「マチ工場のオンナ」(NHKドラマ

32歳の専業主婦が、父の残した町工場の社長に!
経験ゼロの社長業に、主婦目線の現実処理能力と決断力で奮闘する、サバイバルヒューマンドラマ!
NHKのドラマのインターネットでの紹介文言です。11月24日から毎週金曜日の夜10時から連続7回放映されている人間ドラマだ。主題歌は松田聖子さんの「新しい明日」。2代目社長にNHK初主演の内山理名さん。父は舘ひろしさん。愛知県の町工場ダイヤ精機社長の諏訪貴子氏をモデルにしたドラマだ。

ストーリー(これもインターネットでの番組紹介文から)。
「専業主婦の有元光(内山理名)は、夫・大(永井大)と息子の3人暮らし。ある日、過労で倒れた父・泰造(舘ひろし)の様子を見にいくと、医師からガンで余命4日と告げられる。幼くして亡くなった兄の代わりに光を社長にしようと育ててきた泰造に反発、専業主婦となった光。病床の父を前にしても、自分の気持ちを素直に伝えられない。しかし光は、町工場を守ろうとする父の思いを知り、ついに社長を継ぐと決意。その言葉を聞いて、泰造は息絶える。
社長になると宣言した光に次々試練がやってくる。頼るつもりでいた夫は単身赴任で渡米。光をお飾り社長として見る幹部社員の勝俣(竹中直人)や純三(柳沢慎吾)たちは、光がやることに猛反発。取引先の銀行からは、女性と軽くあしらわれ、別の工場との合併を迫られる。光にとって、町工場を守ることは、亡くなった父・泰造と交わした約束。果たして、光は、町工場を立て直すことができるのか?」

期せずして、数日前に届いた「致知2018.1」に「かくして危機を乗り越えてきた」とのタイトルで、同じように32歳で倒産の危機にあった日本電鍍工業社長に突然就任された伊藤麻実氏と諏訪貴子氏の対談記事があった。
年商3億円、従業員30数名の中小企業(日本電鍍は年商9億円、従業員70名)とはいえ、32歳の専業主婦が突然社長として再建に取り組み、見事に再建を果たし、今では全国各地で年間100回の講演や雑誌の取材で大忙しとのこと。
ドラマにもあるように、父の突然の死に、一時取引先のエンジニアとして勤めた経験はあるにしても、結婚して専業主婦だった諏訪さんがなぜ倒産寸前の会社を経営者として救うことができたのか?だれもが不思議に思うのではないだろうか?伊藤さんも同じだが、共通しているのは“信念と覚悟”のように思われる。著名な経営者の本には全く興味はなく(おそらく差し迫った状況で、今なさねばならない具体的なことは本を見てもわからない、ということ?)、自分の信念(“社員と家族を守る”)を貫き通し、受けたからには退路を断ち、だめだったら、自己破産も覚悟する強い意志がすべての行動につながったものと思える。最初は施策をうつたびに社員から冷たい目で見られたが、“信念と覚悟”に基づく行動が次第に社員の共感を呼び、会社全体が意欲に満ちた元気な会社へと変貌していく。意識改革活動の中で整理整頓を率先垂範で推進し、社長就任1か月で不要なものが4トントラック一杯になったそうだ。その後は、いいことには積極的にチャレンジする風土つくり、そして次には、作られた風土をいかに維持・継続していくかの活動を展開する。社長就任時、不興を買った銀行に半年で黒字化と宣言したが、わずか3か月で数千万円の赤字を黒字にすることをやってのけた。
高度成長の後期に創業された経営者がいまバトンタッチを迎える時期でこれから事業継承のピークになる。諏訪氏は、このドラマが少しでも経営者のモチベーションやヒントになればと言う。このドラマは諏訪氏の著作「町工場の娘」(日経BP社、2014/11/14刊)がベースとなっており、これまで2回の放映を見たが、かなり事実に基づき演じられている感がした。8日夜10時第3回が放映される。3回以降で、どう再建したかが演じられる。期待したい。

36歳でメジャーデビューの歌手”半﨑美子さん”がヒット中!

