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過剰飲酒は損失4兆円???

今朝の日経26面エコノ探偵団「若者の飲酒、実は増えている?」の記事の一角にひっそりと書かれた「取材メモから」のコラムの標題が「過剰飲酒は損失4兆円」が気になった。主題では、「非公式の場で上司に相談できる環境を作ることが、個人の生産性に貢献する」として、日立ソリューションズや武蔵野などの企業が社内飲み会を促進する制度(会社の決めるルールに則って飲み会を実施した場合会社が補助する)を実行に移していることを紹介している。

ここで紹介するコラムは、「飲酒習慣のある人は、現在の利益を将来の利益より優先させる場合がある(行動経済学)」として、翌日の朝に大事な会議があるにもかかわらず、目先の満足を優先させ深酒するケースなどが当てはまるとしている。厚生労働省の研究班の推計によると、不適切な飲酒による社会的損失は年間4兆1483億円、内訳は医療費1兆101億円、死亡による労働損失1兆762億円、労働生産性低下による損失1兆9700億円となっている。

京都大学の依田高典教授は、毎日飲む人は最も自制力が弱く、週1~数回飲む人は最も自制力が強い人で、「休刊日を作れる自制力のある人は、仕事についても先延ばしなどせずに効率的に行えることを示している」と言う。

厚生労働省の推計根拠の詳細は分からないが、前日飲みすぎてキーマンが翌朝の重要会議に遅れてくるような事象は頻度は多くなくてもそのような場に遭遇した経験者はかなりいるのではと思う。会議出席者の待ち時間や機会損失を考えると、損失は明らかだ。私事で恐縮だが、私もついつい飲みすぎる方で、何度か飲んで意識がなくなりどうやって家に帰ったか記憶にないことも何度かあった。が、大抵の場合、翌日は休みの日だったと思う(特に年末の納会は毎回記憶なし)。しかし家内からも怒られ毎回反省するがなかなか・・・。

アサヒビールの調査では、「酒宴で人とのつながりが深まった」との回答が13年は79%(04年は69%)と増えているとのこと。上記会社の制度も、「役職が2つ上の管理職との飲み会」、「くじで選ばれた5~6人の飲み会」などと、輪を広げることを条件に補助を出している。このような飲み会の効用は言うまでもないが、飲み過ぎ、飲ませ過ぎにはくれぐれもご注意を!「酒類の消費量を増やして日本のGDPに寄与している」との言い訳もありそうだが、自分が病気になるとお客さまに多大な迷惑をおかけすることになると思えば、少しは控え目にできるのでは・・・。飲んで場を盛り上げることも重要だが、控えめに飲みながら場を盛り上げる、これがほんとの「飲み上手」!「翌日も気分一新、爽快に出勤」といきたいものだ。

自給率向上のためにも和食を見直そう!

「食乱れて国家滅びる~日本の伝統食こそ国の生命線だ~」の当ブログ記事で紹介(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/entry/9055)した小泉武夫氏が「食と日本人の知恵」(岩波書店。2002.1)と言う本を出版されている。少し前NHKの番組で、一番の安全保障対策は「食料自給率を挙げること」との話があったが、小泉氏が主張されていることでもある。その番組で、戦後の米国の日本占領時代(6年8ヵ月)、米国で小麦が大量に余っていたことから、その消化のために日本にパン食が初めて導入されたそうだ。特に学校給食などに導入されたことで、飛躍的に家庭に普及したということだ。小麦を大量に消費している限り日本の食料自給率は高まらないこともあるが、日本食が健康のためにも世界的に見直されている(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/entry/8024)ことから京都の小学校などでは給食に日本食を取り入れる試みを始めているそうだ。

