日本は「デジタル技術・革命」で遅れが目立つとの記事が最近とみに目立つ。16日の日経5面コラム「経営の視点」では“AI時代の事業変革”(編集委員関口和一)と題して、日本の遅れが指摘されている。企業の国際戦略を研究するグローバルビジネス学会(丹羽宇一郎会長)がこの7月に開いたシンポジウムでもAIを経営に生かせない日本企業の課題が浮き彫りになったという。AIが遅ればせながら日本で大きな話題になったのは2年ほど前から。日経に“AI”の文字が登場した回数で言うと、2015年約230件、16年は約1300件、17年は約2200件、今年は3000件を超す勢いとなっているそうだ。アマゾンやグーグルのAIの広がりに加えて、16年度に政府が制定した「第五期科学技術基本計画」で初めてAIやロボットを戦略分野に掲げたことでメディアも取り上げるようになったと分析している(2013年制定の第四期計画では、IPS細胞などを重点分野に挙げ。”AI”のAの字も考えていなかった。40年前の第五世代コンピューターや、10年前の情報大航海プロジェクトなどの国策の失敗の影響でAIはタブー視?)。ところが、世界ではこの間にクラウドやスマートフォン、画像センサー、自動運転技術などの技術が急速に進化し、それら技術を上手に取り入れたのが米IT企業だった。そしてAIの広がりは米国にとどまらず、フランスでのAIベンチャーの育成、イスラエルでのスタートアップ企業年間800社の誕生、ノルウェーでは原油の掘削や流通をビッグデータで効率化する取り組みが進む。
関口編集委員は、日本の遅れは、アナログ時代の成功体験が新しい挑戦に消極的にさせているのではと指摘する。経営者が、身近な仕事の仕方から改め、タブーに挑戦することから始めることを進める。身近な例では、現場ではFAXできた情報の手入力が今も続く。海外の先進企業の名刺にはファックス番号はなく、先進国で使っているのはもはや日本くらいだと言う。ソーシャルメディアを伝達ツールにしている企業もまれだとの意見にもうなずける。
確かに最近、新聞にも毎日のようにAI関連の記事が目立つようになってきた。18日の日経1面には、「AI依存どこまで」の記事で、香港のベンチャーのAIシステムが米国FRB議長のパウエル氏の記者会見をにらみ、パウエル氏の発言に対し、その表情から嫌悪、怒り、驚き、中立を読み取る実験を紹介している。経済予測に役立つこのような情報はヘッジファンドに高く売れるそうだ。野村證券も黒田日銀総裁の表情を分析しているという。これが実用化されれば、うそ発見器以上の効果を示すものとなると思われるが、怖さも感じる。例えば国会で使えば大混乱になる?
同じ日の朝日新聞では、「日本のロボット・AI研究開発はジェンダーバイアスを助長している。なぜ社会は問題視しないのか」との指摘がEUや米国の専門家から出ていることを国立情報学研究所の新井紀子教授が述べている。彼らがその例として挙げたのが「受付嬢ロボット」。東京オリンピック・パラリンピックを目指して官・民・学こぞって「おもてなし」ロボットの開発に力を注ぐが、「受付という労働を担う人=従順そうで美しい風貌の若い女性」というステレオタイプを許容し、ジェンダーバイアスを助長しているという。AIに学習させる場合にこのようなバイアスが入ると、多様な人々が互いに違いを受け入れ、共に生きる「包摂型社会」を目座す上では容認しがたいとの考え方だ。22日の日経1面でも「五輪が変える日本」で、警備システムの精度や、交通機関の混雑解消などの利便性向上、外国語など多方面にわたってAIを活用し、日本社会の変化に向けた意識改革、意識付けを行い、金額には換算できない未来へのレガシーになることを期待している。北京では配車システムの普及で流しのタクシーを探すのに苦労していると聞く。キャッシュレス化では日本は周回遅れと言われる。失敗・トラブルに対する過敏な対応など文化の違いはあるにしても変化に対する挑戦をしないと生産性向上競争でも世界の進歩に取り残される。官民学一体となった積極的な取り組みを期待したい。