書家黒田賢一君が”致知”に登場!

我が友人が私の愛読書、人間学を学ぶ月刊誌「致知」5月号」のインタビュー記事に登場している。昨年10月21日に当ブログでも紹介した文化功労者黒田賢一君だ。

故郷の友人「黒田賢一君」が文化功労者に! | 冲中ブログ (jasipa.jp)

記事のタイトルは「書こそ我が人生 命ある限り歩み続ける」だ。詳細は下記でご覧ください。

https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2024/202405_kuroda/

今回の致知の特集テーマは「倦(う)まず 弛(たゆ)まず」で、そのテーマに沿った人物として選ばれたようだ。このテーマの意味の解説は下記の通り。

“倦まず”は「飽きない」、“弛まず”は「心を緩めない」こと。一つのことを始めたらいやになって投げ出したりしない。孜々(しし)として努力を続ける。その大事さを説いている。人間の心が陥りやすい通弊を戒めた言葉と言える。

これにぴったり当てはまる人として黒田賢一君が選ばれたと思われる。

記事を見て、思いを定め、一途に苦労を重ねながら突き進む姿にあらためて道を究めることのすごさを感じた。最初に師事した先生が、かな専門の先生であったこと、そして19歳でめぐりあった師匠(西谷卯木氏)に出会ったことも、この道を究める重大な要素であることは間違いないと思うが、そのような日本を代表する師匠にめぐりあい、認められる存在となった人間力、道を究める一途な努力が、今の黒田君を創り上げたことが、今回の記事であらためて分かった。まさに「倦まず、弛まず」を貫き成功した典型的な人だ。19歳で西谷師匠に出会ってから3年後、22歳の驚くべき若さで日展に入選したことに、その苦労、努力が思い浮かぶ。中国や日本の書家の臨書をしながら、彼独自の線や型を作りあげ、43歳の時、2度目の特選の時にも、4か月かけて1700枚ほど徹夜をしながら、試行錯誤の中で作り上げたと言う。そのかな書道にかける思いと努力に頭が下がる。

「人が感動するような作品、いつまでも見ていたいと思っていただける作品を作っていきたい」と書の品格をまだまだ追及する姿勢を見せる。例えば、“描かない白の美しさの表現”こそ品格ある書の条件といい、これを永遠のテーマとして追い続けると宣言している。

彼も“致知”の愛読者であることを初めて知った。「一流の方々の生き方に触れて自分の人生のプラスのエキスにしていくことは品格を磨くうえで大切だ」と喜寿(私と1日違いの誕生日)を迎えられた今も意気軒高だ。

ほんとにすごい友人だ。村の公民館に、小学校時代に近くの公民館で使った硯などの展示もされており、村の英雄だ。私の結婚式で、参加者の名前を書いてもらったが、いい記念になっている。

死が2人を分かつとき”残された側が映す夫婦仲”(朝日新聞)

古い記事を整理していると、朝日新聞昨年1月6日の“言葉季評”に穂村弘氏の記事が出てきた。「死が2人を分かつとき“残された側が映す夫婦仲”」のタイトルだ。

私も今年1月に喜寿を迎えた。両親が亡くなったのも喜寿の年なので、以前より死を意識するようになったのか、この記事が気になった。

「街なかで仲の良さそうな夫婦を見ることがある。微笑ましく羨ましい気持ちになる。大きな何かを達成した人々に見えるのだ。ただ、どちらかが車椅子というケースもある。夫か妻と思しきもう一人が細い腕で一生懸命押している。笑顔で話す二人は仲良し。でも現実は容赦なく襲いかかってくる。夫婦はどちらかが先に死ぬんだと当たり前のことを思う。その時、それまでの夫婦関係が反転して襲いかかってくることになる。つまり仲の良かった夫婦ほど残されたダメージが大きいのだ。」との文言の後に、先立たれた相棒を偲ぶ短歌の紹介に合わせて、残された人の心情を解説している。

終わりなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りて悲しむ(土屋文明)

:93歳で妻を亡くし、100歳まで生きた筆者。死を意味する”終わりなき時“に比して、束の間の年月なのになぜこんなにも悲しいか。仲の良さが分かる。

一方で複雑な心情の新聞投稿短歌も紹介されている。

遊び仲間皆未亡人私だけ家路急ぐを同情される(湊規矩子)

:あなたには旦那さんがいてお気の毒ね!

