北欧2都&ロシア旅行記~サンクトペテルブルグ編その1~

いよいよサンクトペテルブルグ観光です。午前中市内観光で、午後にエルミタージュ美術館を4時間見学した。翌日、近くのプーシキン氏にあるエカテリーナ宮殿、そしてピョートル大帝夏の宮殿観光が待っている。まずはエルミタージュ美術館から報告する。

エルミタージュ美術館は、宮殿として実際にエカテリーナ2世をはじめとするロシア皇帝(ツァーリ)の住居であった。ここが世界三大ミュージアムとともに世界三大宮殿のひとつとされている所以だ。エルミタージュを構成する、冬宮殿(ロマノ王朝時代の王宮1762)、小エルミタージュ(1775)、旧エルミタージュ(1787)、新エルミタージュ(1864)、劇場エルミタージュ(1786)の五つの建物は、19世紀から約百年かかって完成された。まず冬宮殿を中心とする王家の各部屋をまわり、宮殿装飾を楽しむ。最後の写真はネヴァ川対岸から見た美術館だ。


まず正面玄関を入ってすぐの“大使の階段”。ロマノフ朝時代、各国大使はこの階段を通って皇帝に謁見をしたという。大理石に刻まれた文様、壁面のきらびやかな装飾と天井の絵の豪華さに驚く。

次に、大使の階段を上り冬宮2階を中心とした宮殿装飾を見て回る。まず赤色が目立つ“ピョートル大帝の間”。正面の絵は、勝利の女神ミネルヴァに見守られたピョートル大帝が描かれ、手前の椅子は妹アンナ女帝の玉座。ピョートル大帝の服が飾られている間もある。エリザベート女王を祭る宮廷教会も美しい。

1812年ナポレオン戦争記念の間には、300人の戦士(将軍)が飾られている。

“大玉座の間”は歴代皇帝による謁見の間で、大使の階段から続けて通された外国の大使や使節は、ここで皇帝に拝謁した。エカテリーナの服も飾られており、正面には、ロマノフ王朝の紋章である双頭の鷲が描かれている。

“パヴィリオンの間”(小エルミタージュ)は、エカテリーナ2世の愛人ポチョムキンが暮らしていたという、その愛人が贈った「孔雀の時計」が見ものだ。時計はイギリスの有名な宝飾家が1770年代に制作したもので、女帝エカチェリーナ2世が購入した。時計は現在でも動き、クジャク、オンドリ、フクロウは、1時間ごとに時を知らせることができるそうだ。ローマの湯殿を模したモザイクの床の絵は油絵と見間違うほど。この間から17世紀の庭が眺められる。

“クジャクの間”にはバイカル湖畔産クジャク石のツボがある。
各部屋の家具、装飾小物、天井画、額入り絵画、シャンデリア、モザイクの床などどれをとっても芸術品といえます。

 

これで、今回の「エルミタージュ宮殿」を加え、フランスの「ヴェルサイユ宮殿」、オーストリアの「シェーンブルン宮殿」とともに、世界三大宮殿の達成です。1回では言い尽くせないので絵画編は次の稿で報告します。

北欧2都&ロシア旅行記~フィンランド・ヘルシンキ編~

今日は午前中ヘルシンキ観光を行い、午後列車でサンクトペテルブルグに移動する。

先史時代(〜1155年)、スウェーデン時代(1155年〜1809年)、ロシアによる大公国(フィンランド大公国)時代(1809年〜1917年)を経て、フォンランド王国として1917年に独立し、今年独立100周年のフィンランドの首都がヘルシンキだ。1812年ロシア・ロマノフ王朝アレクサンドル1世がスウェーデンの影響を弱くするためにサンクトペテルブルグに近いヘルシンキを首都とした。
まずは、フィンランドが生んだもっとも尊敬され、もっとも有名な作曲家シベリウスのモニュメントがあるシベリウス公園へ。海を見下ろす公園の中にシベリウスの顔面の彫刻と、森の木をイメージするパイプの集まりのようなモニュメントが岩盤の上に建てられている。何の変哲もない公園だが、このモニュメントを見るため多くの人が訪れるそうだ。

次に行ったのが、テンペリアウキオ教会。1960年代に岩盤をくり抜いて地下空間に埋もれる形で実現した近代建築の教会だ。入り口を見ると盛り上がった崖の様子がよくわかる。中に入ると岩肌がむき出しになった空間に天井のスリットから採光し、祭壇とともにコンサート用にも使われる、なんとも不思議な雰囲気を醸し出しているルター派教会。

エテラ港(ヘルシンキ港)は、タリン、ストックホルム、サンクトペテルブルグなどに向かう豪華客船が行きかう。周辺には市庁舎、大統領官邸(写真左側建物の右端)、北欧最大のロシア正教教会ウスペンスキー協会が見える。1899年設立のオールド・マーケットホールや、テント市場も賑わっている。観覧車には、VIP籠とサウナ籠があるとか(色の違う籠)。

