サッカーW杯、歴史的な勝利で決勝進出!ブラボー!

12月2日早朝の決勝トーナメントをかけた対スペイン戦に勝利した快挙に日本中が沸き立っている。世界ランキング7位のスペインに、これまで勝ったことのない24位の日本がどこまで戦えるか、正直不安の方が大きかった。が、見事にドイツ戦と同じく後半戦の逆転劇を演じてくれた。朝4時からの試合をみていたが、ボールポジション率17%というW杯最低の状態に、ほんとに最後までびくびくしながら見ていた。が、よくディフェンスが頑張り、7分のロスタイムも凌ぎ“ドーハの歓喜”をドイツ戦に続き見せてくれた。最近の暗い世情の中の明るいビッグニュースを提供してくれた監督、メンバーに感謝しかない。

喜びに沸く中、鎌田や権田などメンバーが口にした言葉が印象的だった。「過去は変えられないけど、未来を変えることはできる」と。この言葉は、コスタリカに悔しい敗戦をしたときに、森保監督がメンバーに発した言葉だと言う。監督のこの言葉に、メンバー全員が納得し、前を向いて戦った結果が、今回の対スペイン勝利につながったと言う。監督とメンバーの信頼関係があるからこそ、この言葉が試合後のメンバーの口からほとばしり出たのだと感じた。

ドイツ(11位)、スペイン(7位)を倒した侍ジャパンに世界は驚愕し、今回のW杯で日本旋風を起こしている。この風を決勝トーナメントでも吹かし、次のクロアチア戦も勝ち抜き、優勝も狙ってほしい。

日本の世界へのアピールという点では、試合後の“ごみ拾い”もFIFAから表彰され、世界を驚かしている。今では他の国にも波及し、“ゴミ拾い”が世界に広がりつつある。“地球が滅びるとしても、最後まで残ってほしいのが日本”とフランスのある方が言われたそうだが、そんな文化・伝統を世界に広げる日本応援団の行動に頭が下がる。頑張れ、日本!

追悼!稲盛和夫のすごさ!

稲盛和夫氏が今年8月24日享年90歳で亡くなられた。致知12月号の特集は「追討 稲盛和夫」だ。その巻頭言の一部を下記する。

”巨星墜つ“。その業績は巨星の名にふさわしい。京セラを開業、一代で1兆円を超す世界的な企業に育て上げた。さらに52歳の時に創業した第二電電はKDDIとなり、現在5兆円を超すマンモス企業となった。それだけに留まらない。2兆3千億円の負債を負って倒産した日本航空の再建を託され、会長に赴任したのは78歳の時である。就任1年目に1800億円の利益を出し、その翌年も2000億円の黒字を計上、就任後2年8か月で日本航空の再上場を果たした。しかし、経営者としての大業を称揚するだけでは、稲盛氏の真価に迫ることはできない。稲盛氏の非凡さは、みずからが真剣(ド真剣!)に仕事に打ち込む日々の中で体得した仕事哲学、人生哲学を著書や講演活動で余すことなく解き明かし、その言葉に多くの人が惹き付けられ、多大な影響を受けたという点にある。

今回の特集では、稲盛さんとの親交を通じて、その心を学び、活かし、その学びを他の人にも伝えたい方々の熱い言葉が並ぶ。京セラ、KDDI,日本航空の方々以外にも、永守日本電産会長、柳井ファーストリテイリング会長兼社長、門川京都市長、伊藤京都サンガFC社長など、そしてサッカーの岡田武史氏と元日ハム監督の栗山氏の対談もある。ほんとに多士済々、多くの方の、稲盛氏の経営哲学、人生哲学を実行に移し成功した体験談だ。

