「日本人の誇り2」カテゴリーアーカイブ

歴女白駒妃登美さんの講演に感動

博多の歴女「白駒妃登美さん」の事に関しては、今年の2月2回にわたって当ブログで紹介した。

その白駒さんの講演会があるというので、行ってきた(講演会の案内はhttp://jasipa.jp/blog-entry/8115)。白駒さんは慶応大学経済学部を出られた才媛で、大手航空会社のキャビンアテンダントを経て、現在は結婚コンサルティング会社を経営されている。その間、子宮頸がんと闘われ、人生に対する生き方・考え方を苦悶するうちに、子供のころから好きな歴史上の人物の生き方に気付かれ、自分の考え方を変えた途端に、がん細胞も消え、幸せな人生を送られている。その経験談と歴史上の人の生き方の話は、人の心に感動を与えている。

白駒さんは、優秀であるが故に、欧米流の「目標達成型」の生き方で、試験、資格取得など叶えたい夢は次々に叶えていかれた。しかし、この生き方は欲望が際限なく広がり、達成感は得られても、安心感、幸福感が生れることはないことに、ガンとの戦いの中で気付かれた。そして「天命追求型」、すなわち、「自分の与えられた環境やご縁に対して、意味を見出し、とことん信じぬく生き方」に目覚められた。今、自分の置かれた環境でベストを尽くす。それを続けていくと、天命に運ばれ、いつしか自分では予想もしなかった高みに到達するとの考え方だ。そこでは、自分の夢だけを考える「For me」より、周囲に喜びや笑顔を与える「For you」の精神、つまり志が優先される。その「天命追求型」の生き方が、日本人が歴史の中で培った素晴らしい生き方であることに闘病を通して気付かれた。この生き方に気付かれて3週間後の検査で、医師も驚く「転移していたものも含めてすべてのガン細胞が消滅」したのです。

今回のご講演もキーワードは「天命追求型」「For meではなくFor you」「夢は自分のみ、志はリレーされていく」「感謝と報恩」だった。マザーテレサや正岡子規の話に加え、伊能忠敬の千葉県佐原での造り酒屋経営の立て直しにおけるFor youの精神、晩年の17年間40,000km歩き奉仕の精神で作成した精巧な地図(日本の文明レベルをバカにしていたペリーはこの地図を見て日本の文化の質の高さに驚いた)の話を通して、日本人の生き方の素晴らしさをお話しされた。また、前田利家の娘「豪姫」と浮田秀家の悲恋物語を題材に、秀家の八丈島への島流し後、秀家の死後も含めて250年間、前田家11人の殿様が八丈島の島民にコメなど物資を送り続けた由。まさに「志はリレーされる」の典型的な事例に、心を動かされた。詳しくは白駒さんの著書「人生に悩んだら日本史に聞こう(ひすいこたろうさんとの共著、祥伝社)」を参照ください。

悩みは、過ぎ去った「過去」を悔やみ、「将来」への不安から来るもの。「いまここ」を見れば悩みはない筈。だから何も悩まず、ベストを尽くせる。曹洞宗大本山總持寺参禅講師大童法慧氏の説話「いま、ここ」(http://jasipa.jp/blog-entry/7593)にも通じる話だ。1時間半のご講演の間、ずっと笑顔で丁寧に、かつ迫力を持って話される白駒さんに400人の参加者は大きな拍手で応えていた。

トルコ地震の犠牲者宮崎さんにトルコの人たちの熱い思いが!

今朝の日経34面に「“ミヤザキ”忘れない~トルコ地震日本人死亡1年~」という記事が掲載されている。まだ我々の記憶に鮮明に残っているが、昨年10月に起きた600人以上の犠牲者を出したトルコ大地震の被災者救援で駆けつけていた宮崎淳さん(当時41歳)が11月の余震で宿泊していたホテルが倒壊し、命を落とされた、その宮崎さんの話だ。

トルコ東部ワン地区の支援に当たっていたが、山奥の寒村まで出向き「何は必要ですか」と丁寧に聞いて回る宮崎さんの姿を村人も覚えている。宮崎さんを取材した地元カメラマンは「世界中からワンに来た多くの救出部隊の中で、宮崎さんの活動は特に印象に残った」と。地を這うような被災地支援は地元で大きく報じられたそうだ。そんな宮崎さんの訃報に、村人の多くが泣いたと言う。この悲報以降、「ミヤザキ」と命名した施設が各地で相次ぎ誕生している。ある大学の付属歯科病院が事故直後「アツシ・ミヤザキ歯学部クリニック」に改名した。歯学の副学部長は「遠い国から命がけでトルコを助けに来てくれた日本人に敬意を表するため」とその狙いを話す。同大では、宮崎さんの功績を記録した冊子の作成予定もあると言う。イスタンブールでも、防災施設の名称を「アツシ・ミヤザキ交通教育・防災公園」と改名したが、それ以降防災意識が高まり、受講者数が例年の7倍になったとか。