ほんとうはあなたは無呼吸症候群教えないまま隣でねむる(鈴木美紀子)

:夫婦で何が起こっているのか、まだ生きている夫婦の関係性が怖い。

われ死なば妻は絶対泣くだらうそれから笑ふ十日ほどして(岩間啓二)

:ずっと泣きっぱなしでは困るが、1週間や1ヵ月ではなく10日とは?

筆者穂村氏の父は91歳で亡くなられたそうだ。母は70歳半ばで亡くなられた後父はしばらく放心していたが、寂しさを紛らわすために、登山に興味を持ち、亡くなる3か月前まで山に言っていたそうだ。父の葬儀場から帰って遺影を母の遺影に横に並べたとき、写真の母の微笑みが大きくなったとの錯覚を覚えたそうだ。夫婦の仲の良さを息子(穂村氏)としても喜ばしいことだったのだろう。

「妻に先だたれた夫は生気を失いがちだが、その逆はむしろ元気になる」との通説もあるが、

皆さんはどう考えるか?私は、生きている間はお互いに信頼しあい、楽しく生きたいと思う。「私の方が先に亡くなるから」と妻には言っているが。最後に一句、

生きる間(ま)は、思いやりつつ、幸せに、過ごす家庭が、最高よ!

お粗末でした。

謝罪の心得 危機に備える(朝日新聞)

2月19日朝日新聞朝刊24面「ドキュメント24」の記事のタイトルだ。今まさに政治の世界の裏金問題が沸騰しているので、気になるタイトルだが、当記事はこの問題とは関係なく、企業不祥事の際の謝罪の話だ。

危機管理広報会社エイレックスの企業研修風景から始まっている。INPEX(旧国際石油開発帝石)の天然ガス基地で火災が起きたとの想定での緊急記者会見の模擬訓練だ。記者席にはアイレックスのコンサルタントたちがいる。「火災は想定外?」との質問に「全くの想定外」と答えた。会見者は、万全の対策をしていたとの自負からこのような回答をしたが、コンサルタントのコメントは「“想定外”との言葉は予見できなったとの意味で一人歩きの危険がある。二者択一の質問に安易に答えると、伝えたい事実が伝わらない恐れがある」とコメント。

何かあった際、企業の社長会見が逆の反発を招くことも多い。以前には会見の際「私は寝てないんだ」と発言しさらに大きな批判を招いたこともある。最近はSNSの普及もあり、以前は問題にならないようなことも企業のリスクになるため、以前より、会見を開く基準が下がっている。実際、アイレックス本社(東京・赤坂)では年間200社が謝罪訓練をするそうだ。都内のある金融機関は、10年以上練習を続けているそうだ。

帝国データバンクによると、22年度にコンプライアンス違反発覚による倒産が300件。粉飾決算や過積載、産地偽装などが多く、05年の調査開始以降で最多だそうだ。

「会見の練習で大切なのは問題の本質はどこか、だれに何を謝るのか、社内の認識を合わせること。頭の下げ方や想定問答ばかり考えても意味がありません」。

経済広報センターが実施した経団連加盟の主要社の調査結果では、定期的に緊急会見の練習をしている企業は2年前より約5ポイント増え4割に迫っていると言う。

いざという場での記者会見が、会社の評価を決めることも多いが、こんな会社があることは全く知らなかった。今、裏金問題の政治家も、国民に向けた正直な会見が必要ではなかろうか。

冲中一郎