中でも、2013年10月2500名を超える参加者が集った大阪国際会議場での稲盛氏の講演録の中にある稲盛氏の人生哲学の出発点ともいえるエピソードに興味を持った。

稲盛氏の言葉で私にとって、もっとも印象的なのは、”利他の心”と”動機善なりや、私心なかりしか”だ。日本航空の再建を頼まれた時、航空業界は全く素人であり、高齢でもあったことから何度も何度も断られたそうだ。周囲も”晩節を汚すのでは”と心配してくれる友人も多かったそうだ。そんな状況下で、最後決断したのは「世のため、人のため役立つことをなすことが人間として最高の行為である」との人生観だったと言う。この人生観を得たのは経営の悩みに悩んでいた若い頃出会った安岡正篤の「立命の書“陰騭録(いんしつろく)”を読む」だそうだ。人はあらかじめ決められた運命に従って生きていく中で、善いことを思ったり、善いことを実行したりすることで、人生が良い方向に向かっていく「因果の法則」があるのではと思いつつ、あるときに出会った前述の本で、その考え方の正しさを確信された。400年ほど前、中国明の時代に書かれた本で、著者は袁了凡という若くして科挙に受かり、出世した人だ。彼が幼い頃出会った白髪の老人から、医者になりたいとの親子の意向に対して「彼は科挙の試験を受けて立派な高級官僚として出世する」と言われ「何歳で科挙に合格し、その後も何歳で高級長官とさり、結婚して子供は出来ず53歳で死ぬ運命にある」と言われた。まさにその通りの人生を歩み、地方の長官として赴任した土地で、とある禅師に会った。その禅師に彼は「私の人生は、白髪老人が言ったとおりの人生で何の迷いもなく心穏やかに53歳までの人生を過ごします」と言ったら、その禅師は「聡明な賢人と思ったら、大バカだった!」と烈火のごとく怒ったそうだ。その禅師曰く「確かに人には運命というものが備わっている。しかしその運命のままに生きるバカがいますか。運命というのは変えられるのです。“因果の法則”というものがあり、人生を運命のまま生きていく途中、善いことを思い、善いことを実行すれば運命は良い方向へと変わっていきます。逆に悪いことを思い、悪いことを実行すると運命は悪い方向に行く。この因果の法則というものが我々の人生は皆、厳然と備わっている。」と。彼は素直にこの話を信じ、奥様と一緒に善いことを思い、善いことを実行することに心がけた人生を歩み始めた。その結果、息子も生まれ70歳を過ぎても元気にしていたそうだ。

稲盛氏は、自らの人生哲学にこの本で確信を得て、その後の人生も、自ら打ち立てた経営・人生哲学に徹し、人生をド真剣に生きてこられた。その結果がすばらしい業績を残されたことにつながった。特に日本航空では、無償での貢献だ。すばらしい生き方と感服しつつ、わが身の生き方にいまさらながら反省しきりだ。黙祷!

聖路加国際病院日野原先生のお人柄を偲ぶ!

2017年に惜しまれながら105歳の天寿を全うされた聖路加国際病院の元院長日野原重明氏。亡くなられる直前に日野原氏のたっての願いで、骨折してベッドに横たわれる状態の時も含めてのインタビュー内容が2020年に出版された。題名は「生きていくあなたへ~105歳どうしても遺したい言葉~」(2020.4刊、幻冬舎)。102歳の時、「長い人生の中で歌を聴いて神様を感じたのは初めて」と日野原氏に言わせた韓国のテノール歌手ベー・チュチョルのプロデューサー輪嶋東太郎氏がインタビュー形式で日野原氏の言葉を紡いだ本だ。ちなみに、この出会いの後「日野原重明プロデュース ベー・チェチョルコンサートを全国で10回開かれたそうだ(you tubeで日野原氏指揮のもと日野原氏作詞作曲の「愛のうた」を歌うベー・チェチョルが見られます)。今回の対談も、「愛する人々に言葉を残したい」との強い思いで、他の仕事をすべてキャンセルされている状態の中で輪嶋氏に頼んで実現できたそうだ。

この本では輪嶋氏が問いかけることに対し日野原氏が答える形で進めている。「人目ばかりが気になります。自然に自分らしく生きていく秘訣はありますか?」、「愛することと愛されること、先生はどちらを重視しますか?」、「家族や恋人、大事な人にきつい口調になってしまったり、素直に感情表現ができません。」、「人間は孤独な存在なのでしょうか?」、「そもそも愛って何ですか?」、「自分のことを嫌いだという人とどうすればうまく付き合えますか?」など36個の問いに日野原先生は自らの信条に基づいて丁寧に答えられている。

最後の質問「先生の次の目標は何ですか?」の問いに対しては、人間の生きる目的は”愛“だと言い切り、そのために、残り少ない時間を精一杯使って、人のために捧げること。そしてその過程で、未知なる自分と向き合い、自己発見をすること。それを最期のその時まで絶え間なく続けていくこと。そのためには、これからも何度も何度も苦難にあうでしょう。でもその苦しみが大きければ大きいほど、きっと自分には大きな自己発見がある。それを超えて自分の時間を人々に捧げる。その喜びは苦難と比例して大きなものであると信じ、ただただ、ありのままに、あるがままに、キープオンゴーイングだ。

延命措置を断り自宅療養されている人の言葉とは思えません。実際、そのあと元気を取り戻された時期もあったそうですが、インタビュー後5か月半で旅立たれた。

詳しくは述べませんが、長い人生を生きぬくための考え方が学べ、元気をもらえる書だと思います。

最期に、先生作詞・作曲の「愛のうた」全文を記しておく。これは先生が90歳を過ぎたころ、ホスピスで毎日のように天に召されていく人達を前にボタンティアをしていたコーラスの方々のために作られた曲だそうです。

「愛の歌」

我ら いまここに 心を合わせ 善き業(わざ)のために この時を過ごさん

愛の手を求める その声に応えて いとしみの心 人々に送らん

我ら いまここに 力を合わせ 報いを望まで 奉仕にぞ生きなん

捧げる喜び 心こそ溢るる

愛するあなたに 愛をば送らん 愛をば送らん

冲中一郎