裏金問題に想う

これまで当ブログでは、政治には極力触れない”ことで通してきたが、今の政治の状況には一言触れざるを得ない。日本の将来を担う議員の人間としてのモラルの問題だから。

4月28日衆院補選(自民党議員不祥事件や逝去に伴う)があり、自民党は不戦敗を含めて3連敗となった。特に自民王国(これまで自民は負けたことがない)の島根1区で唯一の自民候補が負け、政権与党として大きなショックを受けたと思われる。

昔から代議士を“選良(選挙で選ばれたエリート)”と呼んでいたらしいが、インターネットで調べると、あまりにも不祥事が多く、悲しいかな、今では死語になっていると言う。今話題の裏金事件では、国会でも驚く議論が交わされ、ますます国民はあきれているのではないかと思う。

「国民から集めた税金は、ほんとに日本のために使われているのか?選挙のため、個人のため(まさか不倫とか、パパ活には使ってないとは思うが)に使っていないのか?今の議員の言葉だけでは信じられない。私事で使っているとなると税金を払ってくれないと!」という当たり前の疑問に、今の政治はまともに答えてくれないことに国民は不満を抱いている。

総理も「政治には使途を明らかにできない機密事項があるから支出明細は明らかにできない」というが、それを理由にチェック機構もなく、全額機密事項に使っているとだれが信じることができるのか?

ともかく議員への信頼がなくなった今、第三者(機密保持責任を負う)による使途のチェック機能が必須であると考える。ともかく国会でのやりとりなどを聞いて、責任問題など一般企業の社員も、政治の世界のいい加減さにあきれているのではなかろうか。

4月15日の官邸でのニュースに目がとまった。二本松藩が藩士への戒めとした「戒石銘碑」の教えにならってほしい――。自民党派閥の裏金事件で政治不信が高まるなか、福島県の二本松商工会議所会頭らが15日、首相官邸を訪れ、岸田文雄首相に拓本を贈呈した。首相は執務室に飾り、「しっかりと襟を正して、原点に返って仕事をすることを戒めとする」と語ったという。戒石銘碑には16文字の漢字が刻まれ、「お前の俸給は、民があぶらして働いたたまものより得ているのである。お前は民に感謝し、いたわらねばならない。この気持ちを忘れて弱い民たちを虐げたりすると、きっと天罰があろうぞ」と解釈されている。拓本と文言が彫られた石盤を持参した商工会議所の菅野京一会頭は首相と面会後、「もう一度原点に返って頂きたい」と話した。拓本は、今後与野党の全国会議員に贈る予定だという。

この拓本は、総理官邸に飾られていると言うが、岸田総理はこの拓本を見て何を考えているのだろう。是非とも日本をまともな国にするため、火の玉になって本気の改革に取り組んで欲しい。この拓本は自民党だけではなく、野党含む全議員にも問いかけている。特に政権を握った党の、特権意識(直近では、某議員への北海道からの呼び出し出張などにもみられる)が世間の常識から大きくかけ離れている。国民の期待に応え得る立派な議員も数多くいるとは思うが、国民の期待を欺く議員をいかに排除するか、真剣に考えねばならない。ただでさえ下り坂の日本をなんとかしないといけない時に、情けない状況ではあるが、若い人たちにも真剣に考えて欲しい。

「武士道」「新渡戸稲造著、斎藤孝訳・責任編集、2010年発行、イースト・プレス)を読みなおした。本の帯には「あのエジソンやルーズベルト大統領も読んで感動、発奮した“精神と行動”力の原典」とあり、さらには「今日本が抱えている様々な問題の解決のカギが、この名著”武士道“にすべて書き尽くされている(斎藤孝)」ともある。さらに、「武士道」を一言で言えば「責任を取ること」と答える。国や主に対する責任、家族・同胞に対する責任、そして”自分自身“に対する責任である。それは、「人間であること」にし責任を取ること、ともいえる。その「責任を取る」ために武士が行った心身の修業は、まさに「知行合一」そのものであった、とある。

詳細は本に譲るが、新渡戸氏は、西洋人が見る日本は「ハラキリ」「フジヤマ」だった時代に、世界に向けて日本人の普遍性を紹介し、世界に日本に対する理解を深めた書として有名である。

是非、国会議員にもこの本を勧めたい。

書家黒田賢一君が”致知”に登場!