先月末テレビ(NHKシブ5時)で紹介された“ショッピングモールで客に寄り添う歌手”が気になっていた。「致知2017.12」の「第一線で活躍する女性」シリーズで紹介された半﨑美子さんの記事を読んで、彼女がテレビで紹介された歌手だったことに気づいた。記事のタイトルは「自分よりも、自分の歌が長生きすることを願って」。

半﨑氏は今年4月に36歳でメジャーレビューし、レコチョク(国内最大級の音楽配信サイト)で、シングル1位(サクラ~卒業できなかった君へ~)、ミニアルバム「うた弁」で2位にランクイン、デビュー後初めてのワンマンライブも販売開始からわずか1分でチケット完売という華々しさだ。19歳で札幌大学を中退し、歌の道を目指して何のあてもなく上京し、音楽の道を求めて四苦八苦しながら、32歳の時全国のショッピングモールを回り始めたのが大きな転機になったと言う。200か所以上回り、「ショッピングモールの歌姫」とも呼ばれたそうだ。ライブ後のサイン会でいろんな悩みを打ち明けられ、一緒に涙を流す姿もテレビ放送で写されていた。そしてその悩みを歌にして元気付けたりしながらファンを増やしていった。この経験から、誰かの気持ちに寄り添うような曲を書くようになった。本人曰く「どこにも所属せず、販売網も持たない自分の弱みを強みにできたことが嬉しい。自分でお客様と直接やり取りするので、一人ひとりとの結びつきがすごく強くて、人一倍応援をしていただけました」と。その結果、音楽業界でだれもが憧れる“赤坂BLITZ”という1000人規模のライブ会場で、2014年から3年連続でチケット完売の記録を残した。

心に響く楽曲に由来して「メンタルソングの女王」とも称され、サザンオールスターズの桑田啓佑からも絶賛され、笑福亭鶴瓶師匠からもラジオ番組で応援してもらっている。
「明日へ向かう人」は、サイン会で泣きながらCDを買いに来られた方が、息子さんを交通事故で亡くされたことを聞き作った曲だとか。音楽に人生をかける半﨑氏は、教科書に自分の歌が乗ることが夢で、今年の春、NHKの“みんなのうた”で「お弁当ばこのうた~あなたへの手紙~」が選ばれたことを喜んでいる。多くの人の悩みに寄り添い、歌で元気づける半﨑氏を応援したい。

北欧2都&ロシア~モスクワ編~その2

前稿でクレムリンを紹介したが、その他のモスクワを紹介する。

まずはモスクワ川南岸の展望スポット“雀が丘”。あいにくの天気だったが、モスクワの中心街や、1980 年にオリンピックが開催されたルジニキ オリンピック スタジアムも見える。振り返ればロシアきっての大学“モスクワ大学”が。

クレムリン近くに“ホワイトハウス”とも呼ばれるロシア連邦政府庁舎(ベールイ・ドーム)がある。1991年ソビエト連邦が崩壊し、ロシア連邦が誕生。第1代大統領のエリツィンがホワイトハウスに立て籠もった反体制派に対してモスクワ川の橋の上(写真を撮った場所)から銃撃し多くの人を殺したいわくつきの建物だ。

モスクワ郊外のノボデヴィチ修道院(1524年)。ピョートル大帝の姉ソフィアが、権力闘争に敗れて弟によって幽閉された修道院でもある。トルストイの「戦争と平和」などにも登場する。湖には今はカルガモが泳いでいるが、チャイコフスキーがこの湖に泳ぐ白鳥を見て、「白鳥の湖」を制作したとか。

市内に戻って、再度クレムリンの“赤の広場”にある“聖ワシリー大聖堂へ(1560年)。イヴァン4世(雷帝)がモンゴル戦勝記念で作らせた。ロシアの聖堂でもっとも美しい建物のひとつと言われ、クレムリンと共にユネスコの世界遺産に登録された。この大聖堂の後方は”赤の広場“だ。右側の白い建物(百貨店らしくないが)は、「グム百貨店」(1893年)。国営時代もあったが、今は民営で高級品店も含め200店舗が営業している。次の写真が百貨店内部の写真だ。赤い広場の奥に赤い尖塔のある建物は歴史博物館、左の尖塔は、クレムリン編でも紹介した“ニコリスカヤ塔”だ。左側で広場に突き出た建物が“レーニン廟”だ。

夜景も美しい。最初の3枚が赤の広場(2枚目の奥に聖ワシリ大聖堂、左がグミ百貨店)だ。
次の3枚は赤の広場からホテルに帰る途中の夜景だ。

モスクワのホテルは「メトロポール」。クレムリンに近く、要人が宿泊するホテルらしく、外観はともかく内部はすごかった。朝食(バイキング)にワインがあるのは初めての経験だった。

これで今回の旅行記を終えるが、最も印象的なのはやはりペテルブルグだ。ヘルシンキからの特急列車で夜はじめてロシアの地に降り立った時は、駅周辺が暗くロシアとはこんな雰囲気かと思ったが、ネヴァ川に差し掛かった時、ネヴァ川周辺のライトアップに印象がガラリと変わった。今回は2日間の見学だったが、見所が多く、もっとゆっくり回りたいと強く思う街だった。ロシアに対する印象が多少変わった。

冲中一郎