ベルギー・オランダ旅行~その7~特徴ある都市(ベルギー)

今回はベルギーの都市に加えて、ドイツのアーヘンも紹介する。これで、今回の旅の最終報告とする。

ベルギーのリエージュに近いモダーヴ城。13世紀モダーヴ家によりオユー川沿いの崖の上に建てられた城塞で、17世紀には当時の城主であるジャン・マルシャン伯爵により全面的にフランス様式に改修された。日本人も20数組いるらしいが、ここでは結婚式も行われている。入り口を入るとすぐ”衛兵の間“がある。天井にマルシャン家の紋章と32貴族の家系図をあらわすスタッコ彫刻(化粧漆喰)のすばらしさにまず驚く。次の間が”青い間“で、ギリシャ神話に登場するヘラクレスのテーマで統一した一角。”音楽の間“、”主寝室“なども豪華だ。結婚式を挙げる部屋もある。厨房もある。

モダーヴ城の近くの世界一小さい街“デルビュイ”。ウルト川沿いの人口500人の街だ。要塞として9世紀に建てられた城だ。あいにくの雨模様で、そうそうに引き上げてしまったので、小さな街の魅力の探索が出来なかった。

ブリュッセル郊外にある“ガースベーク城”にも行った。13世紀に建てられた城で、ブリュッセルを治めていたブラバン公の館として建設された。外観と庭のみの見学だったが、庭も美しく整備され、40haの広大な森をのぞむ光景はすばらしかった。クジャクが数匹飼われていた。

最終日にドイツのデュッセルドルフ空港から帰国するため、途中ベルギー・オランダ国境に程近いドイツのアーヘンに立ち寄り、世界遺産(世界で初めて世界遺産に登録された)の”アーヘン大聖堂“を見物した。8世紀末のフランク王国の時代、カール大帝がアーヘンをフランク王国の首都として栄えさせた。大聖堂もカール大帝により建てられた北部ヨーロッパで最古の大聖堂だ。外観は質素だが、内部は天井も含め、金をふんだんに使用したモザイク画で覆われ豪華そのものだ。ここは神聖ローマ帝国時代、600年ほどにわたって神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われていたそうだ。カール大帝の眠る祭壇、八角形のドーム状の天井、天上や柱を覆う金を使ったモザイク、ステンドグラスで覆われるガラスの礼拝堂など見所は多い。

大聖堂の外に出るとモクレンの花が満開だった。カール大帝が大聖堂とともに建設した市庁舎へ行く。大聖堂から市庁舎へ通じる道も中世風の瀟洒な光景が見られる。

今回の旅は若干天気に恵まれない面もあったが、添乗員、ツアー仲間の皆さんとともに、和気あいあいの楽しい旅を味わうことが出来た。私のつたない旅行記、ご愛読いただいた皆様方の何らかのお役に立てればと願っています。記憶違いのこともあろうかと思いますがご容赦ください。

ベルギー・オランダ旅行~その6~特徴ある都市(オランダ)

世界遺産はないが、興味深く一度は訪れてみたいと思われる都市を2回にわたって紹介する。

まずは、オランダのハーグを簡単に紹介する(マウリッツハウス王立美術館は前稿で紹介した)。ハーグは北海に面し、国会議事堂や各国の大使館が集まるオランダ政治の中枢地だ。1899年のハーグ平和推進会議において〈国際紛争平和的処理条約〉(1907修正)が定立されて以来,世界の平和・紛争防止に関するハーグ条約など世界平和のための活動都市となっている。ハーグ条約は、日本でも昨年話題になった、国家間の不法な児童連れ去り防止を目的とした条約、またユネスコによる「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約」、ハイジャック防止に関する条約など多国間に関わる条約である。2番目の文化財の保護に関する規定が第二次世界大戦後のユネスコ設立につながり、世界遺産指定になった。その意味でハーグ条約の世界遺産への寄与は大きい。
1899年のハーグ平和推進会議を契機に建設され、現在は“平和宮として国際司法裁判所の機能を果たしている。国際司法裁判所の裁判官は国籍の異なる15人で構成され、現在のメンバーの中には皇太子妃雅子様の実父小和田恆(おわだひさし)氏もいる。小和田氏は2009年に日本人として初めて国際司法裁判所所長に選出され2012年まで務め、雅子様が皇后になることもあり、今年6月に退任されるとのことだ。日本語で「世界人類が平和でありますように」と書かれた柱があった。

ハーグにあるオランダの政治の中心地ビネンホフ。国会議事堂、外務省、総務省などが集まっている。左の建物が”マウリッツハウス王立美術館”だ。ここでもチューリップが満開。

