北欧2都&ロシア ~サンクトペテルブルグ編その4~

エルミタージュ美術館、エカテリーナ宮殿、ピョートル大帝夏の宮殿を紹介してきたが、サンクトペテルブルグにはほかにも見所は多い。

まず朝一番に行ったのはスモーリヌイ修道院。ピョートル1世の娘であるエリザヴェータ女帝が18世紀に創設した。中央にあるメインの建物が有名で、青と白の壁の上に3つの尖塔と高さ94mに達する時計塔が立っている。

サンクトペテルブルクには、ロシア正教の美しい教会がたくさんある。そのうち、”血の上の救世主教会”と”聖イサク大聖堂”に行った。”カザン聖堂”はネフスキー通りでバス内から写したものだ。

“血の上の救世主教会”は、公式にはハリストス復活大聖堂という。ここは、1881年にロシア皇帝アレクサンドル2世(62歳)がテロリストにより暗殺された場所で、その弔いのために建てられた(高さ62m)。サンクトペテルブルグの他の教会と異なり、ロシアの民族性を意識した玉ねぎ形の屋根に見られる中世ロシア的な造形が特徴。横にはエカテリーナ運河があり、遠くにカザン聖堂が見える。

聖イサク大聖堂は高さ102m、面積が800平方mを誇る世界最大級の教会で、圧倒的な存在感がある。ピョートル大帝の守護聖人であるダルマチアの聖イサクの名を冠したこの聖堂は、アレクサンドル1世の時代に、フランス人建築家モンフェランの設計により建築されたが、地盤の関係で40年もの歳月を費やし、1858年に完成した。内部に入場すると、その圧倒的な大きさに驚かされます。圧巻は中央大ドームで、102mの高さの内部空間を仰ぎ見ることができる。東正面にキリストの復活を描いた大きなステンドグラスがある(ロシアで初めてのステンドグラス)。ロシア正教の寺院では珍しいものだ。この両側には、ピョートル大帝、エカテリーナ2世、アレクサンドル1世、聖ネフスキー、聖母子、聖パウロ、聖イサクなどの絵が飾られている。緑の柱はクジャク石。樫の木にブロンズのレリーフを貼り付けた扉と、キリストの誕生と聖ペドロのモザイク画。

デカブリスト広場(元老院広場)にあるピョートル1世(大帝)の騎馬像は別名「青銅の騎士像」とも呼ばれる。後ろの黄色いきれいな建物は広場の西側に建つ元老院の建物。ネヴァ川ほとりのワシリ島にあるロストラの灯台柱(円柱)。「ロストラ円柱」とは、拿捕した敵艦船の船首「ロストラ」を切り取り、それを柱に装飾として固定したものを意味するそうだ。 この円柱は海戦勝利記念柱だ。もう一つはネヴァ川ほとりのペテルパヴルフスク要塞だ。処刑されたロマノフ王朝のラストエンペラーのニコライ二世と、その家族が眠る所だ。

これで4回にわたって紹介したサンクトペテルブルグ編を終える。ほんとに見所一杯の美しい都市だ。

北欧2都&ロシア旅行記~ロシア サンクトブルグ編その3~

今回は、サンクトペテルブルグから南約25kmのツアールスコエ・セロー(現在のプーシキン市)にある“エカテリーナ宮殿”と、南西約30kmのペテルゴーフにある“ピョートル大帝夏の宮殿”を紹介する。

”エカテリーナ宮殿“は、ピョートル大帝の后でもあった、第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世(在位:1725年 – 1727年)に由来する。その後、第4代ロシア皇帝アンナが増築し、第6代皇帝エリザベータがロココ調に立て直し今の規模となった(1756年)。とりわけ「琥珀の間」が有名である。10万個の琥珀は、第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ・ナチス軍に持ち去られた(いまだに財宝ハンターが探し続けているそうだ)が、1979年から始まった復元作業により、2003年に完全に復元された(残念ながら「琥珀の間」は撮影禁止)。1791年、日本人の漂流民大黒屋光太夫が帰国を願うため、エカテリーナ2世(在位:1762年 – 1796年)に謁見した場所としても知られる。”ピョートル大帝の夏の宮殿”とともに、その周辺を含めて世界遺産に指定されている。

真っ白な大理石の階段に赤いカーペットがしかれ、窓にも同じ色の赤カーテンの階段を床を傷つけないように、靴カバーをつけて上る。最初は客人を招いての会議、晩餐会、舞踏会が行われたという「鏡の間」で、金と鏡とクリスタルで構成された豪華な間だ。漂流した大黒屋光太夫が帰国願いをする為に謁見した場所でもある。

鏡の間に続いて、第一の控えの間、第2の控えの間、第3の控えの間と続く。

次に続くのが”アラベスクの間“。エカテリーナ2世時代の1780年代に控えの間を個人の公室として改装したもの。エカテリーナ2世の好きな椅子も含めて青色貴重の部屋だ。天井や壁がアラベスク模様で、この名前がついている。

