社員の人脈、業績にも影響?!(4月18日日経)

これまでも人脈つくりの重要性に関して、いろんな方の御意見も含めて紹介してきた。例えば、「人間とは、その人が今までの人生の中で会った、すべての人の総和である」(http://okinaka.jasipa.jp/archives/36)の言葉はけだし名言と思う。4月18日の日経朝刊の「エコノミクス・トレンド」の「社員の人脈、業績にも影響」とのタイトルでの京都大学若林直樹教授の記事に注目した。最初の出だしに

「ビジネスパーソンとして成功するには、良い人脈が大切とされる。社内での人脈が発展していることは、会社にとっても、職場でのコミュニケーションの活発化、まとまりの高さ、意思決定の速さ、ノウハウや情報の共有が進むとされる。」

とあった。

日本人社員は集団主義的なので人脈構築能力が多分高いと思われている。が、現実には国際的にみてそれほど高くないと言う。OECDの国際比較調査では、同僚との付き合いレベルで日本人は加盟国平均と同じで、韓国や米国より低いとされている。従って、企業の「見えざる資産」と位置付けられている「社内ネットワーク」を強化するためには、各企業において何らかの施策をうつ必要性を提言している。若林氏は、各国の研究成果を見ると、社員の社内ネットワークが、組織活動の高さ、知識移転とイノベーション(革新)、リーダーシップ開発への効果が論じられていると言う。JAL改革で稲盛氏がアメーバ経営を導入するに際し、仕事の上で同僚に対し「思いやりを持ち、誠実に」支援することの奨励策が改革を促進した。IT企業でのネットワーク活性策として挙げているのは、「IBM技術アカデミー」制度で国際的な技術討論の機会を与える施策や、日本サイボーズは、社員たちに対して「仕事Bar」という組織活性化策を実施し、複数部門の社員が会議室で食事をしながら仕事に関連した〝ゆるい話“をすることを支援している。いずれも、知識移転ネットワークの活性化策だ。

社内ネットワークが効果的に形成されると、組織の目標に向かって人と人の関係をうまくまとめる役割を持つ人が現れる。ネットワークを通じてリーダーシップを発揮する人だ。食品スーパー大手のライフコーポレーションは、店長に研修の一環として、パート従業員と積極的でポジティブなコミュニケーションをするよう訓練し、彼らのリーダー能力開発を進めている。

ただ、長期雇用の日本企業では管理職や経営者の社内ネットワークが長期にわたり、固定的で、しがらみを生みやすいこともあり、社内改革に対して大きな抵抗勢力になることもある。しかし、ますます環境変化の激しい時代を迎えて、自律的集団にするための社内ネットワークのあり方を検討し、企業の活性化につなげるための社内ネットワークの価値を見なおし、「見えざる資産」とするための施策を考えていくことも重要だと思う。

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“消費主義社会の敵”ムヒカ元大統領来日!

4月5日から12日の予定でウルグァイのムヒカ元大統領夫妻が来日された。東京外国語大学での講演や、テレビ出演での池上彰氏との対談など高齢(81歳)にもかかわらず精力的に活動された。訪日のテーマは“日本人は本当に幸せですか?”で、特に若い人たちに聞いてみたいとの事で大学での講演となったようだ。ムヒカ大統領の名言の一部は、当ブログの「世界で一番貧しい大統領」(http://okinaka.jasipa.jp/archives/3840)で紹介した。ムヒカ氏の言葉に多くの人が感動するのはなぜだろう。自ら「足るを知り」、はた目からは元大統領がなぜこんな貧しい生活をしているのかと思う生活を、自身は「一番幸せな生活」と言い切り実践している所だろう。政治は多数決、従って多数派の生活を実践するのが一番というのがムヒカ氏の言葉だ。

「脱・成長戦略で“1億総幸福社会”を!(http://okinaka.jasipa.jp/archives/4326)」でも言ったが、経済成長必ずしも幸福ではなく、全地球人が先進国並みの一人当たりGDPを実現することを地球そのものが許容出来ない(資源、水、食料が圧倒的に足りない)。ムヒカ氏は自らを「消費主義社会の敵」と称し、「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と言う。さらには「お金があまりに好きな人たちには、政治の世界から出て行ってもらう必要があるのです。彼らは政治の世界では危険です。お金が大好きな人は、ビジネスや商売のために身を捧げ、富を増やそうとするものです。しかし政治とは、すべての人の幸福を求める闘いなのです」とも言っている。しかし、現実は、政治とカネの問題はなくならない。

朝日新聞で「憲法を考える」と言う連載コラムが続いているが、4月5日朝刊に「“経済による国の成長”に収斂」との記事があった。自民党の憲法改正草案の前文に「我々は、自由と規律を重んじ、美しい風土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」とある。コラム氏は、この前文を「環境破壊には気をつけながら、教育などのすべての行動は、経済成長によるますますの発展につなげなければならない」と受け止めている。この議論は、大いに分かれるところでもあり、以前も「大国志向一辺倒で良いのか」などの議論はあった。が、昨今の新自由主義運営(競争社会)やそれが生んだ格差社会の深化が世界的に大きな問題になっており、日本でも学問までが経済成長に奉仕するものであるかのように扱われがちな現状には、大学人からも意義申し立てが相次いでいると言う。アメリカの哲学者マーサ・G・ヌスバウム氏は、これを世界的な傾向として、民主主義に不可欠な諸能力が競争の中で見失われつつあると著書「経済成長がすべてか?」で警告している。「繁栄はしているものの民主的でなくなった国に住みたいと思う人はいないでしょう」とも問いかけているそうだ。

