「海外旅行(北欧2都&ロシア)」カテゴリーアーカイブ

北欧2都&ロシア旅行記~ロシア サンクトブルグ編その3~

今回は、サンクトペテルブルグから南約25kmのツアールスコエ・セロー(現在のプーシキン市)にある“エカテリーナ宮殿”と、南西約30kmのペテルゴーフにある“ピョートル大帝夏の宮殿”を紹介する。

”エカテリーナ宮殿“は、ピョートル大帝の后でもあった、第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世(在位:1725年 – 1727年)に由来する。その後、第4代ロシア皇帝アンナが増築し、第6代皇帝エリザベータがロココ調に立て直し今の規模となった(1756年)。とりわけ「琥珀の間」が有名である。10万個の琥珀は、第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ・ナチス軍に持ち去られた(いまだに財宝ハンターが探し続けているそうだ)が、1979年から始まった復元作業により、2003年に完全に復元された(残念ながら「琥珀の間」は撮影禁止)。1791年、日本人の漂流民大黒屋光太夫が帰国を願うため、エカテリーナ2世(在位:1762年 – 1796年)に謁見した場所としても知られる。”ピョートル大帝の夏の宮殿”とともに、その周辺を含めて世界遺産に指定されている。

真っ白な大理石の階段に赤いカーペットがしかれ、窓にも同じ色の赤カーテンの階段を床を傷つけないように、靴カバーをつけて上る。最初は客人を招いての会議、晩餐会、舞踏会が行われたという「鏡の間」で、金と鏡とクリスタルで構成された豪華な間だ。漂流した大黒屋光太夫が帰国願いをする為に謁見した場所でもある。

鏡の間に続いて、第一の控えの間、第2の控えの間、第3の控えの間と続く。

次に続くのが”アラベスクの間“。エカテリーナ2世時代の1780年代に控えの間を個人の公室として改装したもの。エカテリーナ2世の好きな椅子も含めて青色貴重の部屋だ。天井や壁がアラベスク模様で、この名前がついている。

「白の主食堂」は皇室一家が毎日食事を摂った部屋。中央には金貼りの椅子を並べた食卓が置かれ、壁には鳥やウサギなどの動物を描いた大きな絵画、棚にはエカテリーナ2世がザクセン王国(現ドイツ)のマイセン窯に注文したという豪華な陶磁器やいかにも高価そうな食器などが飾られています。ずっと続く廊下も金、金と続く。

続きの部屋は「赤の間」と「緑のの間」と名付けられたやや小振りな部屋で、それぞれ赤と緑の柱を模った壁装飾が特徴的だ。

次がこの宮殿最大の見どころ「琥珀の間」です。
1716年にプロイセン王がピョートル大帝に贈った琥珀を娘のエリザヴェータが1746年に「冬宮殿」の「謁見の間」の装飾に利用、その後1755年に「エカテリーナ宮殿」に移されて琥珀のモザイクで覆われた部屋が作られた。撮影禁止だったのが残念だが、近くのアートショップの店頭に琥珀の間を思わす看板があったので掲載しておく。

奥にアレクサンダー1世の部屋があった。18世紀の寄せ木の床や、琥珀のモザイク箱も。


ともかく金がいっぱい使われた贅を尽くした宮殿で、エカテリーナ1世、2世など女帝の権力に大きさに驚かされる。隣り合わせに“エカテリーナ公園”もある。リスも遊んでいた。

次は、ピョートル大帝の夏の宮殿だ。ピョートル夏の宮殿はスウェーデンとの戦勝記念に建設、1721年に完成。第2次世界大戦でナチス・ドイツ軍の攻撃で甚大な被害を受け、50年後の1995年に復元された。王冠のようなクーポラは宮殿の礼拝堂。宮殿に入る前にも噴水がある。紅葉も美しい。

全体で20の宮殿と7つの公園から構成されている。庭園を進むと趣向を凝らした噴水に次々と出会う。庭園内の噴水の数は150を超える。まず、宮殿前のテラスを利用した大滝の噴水で中央にある像はライオンの口を引き裂くサムソン像。ライオンはスウェーデンを表す。宮殿側から眺めると噴水を通してフィンランド湾を臨める。

庭園と様々な噴水だ。いたずらの噴水もいくつかあるが、最初の写真は午後3時に突然歩道に向けて噴き出すもの。

北欧2都&ロシア~ロシア サンクトペテルブルグ編その2~

前稿でエルミタージュ”冬宮殿“の宮殿の様子を紹介した。今回は”旧エルミタージュ“の美術品と、新エルミタージュ(2014年オープン)の美術品(印象派以降の絵画)を紹介する。すべてを紹介する訳にはいきませんが、有名な(私の知る)美術品を中心に紹介したい。

”冬宮殿“に隣接して作られた”旧エルミタージュ“には、イタリア・ルネサンス時代の画家の絵が展示されている。まず、初期ルネサンス時代フィレンチェで活躍したカステルフランコの「ユデット」、フラ・アンジェリコの「聖母子と天使」やシモーネ・マルチーニの「受胎告知の場面–聖母」が目に留まる。