エテラ港から歩いて数分で、ヘルシンキのシンボル的存在である大聖堂に着く。19世紀半ばにドイツの建築家エンゲルが設計した御影石が敷き詰められた元老院広場を囲む、大聖堂、ヘルシンキ大学、国会議事堂が建設され、今では市民の憩いの場としてヘルシンキのシンボル的場所となっている。中央にはロシア・ロマノフ王朝アレクサンドル2世像がある。


大聖堂内は比較的シンプルで、中央の祭壇画はロシア皇帝ニコライ1世により寄贈されたキリストの埋葬を題材とした絵が飾られている。後方にはパイプオルガンが。ルター派教会のためマルチン・ルターなどの像もある。


フィンランドは、”ムーミン“を生んだ国(トーベ・ヤンソン)。人気のムーミングッズやマリメッコなどの北欧ブランドが土産物店では揃っている。フィンランドの郷土料理”にしんのフライ“を食した後、ヘルシンキ中央駅から特急列車「アレグロ」でロシア・サンクトペテルブルグに向かう。”アレグロ“はそれまで5~6時間かかったのを3.5時間に短縮するために2010年に開通した高速新線で、2011年にはプーチン大統領も開通記念で乗車したそうだ。列車がロシアに入った途端、入国審査官が厳しい顔で乗り込んできて、荷物などの検閲もしていた。

明日はエルミタージュ美術館見学だ。

北欧2都&ロシア旅行~エストニア タリン編~

初日は、朝早く7時30分のフェリーでヘルシンキからエストニアの首都タリンに向かう。2時間強の行程だが、定員2040名9階建ての大型フェリーで心地よい船旅だった(線所から眺めた朝日、エストニアの国旗がはためく船尾)。

エストニアの地は、ドイツ、デンマークとロシア、スカンディナヴィアを結ぶ軍事戦略地点として大いに着目されたため、たびたび各国の侵略、占領を受けた歴史を持つ。1918年にやっと独立を達成したが、その後もナチス・ドイツやロシアの侵攻を受け1991年に再度独立を果たした。1219年デンマークの侵攻を受けた際、デンマーク王によりトーンペア城が築かれた。南西の塔は「のっぽのヘルマン塔」と呼ばれ、高さは46メートルもあります。“タリン”はエストニア語で「デンマークの城」との意で、トーンペア城がその名の由来となっている。世界遺産となっている旧市街は、13世紀から14世紀にかけて作られた強固な城壁に囲まれている。トーンペア城の本丸(ピンクの建物)は今は国家議事堂となっている。

国会議事堂の前には、ロシア正教の宗教建築アレクサンドル・ネフスキー大聖堂がある。1905年にロシア・ロマノフ王朝17代アレクサンドルⅢ世の命によってエストニアの民族運動を抑えるために建てられた。歴史的にエストニアの人々にはあまり歓迎されていないようで、一時は取壊しの計画すらあったそうだ、それでもエストニアに住むロシア正教の信者(国民の25%)にとっては今も大切な教会となっている。バルチック艦隊の出航地で、エストニア人の戦死者を追悼するプレートも飾られている。すぐ近くにタリン最古の教会「聖マリア教会」がある。こちらはルター派の教会の中心的存在となっている。キリスト系の聖ニコラス教会もある。いろんな教会が共存するのが、侵攻・侵略の歴史を物語る。

城壁に囲まれた旧市街に足を踏み入れれば、まるで絵本の世界に迷い込んだかのよう。中世の建物がそのまま残る歴史地区はトーンペア地区も含めてユネスコ世界遺産としても登録されている。昔ギルトが住んで今はアーティストのアトリエなどが集まる聖カタリーナ通りや、「セーターの壁」と呼ばれるおばあちゃん達が手編みをしながらセーターや帽子を売っているミューリバヘ通りなどもある(城壁の壁に赤い屋根が突き出ている)。

途中にある2か所の展望台から背の高い聖オラフ教会、そして赤屋根の可愛らしい街並み、そしてバルト海が一望できる。

タリン歴史地区の中心となるのが、タリン旧市庁舎の建つラエコヤ広場 だ。広場に通じる通りには店頭に面白い飾り物があった。その一角に1422年来のヨーロッパ最古の薬局がある。中に入ると普通の薬を販売していますが、奥の部屋に行くと「焼き蜂」や「ユニコーンの角の粉末」など、中世の怪しげな薬が展示されている。タリン独特のお菓子(薬?)「マジパン」を売り出したのもこの薬局。

1864年創業のタリン最古のカフェ「マイアスモック」ではマジパンをベースにした可愛いオブジェが人気で観光客を呼び寄せている(材料の72%はアーモンド、残りの28%は秘密だという薬)。

昼食も含めて6~7時間歩いたが、一見する価値のある街だ。16時30分のフェリーでヘルシンキへ戻り宿泊。

冲中一郎