アメリカの調査会社の調査結果が公表されているが、先進7か国の幸福度はすべて20位以下、コロンビアとフィジーが1,2位を占めている。純粋幸福度(「幸福を感じている人の比率」―「不幸を感じている人の比率」)で順位付けしているが、格差が激しい国ほど順位を下げているとの分析結果には納得性がある。ちなみにコロンビアは85点、85ヶ国の平均は56、日本は28位で52点だ、アメリカは42位、43点だ。折しも14日の各新聞で「子どもの貧困格差、日本は先進41カ国中34位」とユニセフの調査結果を報じている。1985年から2012年にかけ、格差は拡大し、真ん中の所得が約177万円から211万円に上がったのに対し、最貧困層の所得は90万円から84万円に下がったと言う。9日の記事では10代、20代の社会人の59%が自動車購買予定なし(自工会調査)とあった。将来に不安を持つ多くの人たちに消費を促す政策ではなく、足らざる所を補い合ってともに生きる社会の実現こそ、国の求めるところではないだろうか?ムヒカ氏の言葉に、もっと真剣に耳を傾けてはどうだろうか。(写真出展:www.countercurrents.org

ムヒカ大統領

創業者早川徳次の理念を忘れたシャープ?!

4月4日の各新聞で下記のような報道があった。

「経営再建中のシャープを傘下に収める台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業は、シャープの創業者、早川徳次氏(1893~1980年)の記念館をつくる検討に入った。大正時代に会社を起こし、日本を代表する総合家電メーカーにシャープを育てた早川氏の功績を顕彰する。」

「PHP松下幸之助塾2016.3-4」に歴史作家北康利氏による「早川徳次不撓不屈の男」の記事があった。北氏曰く、「世に“伝説の創業者”と呼ばれる人は、いくつもの艱難辛苦を乗り越えて成功を掴んでいるのが常だが、早川徳次が歩んだ道の峻嶮さは他に類を見ない。だがそれでも彼は挫けることなく前を向き続けた。そして挑戦することをやめなかった。(中略)今を耐え忍んでいるシャープの皆さんにその不撓不屈の人生を思い起こしてほしい」と言う。

北氏の記事を読むと、信じられない人生を歩んでいる。1歳11か月で母親の病気故に出野家に里子に出される。継母による折檻は尋常でなく、殴る蹴るは日常的で、厳寒の中、肥ツボに突き落とし、近所の人の声でしぶしぶ井戸に連れて行って氷のような水をかぶせる

ことも有ったと言う。見るに見かねた近くの祈祷師の救いの手で7歳10か月の時、かんざしや洋傘の付属品を作る金属加工を生業とする丁稚奉公先に行ったが、契約金や毎月の小遣いも継母に全部持って行かれ苦しい生活を余儀なくされた。ろくに学校にも行けなかったが、努力を怠らず、職人としての腕を磨き、「徳尾錠」(穴をあけずにベルトを締める)や、水道自在器(水道栓の先につけて蛇口を自由な方向に向ける器具)を考案し、それがヒットしたことで独立を決意(18歳10か月)し、江戸本所に仕事場を借りた。ここで名を轟かせることになる繰出鉛筆[シャープペンシル]の改良版に取り組んだ。これがまずは海外で有名になり、その波が国内に波及して売れに売れ兄と共に“早川兄弟紹介を設立、工場も本所以外に押上、亀戸と3工場を建設するまでになった。しかし、また大きな不幸が襲う。関東大震災だ。家も工場も、そして最愛の妻と二人の子どもも失い、失意の中で、会社を解散。販売を委託していた日本文具製造から借金の取り立てがあり、シャープペンシルの特許を無償提供し、技術指導のために従業員14名と共に大阪に向かう。日本文具製造を辞し、大阪の片田舎の後のシャープ本社となるとに工場兼事務所を建設し、「早川金属工業研究所」を設立(30歳)。その後も国産ラジオ受信機第一号機(シャープラジオ)の開発、そして戦後の混乱の中で倒産の危機に瀕したが、それを克服し、国産テレビ第一号(1951年)、カラーテレビと世界初のトランジスターテレビ(1960年)、世界初のオールトランジスタ電卓第一号機(1964年)、世界初のIC電卓(1966年)、手のひらサイズの電卓(1969年)と時代の先を見つめ、ライフスタイルを変える革新的発明にこだわった製品を次から次へと開発してきた。

シャープの企業理念は“いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術をもって、広く世界の文化と福祉の向上に貢献する”だ。これは早川徳次の理念でもある。今回のシャープの悲劇は薄型テレビで市場を席巻したのち、さらに超大型の投資をしたものの価格競争に巻き込まれてしまった。つまり、「いたずら」に規模の拡大をおった事が取り戻せない失敗となってしまった。これは、「質」を求めてきたシャープの歴史の中で、「量」をおったが故とも言える。

不本意にも鴻海(ホンハイ)の傘下となったが、創業者早川徳次の理念を噛みしめ、再起を図ってほしいと切に願う。

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冲中一郎