし、岡崎はもともと上司に食って掛かるとんでもない不良社員だった。だれもが部下にしたくないと煙たがれている時、ある上司からかけられた言葉。

言いたいことがあるんだったら、ちゃんとやれ

とにかく上司の指示に反発し、やる前からできない言い訳をすぐ口に出す。それではいつまでも認めてもらえない。だからまずやってみて、結果を出してから言えとのこと。その後も紆余曲折あったが、常にこの言葉を思いだし、頑張った。実は誰もが軽んじていた包装部門に配属を命じられた時、一時不満もあったが、この言葉を胸に人一倍働き、15年後「会社の宝」になった。

●指や耳など、身体の一部を補う「義肢」。本物そっくりなだけでなく、依頼主の暮らしや事情に合わせた機能性を持つのが、義肢装具士・林伸太郎の生み出す義肢だ。10代の頃、特に夢もなく過ごしていた林。高校にもあまり通わず、卒業しても定職には就かなかった。そんなとき、妻となった香苗さんとの交換日記に記されていた、ひとつの言葉に出会う。

気づきが、大切だ

その言葉は、林が義肢装具士になったとき、より大きな意味を持つようになっていく。さまざまな事情を抱えてやってくる依頼主。その、決して言葉では言い表すことのできない細やかな気持ちに、どこまで気づけるか。それこそが、仕事を大きく左右するのだ。激しく踊るダンサーの義足も作った。

●海外の首脳からも指名されるほどの同時通訳で有名な71歳の長井鞠子。しかし40代に入った頃、長井は人生の試練に直面した。長年連れ添った夫との離婚。さらに仕事で準備不足で失態をおかし、その通訳の現場からは出入り禁止となってしまう。失意の時、信頼する母からもらった言葉。

一心に突き進んでいる姿が、まさにあなたそのもの。一心に、あなたらしく生きればいいのよ

本当の自分らしさを取り戻した長井。そのあと迷いを吹っ切り、一心に仕事に突き進んでいった。

窮地に陥った時、逆境の時、これという言葉に出合った人の人生は見事に変わる。しかし、素直さ、謙虚さを持って受け入れなければ出合う事も無い。まさに「気付きの言葉」との出会いだ。