宮崎さんの所属していた「難民を助ける会」や、宮崎さんと同じホテルに宿泊していて奇跡的に助かった近内みゆきさんも、トルコで引き続き活動をされていると言う。「ミヤザキ」の名前はトルコで永遠に生き続ける」と宮崎さんのタクシーの運転手を務めた人は言う。

今回の件も、歴史が語る、世界が感嘆する「日本人の美質」の一つと言える。トルコは親日国として有名である。その事例としてよく言われるのが、1985年に勃発したイラン・イラク戦争の際の、トルコ航空による邦人救出劇である。イラクがイラン領空の全航空機を攻撃対象とする発表をしたために、テヘランにいた在留邦人250名が帰国できず孤立する恐れとなった。海外に自衛隊機を派遣できなかった日本の代わりに、トルコ政府はトルコ航空機をイランに派遣。結果、イラクの攻撃設定期限直前で在留邦人はイランから脱出できた。

その約100年前エルトゥールル号事件というのがあり、それが親日となった大きなきっかけと言われている。外務省ホームページによると、明治天皇の親書の答礼として1890年に、オスマン・パシャ提督率いる総勢650名の使節団が軍艦エルトゥールル号に乗り1890年に日本へやってきた。しかし、帰路、同使節団は和歌山県串本町大島の沿岸で台風により沈没してしまう。結果、オスマン提督含む587名の乗組員が死亡する惨事となったが、付近住民の献身的な救助により69名の乗組員を救出。後に日本海軍の巡洋艦によりトルコへ帰国した、というもの。

このことが、トルコでは教科書にも掲載され、教育にも使われているため、ほとんどのトルコ人は知っていると言う。

今朝の朝日新聞のスポーツ欄にもう一つ、日本人として嬉しい話が載っている。「模範プレー、藍に勲章」、宮里藍が米女子ツアーで、最も模範的なゴルファーとして全選手間投票で選ばれたのだ。「「ウィリアム&モージー・パウエル賞」である。このようなことの積み上げが、あるフランス詩人の言葉「私はこの民族だけは滅びて欲しくないと願う民族がある。それが日本民族だ(http://jasipa.jp/blog-entry/6167)」という言葉に繋がり、日本の世界における存在感を高めることに繋がっている。まさに日本人の誇りとして、我々もこの美質を引き継いでいかねばならない。

日本食がアメリカで見直された!

1977年フォード大統領時代、アメリカでは心臓病の死亡率が一位で、癌は二位だったが、心臓病だけでもアメリカの経済はパンクしかねないと言われる程医療費が増大していた(1977年には1180億ドル―約25兆円)が、そんな財政的危機を何とか打開しようということで、医療改革が進められた。そして、その一環として上院に「国民栄養問題アメリカ上院特別委員会」を設置し、全世界からよりすぐりの医学・栄養学者を結集して「食事(栄養)と健康・慢性疾患の関係」についての世界的規模の調査・研究が7年間の歳月と数千万ドルの国費を投入して行なわれ、5000ページに及ぶ膨大な報告がなされたが、それを「上院レポート」又は委員長の名前をとって「マクガバンレポート」と呼んでいる。

そのレポートの中で、「世界で最も理想的な食事は、元禄時代(1700年前後)以前の日本人の食事だ」と結論付けている。それは雑穀を主食とし、海藻の入った味噌汁、旬の野菜と近海で捕れる魚を副食とする食事だ。そして、その報告書を読んだアメリカ人が目覚めたのが和食で、いまではアメリカに1万店以上の和食店が出来るに至っている。

逆にその頃から日本では、アメリカで「食べるな」と警告されたハンバーガーなどのファストフードを盛んに食べるようになったと言う。

これは、「致知2012.9」の「いま日本の進むべき道」の記事の中で、東京大学名誉教授月尾嘉男氏と東北大学大学院教授安田喜憲氏との対談で月尾氏が日本の固有の文化を日本人自身が気づいていない一例として紹介したものだ。

安田氏は、上記話に続いて、「財布を落としてもそのまま戻ってくるという世界でも稀なる国をつくった日本人は、人を信じる心が残っている。その心は縄文と稲作漁労の連綿とした歴史の中で築かれてきたもの」と言っている。アインシュタインが来日した時、「日本人の心の優しさや美しい立ち居振る舞い、正直な心の原点が日本食にあるのではないか」と言ったそうだ。

ほんとに日本人は、自国の事を教えられていない中で、「日本人の誇り」どころか「敗戦国」としての負のイメージに捉われている人が多いと言われている。我々高齢者が、若い人たちに、積極的に日本人の良さ、日本の良さを説明し、海外に出ても自信を持って他国と接することが出来るようにせねばならないと痛切に思う。