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車いすだったら、日本に住みたくない(佐藤真海)

日経ビジネスの11月25日のインターネット記事(http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20131120/256090/?n_cid=nbpnbo_mlp&rt=nocnt)に表題の記事があった。副題は「五輪招致の顔、佐藤真海氏が語る7年後の東京」だ。佐藤さんは前稿のレーナ・マリアさんとは違って早稲田大学在学中に骨肉種を発症し、2002年から義足での生活を余儀なくされている。リハビリを兼ねて陸上競技を始め、驚くことに2004年にアテネパラリンピックに出場し、その後続いて北京、ロンドにも出場した。健常者から急に障害者になったショックは大きかったと思うが、義足生活2年でパラリンピック出場とは驚く。その精神が、五輪招致の際のプレゼンで、地元気仙沼を襲った東日本大震災を振り返り「大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではない」との言葉に表れていると思う。まさに前稿のレーナ・マリアさんの「悲しんだり、落ち込んだりしたことは一度もない」と自分に出来ることに邁進した姿勢と相通じるものがある(http://jasipa.jp/blog-entry/9193)。

その佐藤さんが10年間世界各国を回る中で、「世界との違い」に何度も愕然とし、東京でのパラリンピック開催に向けて「まだ」を何個つけても足りないくらいやることがあると言う。例えば、日本における障害者のスポーツトレーニング環境。「味の素ナショナルトレーニングセンター」はオリンピック選手専用、コーチや競技団体も健常者と障害者は別々。ロンドンでは健常者と障害者が同じフィールドで練習することも珍しくなく、リハビリ施設の横にはスタジアムや体育館が作られ、現役パラリンピック選手が指導する。障害者がスポーツに取り組むハードルは日本に比べて極めて低いと言う。

さらにはスポンサー企業の違いにも触れる。ロンドンでは大手企業がパラリンピックを精力的に盛り上げた。大手スーパーマーケットチェーンのセインズベリーは「1ミリオン・キッズ・チャレンジ」と題して数年前から子供にパラリンピック競技に関心を持ってもらうために100万人の子どもに競技を経験してもらうプログラムを実施した。そのキャンペーンのアンバサダーがあのベッカム選手だったそうだ。そのような活動の結果として、ロンドンでのパラリンピックは、朝の部も夜の部もいつも満員、スタジアムが期間中ずっと8万人の観客であふれかえるほど盛り上がったとのことだ。その頃には日本は、オリンピック選手の凱旋パレードが実施され、テレビでもパラリンピックはほんの一部しか放映されなかった。ロンドンでは朝から晩まで生中継で、パラリンピック盛り上げのための選手登場のCMも大きな評判になった。

ロンドンでの障害者に対する接し方も自然体で、日本のように障害者を特別扱いしない。電車に乗ろうとすれば「お手伝いを必要とされているお客さんがいます」と注目され、仰々しく専用エレベーターに乗せられる。佐藤さんは「障害者に対してと言う目線ではなく、全ての人に対しては思慮の視点を持つ」事を提言する。足が不自由なお年寄りもいる。すべての人に対して、子供も大人も自然体で「おもてなし」の心で接することが出来るような社会に日本がなって欲しいと。

「おもてなし」を日本古来の慣習と言うが、「現在の日本社会におもてなしの心や文化があると思うのは幻想」(日経夕刊11.9・青木保国立新美術館館長)と言う方もいる。7年後のオリンピック・パラリンピックを、日本をアピールできる場にするには、障害者・健常者、そして外国人の区別なく、同じ視線でおもてなしが出来るハード・ソフト面での環境つくりが大きな課題となる。

障碍者レーナ・マリアさんのゴスペルシンガーへの道のり

生まれつき両腕が無く、左足が右足の半分と言う重度の障碍を持ちながら、18歳の時から出ている障害者の水泳世界選手権などで数々のメダルを獲得し、1988年のソウルパラリンピックにおいても好成績を収め、かつ高校から音楽専攻科に進みストックホルム音楽大学において声楽を学び、卒業後はゴスペルシンガーとして世界的に活躍されているスウェーデン生まれ(1968年)の女性レーナ・マリアさん。日本も含めて各国から講演のオファーが絶えないと言う。「致知2013.12」に「神様は私に手の代わりに心の中の豊かさを与えた」と題したインタビュー記事があった。こんな重度の障碍を持って生まれながら、「物心がついてから少し不便だなと思うことはありますが、悲しんだり落ち込んだりしたことは一度もありません」と言い切る。これが格好をつけて言っている言葉ではないことは、水泳、音楽家としての道を大成された実績を見れば明らかだと言えるのではなかろうか。日本でも全国各地でコンサートを開き日本語の歌も歌われている(カチューシャの唄の例:http://video.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 )。

これだけ重度の障碍ながら、「悲しんだり、落ち込んだりしたことは一度もない」というのに正直驚かされた。小さい頃から障害者としてではなく、一人の娘として育ててくれた両親に感謝していると言う。両親はいつも「神様に愛されていること、そして神様に特別の計画がおありだから、他の人と違う形につくられた」と話してくれた。3,4歳から父の勧めで機能訓練のため水泳を始めた。5歳で潜水、背泳、クロールも上手になったそうだ。水泳のお蔭でスケートや編み物、刺繍なども出来るようになった。スウェーデンと日本では社会保障制度では随分違う(ハンディキャップがある人には必要があれば生後すぐヘルパーが一人つくことなど)とはいえ、レーナさんは日本に来て、日本人はハンディキャップがある人を見れば「かわいそう」と思っていろいろ世話をするが、「かわいそうと思うより自分で何でもできるようにしてあげるのが大切」と言い切る。両親が、レーナは階段も上がれないし、字もかけないから普通の学校に行くのは無理だね、と言われたら今の自分はないと言う。普通学校に通ったが、からかわれてつらい思いをするのは健常児も一緒。同級生に「おい、一本足、元気そうじゃないか」と言われたら「ありがとう、二本足、あなたも元気そうね」と答える。自己憐憫にあったり、人を羨んだり、自分に自信がなかったりすると、誰かの言葉に傷ついて人生は辛くなるのでは、とも言う。