「白の主食堂」は皇室一家が毎日食事を摂った部屋。中央には金貼りの椅子を並べた食卓が置かれ、壁には鳥やウサギなどの動物を描いた大きな絵画、棚にはエカテリーナ2世がザクセン王国(現ドイツ)のマイセン窯に注文したという豪華な陶磁器やいかにも高価そうな食器などが飾られています。ずっと続く廊下も金、金と続く。

続きの部屋は「赤の間」と「緑のの間」と名付けられたやや小振りな部屋で、それぞれ赤と緑の柱を模った壁装飾が特徴的だ。

次がこの宮殿最大の見どころ「琥珀の間」です。
1716年にプロイセン王がピョートル大帝に贈った琥珀を娘のエリザヴェータが1746年に「冬宮殿」の「謁見の間」の装飾に利用、その後1755年に「エカテリーナ宮殿」に移されて琥珀のモザイクで覆われた部屋が作られた。撮影禁止だったのが残念だが、近くのアートショップの店頭に琥珀の間を思わす看板があったので掲載しておく。

奥にアレクサンダー1世の部屋があった。18世紀の寄せ木の床や、琥珀のモザイク箱も。


ともかく金がいっぱい使われた贅を尽くした宮殿で、エカテリーナ1世、2世など女帝の権力に大きさに驚かされる。隣り合わせに“エカテリーナ公園”もある。リスも遊んでいた。

次は、ピョートル大帝の夏の宮殿だ。ピョートル夏の宮殿はスウェーデンとの戦勝記念に建設、1721年に完成。第2次世界大戦でナチス・ドイツ軍の攻撃で甚大な被害を受け、50年後の1995年に復元された。王冠のようなクーポラは宮殿の礼拝堂。宮殿に入る前にも噴水がある。紅葉も美しい。

全体で20の宮殿と7つの公園から構成されている。庭園を進むと趣向を凝らした噴水に次々と出会う。庭園内の噴水の数は150を超える。まず、宮殿前のテラスを利用した大滝の噴水で中央にある像はライオンの口を引き裂くサムソン像。ライオンはスウェーデンを表す。宮殿側から眺めると噴水を通してフィンランド湾を臨める。

庭園と様々な噴水だ。いたずらの噴水もいくつかあるが、最初の写真は午後3時に突然歩道に向けて噴き出すもの。

北欧2都&ロシア~ロシア サンクトペテルブルグ編その2~

前稿でエルミタージュ”冬宮殿“の宮殿の様子を紹介した。今回は”旧エルミタージュ“の美術品と、新エルミタージュ(2014年オープン)の美術品(印象派以降の絵画)を紹介する。すべてを紹介する訳にはいきませんが、有名な(私の知る)美術品を中心に紹介したい。

”冬宮殿“に隣接して作られた”旧エルミタージュ“には、イタリア・ルネサンス時代の画家の絵が展示されている。まず、初期ルネサンス時代フィレンチェで活躍したカステルフランコの「ユデット」、フラ・アンジェリコの「聖母子と天使」やシモーネ・マルチーニの「受胎告知の場面–聖母」が目に留まる。

15世紀初めから16世紀半ばまでのルネサンス最盛期の画家、レオナルド・ダビンチの絵が”ダビンチの間“に飾られている。「ブノアの聖母」、「リックの聖母」、そしてティツアーノの「ダナエ」が目に入る。

次に〝ラファエロの回廊”にラファエロの「コネスタビレの聖母」、「聖家族」が。エカテリーナ2世がヴァチカン宮殿のフレスコ画を気に入り、ヴァチカンに模して回廊を作らせたそうだ。

ミケランジェロの彫刻もある。「うずくまる少年」。

スペインのベラスケスやエル・グレコの絵もある。ベラスケスの「昼食」、エル・グレコの「使徒ペトロとパウロ」だ。

オランダを中心に16世紀末から18世紀にかけて活躍したパロック絵画。レンブラントの「裸婦ダナエ」、「放蕩息子の帰還」、ルーベンスの「降架」「スペイン王イザベラの侍女」、ヴァン・ダイクの「「王妃ヘンリエッタ・マリアの肖像」「自画像」などがある。

19世紀後半から20世紀にかけての印象派画家の絵のある新エルミタージュに冬宮殿を出て向かう。まずモネの「庭の女」、「モンジュロンの池」とドガの「踊り子」、シスレーの「川べりの風景」。

ルノワールの「センスを持つ女」、「ジャンヌ・サマリーの肖像」、ポール・シニャックの点描画。

セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」「リンゴのある静物」、ゴーギャンの「果実を持つ女」、ゴッホの「ライラックの木」「山」、ピカソの「訪問」「肩を持つ女」。

20世紀初頭のフォービズムの代表画家マチスの「赤い部屋」「ダンス」。

4時間の足早の見学だったが、ガイドの説明についていくのがやっとの状態。疲れたが、美術品のすごさに大満足だった。次は、エカテリーナ宮殿とピョートル大帝の夏の宮殿を紹介する。

(画家と絵との紐付けをインターネットを使いながら誠一杯努力しましたが、間違っていたらごめんなさい!)

冲中一郎