「感動人間」こそ、今求められる

“感動”というキーワードが拡がっている。「感動プロデューサー」という「感動を生みだす人を生みだす」会社を、2004年に一人で設立(今も一人)された平野秀典さんは、これまでマイクロソフト、トヨタ、日立など数百社から講師として招聘され、延べ二十万人を超える人に感動創造のすばらしさとコツを伝えてきたそうです(感動プロデューサー平野秀典公式サイトから無料メルマガあり)。

平野さんの著作本「感動3.0(自分らしさのつくり方)日経新聞、2010.10」を読んだ。日本生産性本部で顧客満足度指標を作り、上位企業を公開しています。その中でホテル業界でもっとも満足度が高いのはどこか分かりますか?帝国ホテル?違います。スーパーホテルです。ここでは従業員教育の考え方は「自立型感動人間」の育成です。

「感動3.0」を下記に紹介します。

世の中は「感動1.0」時代から「感動2.0時代」へ、そして「感動3.0」時代がやってきた。

企業目線(プロダクトアウト)から顧客目線(マーケットイン)への変化、それがさらに進化して、顧客への接客の仕方などの標準化、感動の与え方などのノウハウがもてはやされた。しかし、この1.0、2.0時代は企業からの一方向で、機能過多商品、顧客媚・偏重・安売り合戦で社員の疲弊感も生み、顧客が長続きしないという問題が生じている。

次に来るのは3.0で、顧客と企業双方向での信頼と絆を追い求めなけなければならないというのが主張です。3.0の世界では、競争や権力と言う上下方向のパワーで人を動かすのではなく、喜びや感動が人の心の中で共鳴し合うように、水平の影響力で人をうごかしていく世界と言う。そのためには、各人が自分を磨き、会社の中で自ら自分ブランドを創り上げる。

  • 人を楽しませる前にワクワクのかたまりの自分になる。
  • 人を喜ばせる前に、喜びにあふれた自分になる。
  • 人を感動させる前に、感動できる自分になる。

自分らしく輝いている人ほど、感動的な人はいない。「感情的な人」は嫌われますが、「感動的な人」にはファンができます。「感情的な人」の話は聞きたくないですが、「感動的な人」の話はいつまでも聞いていたくなります。「感情的な人」と一緒にいると疲れますが、「感動的な人」はずっとそばにいたくなります。自分そのものが感動的な人。これ以上のブランドはありません。

『人生は舞台、人はみな役者』。どんな小さなことでもいい。内面からわき出るワクワク感、人のために働く喜び、誰かに感謝され信頼されるうれしさ、人を尊敬する心地よさ。これらの感動体験を思い出して下さい。そのことが人間性を高めるだけではなくビジネスの目的にもなるのです。

ツイッター、フェイスブックなどソーシャルメディアの爆発的な普及は、人が他人との関係性などをもとめ、それを通じて感動を追い求めているからと言われています。人と人との関係性で、お客様との継続的な信頼と絆を創り上ること、それがひいては企業のブランドになるのが理想。長野の中央タクシーがオリンピックの時、大会関係者への借りあげ要請を断り、普段からのお年寄りなどのお客様優先の考え方を変えなかったそうです。その提案は乗務員から出たそうです。日頃から地元の人との相互信頼・共感がそうさせたのでしょう。今も苦しむ業界の中で地元の人に支えられ好調だそうです。

言葉の力(NHK)

昨夜、NHK番組「プロフェッショナルー仕事の流儀」のSpecial版を見ました。これまでに放送された各プロフェッショナルに「勇気をくれた言葉」が紹介されていました。どノ方も、プロフェッショナルの称号を得るためのプロセスは壮絶な戦いや挑戦の連続でした。そのような中で、尊敬する先輩から、戦いを共にする部下から、母から、本から得た言葉がくじけそうな自分に勇気をくれた、そんな珠玉の言葉の紹介がされました。

  • ★キリンの缶コーヒー「Fire」はそのデザインや味で大ヒットしました。その企画に従事した佐藤章は、そのアイデアを役員会で酷評され、落ち込んでいた時、同じプロジェクトの部下から

「あなたの心の火を信じています」

と。この言葉で奮起し、部下と一緒に市場調査を重ね、データに基づいたプレゼンで商品化のゴーサインを勝ち得た。

  • ★アフリカの難民支援のエクスパート高嶋由美子。アメリカ留学中に真珠湾攻撃に対する日米の見方の違いに驚き、すべては自分の目でとの思いでマスコミへの就職を目指したが内定が出ず。その時華道家勅使河原蒼風の「花伝書」の言葉

