我が家の愛猫逝く(25日)


今日の日経夕刊4面に、歌人の小島ゆかり氏の「愛猫のたますけ」とのコラム(プロムナード)がある。まさに猫の態様を表わしたものと、微笑みながら読み終えた。

「自分の体を、日々大切そうに隅々まで嘗め、食事の時は食事に排泄の時は排泄に集中し、時々草を噛んでは歯を掃除し、草と共に毛玉を吐いては胃腸を洗浄し、見事なまでに自己管理を続けている。」

まさにその自己管理で、我が愛猫「ルイ子」は17年間病気らしい病気をせず、我々を癒してくれた。

「さらに精神的にも強い。過去を振り返らず、未来を頼まず、そうかといって、今を懸命に生きている風でもない。ある時は、窓にたたずむ姿に哀愁を感じて抱きしめようとしたところ、窓の外の鳥を追って歯を鳴らしていた。哀愁どころか、野生の狩猟本能が目覚めていたのだ。」

寝るときは寝る、何かして欲しい時は鳴く、自然体で過ごしながらも、ベランダの花の実を狙ってきた鳥に対しては、ガラス越しとは言え、目と体が戦闘態勢に入る姿はまさに野生本能そのものだ。

「呼べども呼べども無視をつらぬくかと思えば、台所に立つ気配は決して聞き漏らさず、あからさまにすり寄って食べ物をねだるが、そんな時すら、卑屈な表情など微塵も見せない。そして欲求が満たされれば、感謝もへったくれもない。」

冷蔵庫を開ける音や、好物の刺身(特にマグロ)を買ってきたときには敏感で、別室で寝ていても、いつの間にやら家内にまとわりついている。私にも、手から食べ物をほしいとねだり、ペロペロおいしそうに食べるも、食べ終わったらプイとどこかへ行ってしまう。

昨日(25日)早朝、東京転勤後の生活を一緒した我が家の愛猫「ルイ子」が息を引き取った(http://jasipa.jp/blog-entry/6656)。17歳位と思う。何も食べられないようになって10日間、老衰状態で、自然体での死だった。家内はかなりのショックを受けていたが、我々を癒してくれた「ルイ子」に精一杯の看病が出来(二晩も付ききりで寝ずの看病)、悔いはないと言っている。明日、家内の里に行って、埋葬してやる予定だ。(写真は、14日成人の日、大雪をバックに)

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