我が友人が私の愛読書、人間学を学ぶ月刊誌「致知」5月号」のインタビュー記事に登場している。昨年10月21日に当ブログでも紹介した文化功労者黒田賢一君だ。

故郷の友人「黒田賢一君」が文化功労者に! | 冲中ブログ (jasipa.jp)

記事のタイトルは「書こそ我が人生 命ある限り歩み続ける」だ。詳細は下記でご覧ください。

https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2024/202405_kuroda/

今回の致知の特集テーマは「倦(う)まず 弛(たゆ)まず」で、そのテーマに沿った人物として選ばれたようだ。このテーマの意味の解説は下記の通り。

“倦まず”は「飽きない」、“弛まず”は「心を緩めない」こと。一つのことを始めたらいやになって投げ出したりしない。孜々(しし)として努力を続ける。その大事さを説いている。人間の心が陥りやすい通弊を戒めた言葉と言える。

これにぴったり当てはまる人として黒田賢一君が選ばれたと思われる。

記事を見て、思いを定め、一途に苦労を重ねながら突き進む姿にあらためて道を究めることのすごさを感じた。最初に師事した先生が、かな専門の先生であったこと、そして19歳でめぐりあった師匠(西谷卯木氏)に出会ったことも、この道を究める重大な要素であることは間違いないと思うが、そのような日本を代表する師匠にめぐりあい、認められる存在となった人間力、道を究める一途な努力が、今の黒田君を創り上げたことが、今回の記事であらためて分かった。まさに「倦まず、弛まず」を貫き成功した典型的な人だ。19歳で西谷師匠に出会ってから3年後、22歳の驚くべき若さで日展に入選したことに、その苦労、努力が思い浮かぶ。中国や日本の書家の臨書をしながら、彼独自の線や型を作りあげ、43歳の時、2度目の特選の時にも、4か月かけて1700枚ほど徹夜をしながら、試行錯誤の中で作り上げたと言う。そのかな書道にかける思いと努力に頭が下がる。

「人が感動するような作品、いつまでも見ていたいと思っていただける作品を作っていきたい」と書の品格をまだまだ追及する姿勢を見せる。例えば、“描かない白の美しさの表現”こそ品格ある書の条件といい、これを永遠のテーマとして追い続けると宣言している。

彼も“致知”の愛読者であることを初めて知った。「一流の方々の生き方に触れて自分の人生のプラスのエキスにしていくことは品格を磨くうえで大切だ」と喜寿(私と1日違いの誕生日)を迎えられた今も意気軒高だ。

ほんとにすごい友人だ。村の公民館に、小学校時代に近くの公民館で使った硯などの展示もされており、村の英雄だ。私の結婚式で、参加者の名前を書いてもらったが、いい記念になっている。

死が2人を分かつとき”残された側が映す夫婦仲”(朝日新聞)

古い記事を整理していると、朝日新聞昨年1月6日の“言葉季評”に穂村弘氏の記事が出てきた。「死が2人を分かつとき“残された側が映す夫婦仲”」のタイトルだ。

私も今年1月に喜寿を迎えた。両親が亡くなったのも喜寿の年なので、以前より死を意識するようになったのか、この記事が気になった。

「街なかで仲の良さそうな夫婦を見ることがある。微笑ましく羨ましい気持ちになる。大きな何かを達成した人々に見えるのだ。ただ、どちらかが車椅子というケースもある。夫か妻と思しきもう一人が細い腕で一生懸命押している。笑顔で話す二人は仲良し。でも現実は容赦なく襲いかかってくる。夫婦はどちらかが先に死ぬんだと当たり前のことを思う。その時、それまでの夫婦関係が反転して襲いかかってくることになる。つまり仲の良かった夫婦ほど残されたダメージが大きいのだ。」との文言の後に、先立たれた相棒を偲ぶ短歌の紹介に合わせて、残された人の心情を解説している。

終わりなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りて悲しむ(土屋文明)

:93歳で妻を亡くし、100歳まで生きた筆者。死を意味する”終わりなき時“に比して、束の間の年月なのになぜこんなにも悲しいか。仲の良さが分かる。

一方で複雑な心情の新聞投稿短歌も紹介されている。

遊び仲間皆未亡人私だけ家路急ぐを同情される(湊規矩子)

:あなたには旦那さんがいてお気の毒ね!

ほんとうはあなたは無呼吸症候群教えないまま隣でねむる(鈴木美紀子)

:夫婦で何が起こっているのか、まだ生きている夫婦の関係性が怖い。

われ死なば妻は絶対泣くだらうそれから笑ふ十日ほどして(岩間啓二)

:ずっと泣きっぱなしでは困るが、1週間や1ヵ月ではなく10日とは?

筆者穂村氏の父は91歳で亡くなられたそうだ。母は70歳半ばで亡くなられた後父はしばらく放心していたが、寂しさを紛らわすために、登山に興味を持ち、亡くなる3か月前まで山に言っていたそうだ。父の葬儀場から帰って遺影を母の遺影に横に並べたとき、写真の母の微笑みが大きくなったとの錯覚を覚えたそうだ。夫婦の仲の良さを息子(穂村氏)としても喜ばしいことだったのだろう。

「妻に先だたれた夫は生気を失いがちだが、その逆はむしろ元気になる」との通説もあるが、

皆さんはどう考えるか?私は、生きている間はお互いに信頼しあい、楽しく生きたいと思う。「私の方が先に亡くなるから」と妻には言っているが。最後に一句、

生きる間(ま)は、思いやりつつ、幸せに、過ごす家庭が、最高よ!

お粗末でした。

冲中一郎