聖路加国際病院日野原先生のお人柄を偲ぶ!

2017年に惜しまれながら105歳の天寿を全うされた聖路加国際病院の元院長日野原重明氏。亡くなられる直前に日野原氏のたっての願いで、骨折してベッドに横たわれる状態の時も含めてのインタビュー内容が2020年に出版された。題名は「生きていくあなたへ~105歳どうしても遺したい言葉~」(2020.4刊、幻冬舎)。102歳の時、「長い人生の中で歌を聴いて神様を感じたのは初めて」と日野原氏に言わせた韓国のテノール歌手ベー・チュチョルのプロデューサー輪嶋東太郎氏がインタビュー形式で日野原氏の言葉を紡いだ本だ。ちなみに、この出会いの後「日野原重明プロデュース ベー・チェチョルコンサートを全国で10回開かれたそうだ(you tubeで日野原氏指揮のもと日野原氏作詞作曲の「愛のうた」を歌うベー・チェチョルが見られます)。今回の対談も、「愛する人々に言葉を残したい」との強い思いで、他の仕事をすべてキャンセルされている状態の中で輪嶋氏に頼んで実現できたそうだ。

この本では輪嶋氏が問いかけることに対し日野原氏が答える形で進めている。「人目ばかりが気になります。自然に自分らしく生きていく秘訣はありますか?」、「愛することと愛されること、先生はどちらを重視しますか?」、「家族や恋人、大事な人にきつい口調になってしまったり、素直に感情表現ができません。」、「人間は孤独な存在なのでしょうか?」、「そもそも愛って何ですか?」、「自分のことを嫌いだという人とどうすればうまく付き合えますか?」など36個の問いに日野原先生は自らの信条に基づいて丁寧に答えられている。

最後の質問「先生の次の目標は何ですか?」の問いに対しては、人間の生きる目的は”愛“だと言い切り、そのために、残り少ない時間を精一杯使って、人のために捧げること。そしてその過程で、未知なる自分と向き合い、自己発見をすること。それを最期のその時まで絶え間なく続けていくこと。そのためには、これからも何度も何度も苦難にあうでしょう。でもその苦しみが大きければ大きいほど、きっと自分には大きな自己発見がある。それを超えて自分の時間を人々に捧げる。その喜びは苦難と比例して大きなものであると信じ、ただただ、ありのままに、あるがままに、キープオンゴーイングだ。

延命措置を断り自宅療養されている人の言葉とは思えません。実際、そのあと元気を取り戻された時期もあったそうですが、インタビュー後5か月半で旅立たれた。

詳しくは述べませんが、長い人生を生きぬくための考え方が学べ、元気をもらえる書だと思います。

最期に、先生作詞・作曲の「愛のうた」全文を記しておく。これは先生が90歳を過ぎたころ、ホスピスで毎日のように天に召されていく人達を前にボタンティアをしていたコーラスの方々のために作られた曲だそうです。

「愛の歌」

我ら いまここに 心を合わせ 善き業(わざ)のために この時を過ごさん

愛の手を求める その声に応えて いとしみの心 人々に送らん

我ら いまここに 力を合わせ 報いを望まで 奉仕にぞ生きなん

捧げる喜び 心こそ溢るる

愛するあなたに 愛をば送らん 愛をば送らん

君子は義に喩り、小人は利に喩る(論語)

標題は、「論語」において、孔子は成人男子を君子と小人に区分し、二者を対比することで人の生きる道を説いたものだ。君子、即ち真に立派で賢明な人物は、事に当たって「義」を第一に考え、行動するが、つまらない人物、愚者は真っ先に私利私欲に走り、行動すると。

8月24日に90歳の天寿を全うされた稲盛和夫氏は、いろんな場面で「動機善なりや、私心なかりしか」と自分に言い聞かせ、施策などを点検された。JAL再生に、無給で日本のために、社員のために、高齢にもかかわらず尽力されたことが、まさに利ではなく義に喩られた稲盛氏の人生そのものだ。

「致知2022.7号」でJFEホールディングス名誉顧問数土文夫氏が、国の品格や健全性は、義に喩る国民の多寡によって決まるとの「巻頭の言葉」を寄せられている。1900年米国で「武士道」を刊行した新渡戸稲造は、「義」は武士にとって最も厳しい教えであり、裏取引や不正ほど忌み嫌われるものはないと、さらに「義」は正義の道理であり、国、社会に対する成人の責任義務であると言っている。数土氏は、この記事の中で、「我が国では、コロナ禍の中で休業補償費を詐取して処せられる高級官僚、法務大臣の地位にありながら、自ら選挙違反行為をして実刑に処せられる者、安全第一を社是としながら、公的検査で不正を働く自動車メーカーおよびその経営者等々、利に喩る嘆かわしい成人が後を絶たない」ことを嘆くと共に、偉大な先人たちの教えをもとに国民が覚醒し、我が国がこの時代の分岐点に果敢に道を切り開いていくことを願って止まない、と訴える。

「地球上で、最後まで残ってほしい国は“日本”」とたしかフランスの著名人が言ったとの記憶があるが、数土氏ご指摘のような事実が、その後もあとを絶たない日本の現実に日本の将来が心配だ。昨今世の中を騒がせている旧統一教会問題に関する国会議員を見ていると、選挙に勝つためには何をしてもいいとの態度が見て取れる。国会議員を“選良”すなわち “優れた人&選ばれた人”と呼ぶらしいが、東京五輪の元理事と同じく、利権欲しさで、何をしてでもともかく選ばれる人になりたいと言うのが国会議員ともいえる体たらくだ。こういう人を選んだ私も含めた国民にも責任はあるが・・・。

ともかく、今の子供たちの未来を作り、人を育てる環境を作る、そんな日本に国会議員が先頭に立って、模範を示しながら進めていく,そんな日本になってほしい。数土氏が言う「国の品格や国の健全性は、義に喩る国民の多寡によって決まる“を胸に、いろんな行動につなげていきたい。

過去2回の”日本が消え去る国難”を克服できたのは?