「求めていなければ、授からない。だからいつでも求めていなければならない。ついに授からないかも知れないが、求めていなければ授からないのだ」

に触発され、国連機関への就職を果たした。いまでもこの言葉を苦しい時には、手帳を見て思いだしている。

  • ★脳動脈瘤手術の第一人者の上山博康。29歳の時に出会った脳卒中のエキスパートの先生に出会う。「患者の思いに応えるのが医者の仕事」が信念で、施しようのない状態の患者にも手術が成功しなければ家族に深々と頭を下げ誤っていた(弁護士などから注意差得ながらも)。そして上山に言った言葉。

「批評家になるな。いつも批判される側にいろ」

上山も、周囲の注意を受けながら、手術する患者に「絶対大丈夫だから任せて欲しい」と患者を安心させながら手術に向かう。成功率100%ではないが、日本でも最高峰の成功率を誇る。

  • ★バンダイのおもちゃ企画横井昭裕。

「私は失敗しない。なぜなら成功するまでやめないからだ」

  • ★イルカの人工授精に世界で初めて成功した海獣医師勝股悦子。

「出来る事は、あきらめないこと」

  • ★繊維機械で「第1回ものづくり大賞」をとった片山象三。

「自分のためではなく、他人のために働け」

かってない危機に晒されている日本。希望の持てる、そして元気づけられる「言葉」が欲しい。

さよなら閉塞感!希望つくり

今年のⅠ月20日に日本で唯一「希望学」を研究されている東大の玄田有史教授の本「希望のつくり方(岩波新書)」を社内ブログで紹介した。今、大震災で大きな被害を受けた釜石市の街の復興を目指す(鉄鋼業の衰退から)市民の中に入って、一緒になって考え・調査した結果を希望学としてまとめられている。昨日NHKの番組に出られ、自らも被災者でありながら市民のために駆けずり回っている市役所の方とも懇意で、「行きつけの飲み屋」も流されたと言われていました。これから如何に「希望つくり」を行えるか、釜石の皆さんにエールを送りたい。下記がⅠ月20日の社内ブログの内容です。

希望の定義 Hope is a Wish for Something to Come True by Action (with Others).希望とは4つの柱―気持ち、何か、実現、行動―から成り立つ。玄田教授は鉄の町釜石を題材に、膨大なデータを取りながら、初めての「希望学」研究をされた方です。釜石は過去に幾多の試練に会いながら(ニ度の大津波で消滅の危機)、鉄発祥の地で鉄を主体とする物作りの町として栄えたが、不況と共にピーク9万人の人口が今では半減してしまっている町である。このような中で、街を愛する人達が「物作り」に固執し、海・山の豊富な天然資源を利用した健康食品などの新製品作りを行い、製造業出荷額が過去ピークを超えているそうです。この様な希望に燃えた街の人たちを対象に、聞きとり調査やアンケートをしながらいかにすれば希望を持てるか研究してこられました。その中で得られた知見の一部を紹介する。あくまで希望は自分で作るものだというのが大前提です。

  • ★外部に緩い関係の人脈を作る(Weak Ties).家族や同僚などは案外自分と同じような情報や判断材料しか持っていない。たまにしか会わない人たちは自分とは違う価値観やら情報を持ち合わせている可能性があり、自分の夢を描く自由度が増す。同窓会などには積極的に参加することを推奨。
  • ★希望の多くは失望に変わる。しかし、希望の修正を重ねることで、より大きなやりがいに出会える。
  • ★過去の挫折を自分の言葉で語れる人ほど、未来の希望を語ることが出来る。挫折を経験し何とかくぐりぬけてきた人ほど希望を持っている。“反例”失恋経験の乏しさが男性の恋愛や結婚をあきらめる風潮を助長している。
  • ★無駄な事に対して否定的になりすぎると、希望との思いがけない出会いを逃す。希望は「あえて迂回し、距離をとる」ことによって出会えるもの。

「幸福」は維持するもの、「安心」は確実性を要求する、「希望」は挑戦・変化することによってさらなる幸福を追い求めるもの。閉塞感のある現代社会。一度「希望なるもの」を考え、「希望」をつくり、信頼できる人たちと一緒に、希望の実現に向けて行動を起こしませんか。

冲中一郎