15世紀初めから16世紀半ばまでのルネサンス最盛期の画家、レオナルド・ダビンチの絵が”ダビンチの間“に飾られている。「ブノアの聖母」、「リックの聖母」、そしてティツアーノの「ダナエ」が目に入る。

次に〝ラファエロの回廊”にラファエロの「コネスタビレの聖母」、「聖家族」が。エカテリーナ2世がヴァチカン宮殿のフレスコ画を気に入り、ヴァチカンに模して回廊を作らせたそうだ。

ミケランジェロの彫刻もある。「うずくまる少年」。

スペインのベラスケスやエル・グレコの絵もある。ベラスケスの「昼食」、エル・グレコの「使徒ペトロとパウロ」だ。

オランダを中心に16世紀末から18世紀にかけて活躍したパロック絵画。レンブラントの「裸婦ダナエ」、「放蕩息子の帰還」、ルーベンスの「降架」「スペイン王イザベラの侍女」、ヴァン・ダイクの「「王妃ヘンリエッタ・マリアの肖像」「自画像」などがある。

19世紀後半から20世紀にかけての印象派画家の絵のある新エルミタージュに冬宮殿を出て向かう。まずモネの「庭の女」、「モンジュロンの池」とドガの「踊り子」、シスレーの「川べりの風景」。

ルノワールの「センスを持つ女」、「ジャンヌ・サマリーの肖像」、ポール・シニャックの点描画。

セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」「リンゴのある静物」、ゴーギャンの「果実を持つ女」、ゴッホの「ライラックの木」「山」、ピカソの「訪問」「肩を持つ女」。

20世紀初頭のフォービズムの代表画家マチスの「赤い部屋」「ダンス」。

4時間の足早の見学だったが、ガイドの説明についていくのがやっとの状態。疲れたが、美術品のすごさに大満足だった。次は、エカテリーナ宮殿とピョートル大帝の夏の宮殿を紹介する。

(画家と絵との紐付けをインターネットを使いながら誠一杯努力しましたが、間違っていたらごめんなさい!)

北欧2都&ロシア旅行記~サンクトペテルブルグ編その1~

いよいよサンクトペテルブルグ観光です。午前中市内観光で、午後にエルミタージュ美術館を4時間見学した。翌日、近くのプーシキン氏にあるエカテリーナ宮殿、そしてピョートル大帝夏の宮殿観光が待っている。まずはエルミタージュ美術館から報告する。

エルミタージュ美術館は、宮殿として実際にエカテリーナ2世をはじめとするロシア皇帝(ツァーリ)の住居であった。ここが世界三大ミュージアムとともに世界三大宮殿のひとつとされている所以だ。エルミタージュを構成する、冬宮殿(ロマノ王朝時代の王宮1762)、小エルミタージュ(1775)、旧エルミタージュ(1787)、新エルミタージュ(1864)、劇場エルミタージュ(1786)の五つの建物は、19世紀から約百年かかって完成された。まず冬宮殿を中心とする王家の各部屋をまわり、宮殿装飾を楽しむ。最後の写真はネヴァ川対岸から見た美術館だ。


まず正面玄関を入ってすぐの“大使の階段”。ロマノフ朝時代、各国大使はこの階段を通って皇帝に謁見をしたという。大理石に刻まれた文様、壁面のきらびやかな装飾と天井の絵の豪華さに驚く。

次に、大使の階段を上り冬宮2階を中心とした宮殿装飾を見て回る。まず赤色が目立つ“ピョートル大帝の間”。正面の絵は、勝利の女神ミネルヴァに見守られたピョートル大帝が描かれ、手前の椅子は妹アンナ女帝の玉座。ピョートル大帝の服が飾られている間もある。エリザベート女王を祭る宮廷教会も美しい。

1812年ナポレオン戦争記念の間には、300人の戦士(将軍)が飾られている。

“大玉座の間”は歴代皇帝による謁見の間で、大使の階段から続けて通された外国の大使や使節は、ここで皇帝に拝謁した。エカテリーナの服も飾られており、正面には、ロマノフ王朝の紋章である双頭の鷲が描かれている。

“パヴィリオンの間”(小エルミタージュ)は、エカテリーナ2世の愛人ポチョムキンが暮らしていたという、その愛人が贈った「孔雀の時計」が見ものだ。時計はイギリスの有名な宝飾家が1770年代に制作したもので、女帝エカチェリーナ2世が購入した。時計は現在でも動き、クジャク、オンドリ、フクロウは、1時間ごとに時を知らせることができるそうだ。ローマの湯殿を模したモザイクの床の絵は油絵と見間違うほど。この間から17世紀の庭が眺められる。

“クジャクの間”にはバイカル湖畔産クジャク石のツボがある。
各部屋の家具、装飾小物、天井画、額入り絵画、シャンデリア、モザイクの床などどれをとっても芸術品といえます。

 

これで、今回の「エルミタージュ宮殿」を加え、フランスの「ヴェルサイユ宮殿」、オーストリアの「シェーンブルン宮殿」とともに、世界三大宮殿の達成です。1回では言い尽くせないので絵画編は次の稿で報告します。