金木犀の香りに故郷の祭りが重なります!


金木犀のなんともいえない香りがあちこちで漂っています。昨日のJASIPAゴルフコンペ会場の鶴ヶ島GCでも、木犀の木が非常に多く、気持ちよく秋を感じながらプレイできました。

この香りを嗅ぐと、必ず思い出すのが故郷姫路の「灘のけんか祭り」です。姫路の我が家には、高さ5~6メートルの金木犀の大木が二本あり、子供の頃からこの香りが10月の祭りと重なり合うのです。私の家は屋台蔵のすぐ近くのため、9月になると練習する太鼓の音が毎夜遅くまで響き渡ります。

祭りは10月14日、15日に行われます。姫路駅からは南東にあたる瀬戸内海に面した地域ですが、当日は学校はもちろん、銀行や会社はすべて休みになり、山陽電車も特急が臨時停車します(新日鉄広畑もこの日は創立記念日として休みです)。7つの村から2トン以上もある化粧屋台が朝早くから豪華絢爛に担ぎ出され、15日の本宮では朝7時に出立ち、夜の10時頃に屋台に電飾をつけた姿で村に帰って来ます。この化粧屋台の練り合わせも見ものですが、さらに有名なのが3台の神輿(これは人がのらない)の練り合わせです。7村が練り番と言って毎年交代で当番となり、一つの村で年齢層を3つに分けて3台の神輿を担当します。この神輿の練り合わせは、神宮皇后の三韓征伐の帰りに3艘の船が港に寄り、船底についた牡蠣や貝をお互いの船が擦り合わせて取ったとの故事に倣っての事だと言われ、お互いに神輿をぶつけあって壊せば壊すほど神様が喜ばれるとの事で、それは激しくぶつけ合い壊しあいます(ぶつけあった後、若者は神輿の屋根に登り勝鬨をあげると同時に足で神輿の屋根を踏みつけ壊します)。神輿や屋台の練り合わせを見られるのが、二つの山に囲まれた天然の練場で、二つの山には桟敷席(と言っても段々畑)が設けられますが、ほとんどの席(むしろを敷いた)は永久予約で新規に取るのはまず困難な状況です。それでも20万人以上が見物に訪れます。

7村では、正月よりもこの祭りを中心に1年が廻ります。外に出ている人もこの日は必ず帰って来る、帰ってこなければ村八分にあうと言われているほどです。奥さん方は夜を徹して客人のために料理に贅を尽くすのが習いで、東京などから結婚して村に入った奥さん方の中には、この風習についていけなくて、帰ってしまう人もいます(贅を尽くした弁当は朝の4時に各村の公民館に持っていけば、祭りの役員が見物する山に運んでくれます)。また10月に入って亡くなられた方は祭りが終わるまで葬式は挙行出来ませんし、亡くなられた方の関係者は祭りに参加出きません。

このような祭りが長年続けられるのも、外に出ている人に帰ってこざるを得なくする制度が有る故だと思います。同期のものは「連中」と称して慶弔関係はもちろん、家族旅行なども行い、1年中のお付き合いを通じて絆を深めます。また近所の集まり、同じ宗派の人の集まりなど、二重三重にコミュニティを形成し、お互いに祭りを守り立てるのです。

時々全国放送で紹介されています。いつだったか、松岡修造さんが取材していました。私が子どもの頃は、菅原文太さんや坂本九さんも来られていました。最近ではBSジャパン9月8日1時間番組で紹介されたようです。ホームページもありますが下記写真から雰囲気を感じていただけるかも知れません。東山村(紙手がピンク色)が私の故郷です。

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