愛読書「致知」の8月~9月号に、“元寇”に毅然と対応した執権北条時宗と、“日露戦争”勝利に寄与した明治天皇の人物鑑識眼の記事があった。共に戦力の圧倒的劣勢の中で、敗戦して居れば“日本は存在しなかった”とも言われ、今の日本存在分岐点ともいえる大きな出来事だった。

2001年北条時宗をテーマとしたNHK大河ドラマがあったが、今放映中の「鎌倉殿の13人」の北条時政、北条義時が1,2代の執権で時宗は第8代の執権だ。18歳の若さで執権になり、最初の元寇は1274年(文永:時宗23歳)のこと。元の皇帝フビライハーンが日本に朝貢を求めてきた。朝貢は元に服従することを意味する。時の鎌倉幕府は敢然と拒否。これに怒ったフビライは27000人の軍を編成し日本に来襲した。一方日本は時宗の呼びかけで集まった軍勢は5000人。10月20日朝から夜まで激烈な戦闘が続き、日本軍は劣勢の中、果敢に戦い、敵は夜襲を恐れ大半が船に戻った。その時猛烈な暴風雨が博多湾を襲い、元軍は15000人が死亡。戦意を失い逃げ去った。その7年後(弘安)、フビライは野望を捨てず、14万人の兵をもって2回目の元寇を企てる。日本も塹壕を構築、村上水軍なども戦列に加わり、敵の船に乗り込んで火を放つなど勇敢に善戦し、元軍は2か月たっても上陸できない状態が続いた。と、その時またもや農風雨が襲来、大半の兵を失い元軍は撤退。時宗30歳。

次に日露戦争(1904-1905)。8月号の「明治天皇に学ぶ日本人の生き方(日本政策研究センター主任研究員岡田幹彦氏筆)」の記事から引用。これに負けておれば、今の日本はロシア領になっていたという。たしかに、19世紀後半から20世紀にかけてほとんどすべての非西洋諸国が欧米列強の植民地・属国となったが、我が日本民族のみが近代国家として新生し独立を全うすることができたのだ。

国力差では横綱と幕下ほどの圧倒的な差があるロシア帝国になぜ勝てたのか?岡田氏が言うのは、明治天皇のもと日本人が一致団結して戦ったという精神的な要素が大きいが、中でも明治天皇の絶大な信認を受けた二人の傑出した将軍・乃木希典と東郷平八郎の働きは格別だったと言う。ロシア太平洋艦隊を撃破した東郷が、東京に戻って宮中宴会に招かれたおり、海軍軍令部長が天皇に東郷の交代を進言した折、天皇が「東郷を変えてはならぬ」と厳命。この天皇の深い信任に感動・感奮した東郷は、ロシアバルチック艦隊を全滅させ、世界海戦史上空前の大勝を遂げ、現在に至るまで世界中から絶賛されている。乃木も、最大の難戦だった旅順要塞戦において、二度にわたる総攻撃に失敗し多大な人的損害を出した。しかし、これは参謀本部が敵戦力を読み間違え、乃木率いる軍団に十分な戦力を与えなかったことが主な理由だったが、国民からは非難の大合唱が起こった。同じ長州藩参謀総長山縣有朋さえ、乃木を交代させるしかないと天皇にお伺いを立てたほど。ところが天皇は、だれよりも旅順要塞戦の困難さを洞察し、乃木で苦戦しているなら他の誰に変えてもうまくいかぬとあくまで乃木を信じられた。結果的に、息子二人が戦死するも、到底人間技とも思われない力戦死闘によりついに旅順を陥落させた。旅順を落としたことが、奉天会戦、日本海海戦、ひいては日露戦争勝利に繋がった。明治天皇の人物認識眼が日本を救ったと言える。

今を考えると、ロシアによるウクライナへの軍事進攻が半年続いている現状がある。毎日ウクライナの人たちの悲惨な状況を目の当たりにするにつけ、戦争が如何に非人間的な行為であるかを実感させられる。ウクライナ国民の死をも恐れず立ち向かう姿を見ると何とも言えない気持ちになるが、やはり戦争は絶対避けなければならない。テスラのイーロンマスク氏が日本の人口減少に関して「日本はいずれ存在しなくなるだろう。これは世界にとって大きな損失になる」と警告を発したと言う(7月号「データが教える日本危機(東京大学月尾嘉男名誉教授)」より)。世界には日本の風土、気質を評価する人も多い。中国やロシアに領土を奪われることは絶対あってはならないが、プーチンのようなリーダーと外交で何とか話し合い、戦争を回避できるように、日本には強力なリーダーが欲しい。核の傘に依存した軍事力強化だけではこの悲惨な戦争は逃れられない。No more Hiroshima&Nagasaki!を肝にきざんで!

冲中一郎