なぜ自分がそんなに強くなれたか?家族や友人、そして神様などから愛されていると感じるから。人間は自分一人で強くなることは出来ない。もしも私が強い人間だと思う人が居るなら、それは私の周囲の人の愛が私を幸せにしてくれているからです。もう一つ、レーナさんは元気の秘訣を指摘する。「人生の中で意味のあることをする」こと。自分の事ばかりにこだわっていたら、多分人生はつまらなくなります。誰かを助けたり、配慮したり、愛や未来への希望を与えたり、役に立つと言うことも生きる上で大切なこと。家族や友達、近所の人に微笑みかけるだけでも、幸せにすることは出来る、と。

レーナさんの歌声を聴くだけでも元気を頂くことが出来るが、レーナさんは来日時福島県の小学校にも足を運んでくれている。レーナさんの足跡を見ると、健常者の自分が恥ずかしくなる。

この記事を書いている時、期せずして五輪招致の顔となった佐藤真海さんの記事があった。「大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではない」との言葉は、レーナさんの考え方に通じる。この件は別途ブログにUPすることにしたい。

車椅子のアーティストの生き方に感動!

「先天性四肢欠損症。生まれつきほとんど手足が無い(唯一左足3本の指のみ)という重度の障碍を抱えている佐野有美(あみ)さん、23歳。プロの歌手として活動する傍ら、年間約100回、講演で全国各地を飛び回り、多くの方々に感動と勇気を与えている。」(致知2013.8インタビュー記事「笑顔は最高のおしゃれ」より)

幾多の困難を乗り越えられ、「今はとても幸せ」と。その壮絶な人生体験と、そこからつかみ取った信条を聞くと、健常者である自分の生き方の甘さを感じると同時に、生き方のヒントを得ることが出来る。「悩みは、過ぎ去った‘過去’を悔やみ、‘将来’への不安から来るもの。‘いまここ’を見れば悩みはない筈。だから何も悩まず、今にベストを尽くせる」と言われる博多の歴女白駒妃登美さん(http://jasipa.jp/blog-entry/8227)。「自分が置かれた場所で精一杯咲き、そこが和やかな場になるようにすればいい。その力があるのに、ただ環境のせいにして甘えている人が多い」と言われるノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さん(http://jasipa.jp/blog-entry/7878)、曹洞宗大本山總持寺参禅講師大童法慧氏の「いま、ここ」(http://jasipa.jp/blog-entry/7593)。まさに、これらの人の言葉を実践し、幸せな心を掴んだ有美さん。早速インターネットで調べると、YouTubeにも数多く登場し、多くの人の感動を誘っている(http://www.youtube.com/watch?v=K3z48SmqPxU)。

食事や着替え、メイクに加えて、パソコン(3級検定資格を有す)の操作や字を書くのも、唯一ある左足の3本の指でこなす。水泳も100㍍泳げる。本人は、小さい頃から両親がいろいろ考えて教えてくれたからと言うが、本人の努力は想像に絶するものだったろう。本人曰く、生まれつき明るい性格だったが、その反面気が強くて自己中心的な性格だった(有美さんが生れたとき、両親は将来を考え心中も考えたそうだが、その時の有美さんの笑顔に、一緒に頑張っていこうと思い直したそうだ)。小学校(普通学校に行った)の時、周囲からいろんなことを言われて言い返していたが、一人ぼっちになった時、一人では何もできないことに気付き、自分の存在を否定しがちになってしまった。中学校でもその気持ちをひきづっていたが、友達の大切さや感謝の気持ちを大切にしながら自分を出していこうと高校に進み、友達、先生に恵まれチアリーダー部に入った。そこでも落ち込むことがあったが、先生からの「もう有美には手足は生えてこない。でも、有美には口がある。だったら、自分の気持ちははっきり伝えなさい。有美には、有美にしかできない役目がある」との言葉に衝撃を受け、チアリーダー部でもステージがある時は司会を務めたり、練習中も声だしに徹するなど自分の役割を見出していった。その先生の言葉が、今の講演活動や、音楽活動に繋がっている(歌手デビューは平成23年。その年に「あきらめないで」で日本レコード大賞企画賞)を受賞)。

有美さんは、講演で伝えたいことはとの質問に、まず「諦めない事」と言う。何かチャレンジする時「出来るか、できないか」よりも「やりたいのか、やりたくないのか」そちらの気持ちの方が大事と。それから「自分がまず輝くこと」。有美さんの座右の銘は「笑顔は最高のおしゃれ」。そして言う。「昔は自分の障碍を嫌ったり、避けていた時もあったが、いまは自分がこの体で生まれてきたからこそ大切な事を感じることが出来ているのかもしれないと思う。確かに日常生活の中で不便を感じることはある。でも、私は不幸ではないなと。いまとても幸せです。」

「いまここ」に精一杯の力を尽くす、その事の素晴らしさを有美さんは教えてくれた。頑張れ!有美さん!