昨年12月に和食が「ユネスコ文化遺産」に登録された。和食を無形文化遺産にしたいと最初に考えたのは、京都の料理人たちだったそうだ。子どもたちに食材や料理の知識を伝える「食育」の活動の中で、日本の伝統的な料理を知らない子どもが多くいることに気づき「このままでは和食が滅ぶ」。そんな危機感から、無形文化遺産に登録して保護しようと、政府に働きかけ始めたとの事。世界遺産登録をきっかけに、和食の普及に政府も力を入れようとしている。地域の食文化を伝える「食育」の活動をさらに広げていくことや、食文化を学び、多くの人に伝える人を育てるなどの活動が始まっている。その日本食に関する先人の驚くべき智恵に関して、小泉氏は書いている。

牛蒡(ごぼう)」は日本人だけが食べる。栄養源にはならないが腸内清掃や、腐敗菌の増殖防止に役立つものだ。「こんにゃく」も腸管の清掃役だ。

塩辛」は日本人のどん欲なまでの魚の利用法(無駄をなくす)と美的追求心から生まれた知恵。鰹(かつお)の腸を利用した「酒盗(しゅとう)」、ナマコの腸から「海鼠腸(このわた)」、アユの腸や卵から「うるか」、イカの腸から「白づくり」や「黒づくり」など。

徳川家康は魚が大好物で、江戸城に入城した際、摂津の国の佃村名主らを呼び寄せ今の佃島で漁業を興させた。大きな魚は献上し、小雑魚は自家用にして保存食品を作った。それが「江戸名物・佃煮」となって拡がった。佃煮は材料を限定しないため、その土地の特産物を佃煮にしてしまう。金沢では「ゴリと胡桃」、山形の「鯉」、静岡の「ウナギ」、桑名の「ハマグリ」、富山の「ホタルイカ」、岡山の「穴子」。広島の「昆布、のり、小鯛」など枚挙にいとまなし。日本列島は隅から隅まで佃煮王国。

私も朝はパン食が普通になってしまった。ホテルに泊まった時は朝食は和食にしているが、一汁三菜も見直したいと思う。

「初心忘るべからず」は誰の言葉?

初心忘るべからず」と言う言葉は誰もが知っている言葉と思う。が、この言葉のルーツを知っている人は少ないのではないかと思われる(私も初めて知りました)。室町時代、芸の極意を残した能楽の大成者・世阿弥の残した言葉だそうだ。

この言葉は一般的に「物事を始めたときの気持ちを忘れるな」との意味で使われている。が、能楽の専門家である西野春雄法政大学名誉教授は、世阿弥の説く「初心」とは、芸の道に入って修業を積んでいる段階での未熟さの事と言う(「致知2014.7」世阿弥に学ぶ~まことの花を咲かせる生き方~より)。しかも芸能者として“未熟さ”は若い年齢のものだけにあるのではなく、各年齢にふさわしい芸を習得した者にもあり、それが幾度も積み重ねられるもので、一生涯積み重ねてきた「初心」を忘れないために稽古を貫くこと、そしてそれを子孫に伝えていくことが世阿弥の「初心」論だとも。

インターネットで調べると、「初心忘るべからず」に続いて「時々の初心を忘るべからず」「老後の初心を忘るべからず」との文言が続いている。年代に応じて、その時の自分の芸(スキル)を振り返り、その未熟さを認識し、その後の芸(スキル)の習熟に活かす。より高い所を目指した世阿弥の言葉として味わい深いものがある。

今年は世阿弥生誕650年。西野氏は、世阿弥の一流たる所以は、先輩や競争相手の良さを認め、彼らからの芸からも貪欲に学び、自分の芸を常に高めていた事だと言う。

「初心忘るべからず」にも通じる言葉として

時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかるこころなり

というのがある。若い時に「時分の花」が咲きほこり、周囲の人の賞賛を真に受けて自分が名人のレベルに達していると勘違いしてしまうとそこで役者としての寿命は尽きてしまう。我々にも通じる言葉だ。年を重ねても、常に自分を高める努力をし続けることが“生きる”事と言える。初心を忘れず、心したい。