オランダと言えば風車の街。その風車のある光景で有名な“ザーンセ・スカンス”。アムステルダムから約20kmのところにある。風車の街では世界遺産に指定されているロッテルダムに近いキンデルダイクも有名だ。ザーンセ・スカンスは17~18世紀にザーンランド地方の伝統的な建物が移築・保存されている地域で、風車とともにオランダの原風景が広がる。今では数機しか残っていないが、ザーン川の岸辺の風車と家屋の風情にみとれてしまう。

オランダでも珍しいSL蒸気機関車。アムステルダムの北に位置するホールーンからメーデンブリックまで、ゆっくり、ゆっくり、途中の駅で休憩して1時間程度の旅だ。のどかな風景が広がり、チューリップ畑、風車、ウサギが飛び回る畑なども見られる。

“ミッフィー”の生まれの街ユトレヒトも訪れた。ドム広場に“ドム塔”と“ドム教会”がある。オランダで最も高い塔(112m)とオランダで最も古い教会(元は7世紀頃の木造建築)だ。隣り合わせに”ユトレヒト大学”がある。卒業生・教員の中から12人ものノーベル賞受賞を輩出しているオランダでも最優秀な大学だ。運河沿いも賑わっている。ミッフィーの街の香りは、今回は信号機のみ。ミッフィーミュージアムなどいろいろあるようだが・・・。

同じくオランダのデルフト。フェルメールやデルフト焼き陶器で世界に知られており、マルクト広場や運河沿いなど、昔の王家の栄華を彷彿とさせる史跡もたくさんある。デルフト工科大学のある学生の街でもある。マルクト広場には市庁舎がある。17世紀のルネサンス調の建造物だ。市庁舎に向かい合って立つのが新教会。14世紀に建造されたこの教会はゴシック様式で、教会内部には、オランダ独立達成を目前に、敵の放った刺客の手に倒れたオラニエ公ウィレム1世はじめ歴代オランダ王の棺が格納されている。少し離れたところにある旧教会は、工事中で分かりにくいが傾いている。運河沿いの街並みも美しい。街の名を最も有名にしているのは、この地が生み出した白地に深いブルーの絵付けが美しい陶器「デルフト焼き」。16世紀に中国磁器の影響を受けて生産が始まり日本の伊万里焼にも影響を受けたそうだ。デルフト焼窯元の”ロイヤルデルフト“を訪ねた。デルフト焼きの歴史はもちろん、貴重なアンティーク品や王家に献上したデルフト焼きのコレクションなどを見て周ることができる。

ベルギー・オランダ旅行~その5~美術館巡り

次に紹介するのは、美術館巡りだ。ハイライトは、オランダ ハーグのマウリッツハウス王立美術館だ。フェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」、「デルフトの眺望」、レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」の人気作品が飾られている。

この美術館はビネンホフの隣り合わせにあり、17世紀オランダ領ブラジル総督ヨハン・マウリッツの邸宅だった建物で、オランダ・フランドル絵画の名画が揃う。今回は閉館後の貸し切り見学(最近ツアーでも時々ある)で、余裕をもって見学できた。上記絵画以外にも目を引くものが多い。ルーベンスとブリューゲルの共作「楽園のアダムとエヴァ」は、柔らかいタッチのアダムとイブ(左側)はルーベンス、細かなディテールで描かれた動物たちはブリューゲルが仕上げた。アントワープのノートルダム大聖堂で紹介したルーベンスの「マリア被昇天」、パウルス・ポッターの「牡牛」、ヤン・ステーンの「この親にしてこの子あり」(親のしつけの重要性を説く)などが有名だ。

次に紹介するのはオランダアムステルダムの国立美術館。1889年開館、世界屈指の中世絵画の傑作を収蔵している。

必見は、レンブラントの「夜警」「ユダヤの花嫁」「聖パウロに扮した自画像」、 フェルメールの4作品「牛乳を注ぐ女」、「手紙を読む青衣の女」、「小路」だ。
オランダ出身のゴッホの「自画像」、「モンマルトル」とヤン・ヴィレム・ピーネマン《ワーテルローの戦い》。

次に紹介するのはベルギー王立美術館。ブリュッセルにあり、2003年以来200年以上の歴史を誇る美術館だ。メインとなる美術館はフランドル派を中心とする15世紀から18世紀までの作品を収めた古典美術館と19・20世紀の作品を収めた近代美術館で、2万点以上の所蔵作品を有する。

 

古典を主体に見学した。ブリューゲルやルーベンスの絵が多い。ブリューゲルの「反逆天使の墜落」、「聖マルティヌスの日の葡萄酒」「ベツレヘムの戸籍調査」、ブリューゲルの息子の「黄金の大皿と花輪のある静物」。

ルーベンスの「聖母被昇天(アントワープ大聖堂にもある)」、「聖フランチェスコのいるピエタ」、「ゴルゴダの丘行き」。

他にも大作がある。ボッシュの3連作「聖アントニウスの誘惑」、ヤン・ヴルハースの「学童の行進1878年」、ディーリック・バウツの「皇帝オットー大帝」。

冲中一郎