サービスで成果を出した事例

サービスサイエンスの話を前回しました。今ではGDPの70%を超える日本のサービス業は、製造業文化から抜け切れていない。製造業は、製品設計情報に金をかけ、その結果を物に転写し、製品を作る。一旦製品が出来れば、繰り返し同じものが出来る(自動車が鉄板に戻ることはない)。しかし、サービス業は、サービス設計情報(これがpoor!)を人に転写する。しかし、一度転写できても、教育をし続けなければすぐ元に戻ってしまう。従って、サービスレベルを組織的に高めるには、他社との差別化サービスを決め(サービス設計)、継続的に教育をし続けることが必要になる。一旦それが文化になれば、大きな差別化要素になる。すなわち「サービスは人に創りこむから製造業に比して継続が困難」なもの。

諏訪さんのサービスサイエンスの指導を受けた衛星放送会社W社はコールセンターのお客様対応を変革し、契約率を大幅に向上させた。お客様のタイプを5分類し、最初の話し方で即座に判断できる方法(企業秘密)を見つけ出し、対応を変えることによって成果があがった。損保会社T社も自動車保険のオプション契約率を45%から70%に改善したそうだ。

以下は諏訪さんの事例ではないが、やはりサービスの差別化で成功したタクシー会社を紹介する。サービスの評価は、成果とプロセスに分解されるが、接客業においてはプロセス(店員の愛想がいいなど)が非常に重要となる。

以前もちょっと触れた長野の中央タクシーも有名だが、同じような事例が千葉県にもあった。市川を中心に営業している武藤自動車(以下「ムトータクシー」と呼ぶ)である。お父さんの跡を継いだのが30数年前。運転手のマナーもひどいもので、仕事そのものにも全く魅力を感じていなかった。

この状態を改革するために月1回全運転手との対話を始めた。「客から「ありがとう」と言われる運転手になる、それが働きがいとなり、誰だって嬉しいはず」との信念のもと。そして、今では他社のような、流しや付け待ち(停留所で待つ)を全くせず、お客様からの配車依頼のみで営業し、業績を安定的に挙げている。27台しかない小企業のため、車が足りず、お客様を待たせることが多いが、それでもムトータクシーを選んでくれるお客様が多く、長野の中央タクシーと同じくお礼状が沢山舞い込むそうだ。流しもしないため、ガソリン効率もあがる。

中央タクシーもムトータクシーも、有名な話だが、他社がこぞって追随したという話は聞こえてこない。ここまでするのに、運転手の意識改革、行動改革に長期間を要している。時間を掛けて到達させたサービス文化はそう簡単に真似ることが出来ない。大きな差別化要因になるとの事例である。

運転技術も当然大きなお客様満足度のファクターと思うが、それ以上にお客様への接し方(配車依頼を受けてお客様の所に行った時、クラクションでお客様を呼ぶのではなく、車から降りて玄関でチャイムを鳴らす)、マインドがさらに重要で、それがなければお客様の共感、感動を得られないということ。お客様から「ありがとう」の言葉を頂くことが「CS活動」の究極の目的ではなかろうか。

サービス・サイエンス

今日のアクションシステムズ河村社長のブログ「プロ仕様の製品!」読ませて頂きました。河村さんの下記の主張に、まさに共感を覚えます。

「製品を所有することは、その価値を考える、お客様のことを考えることである。 これは凄く良いことだと思う。 日本のITの価値を高めるためには、日本のITは、製造業では無く、サービス業に変わるべきである。 言われたものを作るのではなく、何があれば価値あるかを考え提供していくことが重要であると思う。」

昨日、神戸ディジタルラボとソフトブレーン共催のセミナーが品川プリンスでありました。講演者はワクコンサル(元オムロンフィールドエンジニアリング)の諏訪良武様です。「顧客はサービスを買っている」(ダイアモンド社)を読んで共感を覚え、今年の3月JISAのB地区会の講師をやってもらったのですが、まさに「サービスを科学し、コストより付加価値サービスで勝負する」ための考え方を分かりやすく話されます。サービスでお客様に感動を如何に与えるか、そのためにはお客様の期待(事前期待)を把握することが重要。そのためには、河村社長も言われるようにお客様を知らなければ話にならない。お客様から「ありがとう」と言われるサービスを提供する事が我々の究極の目的と考えたいものです。

コスト競争に陥ると、東南アジアの攻勢に負けること必定。 「サービスを提供する業界」に大きく軸を移すために皆で考えましょう。

政治に希望を!

政治が暗澹たる状態にある。「失われた20年」とよく言われるように、自民党がダメになり政権交代に期待したが、民主党も経験のなさが輪をかけたのか、全くの期待倒れの状態だ。しかし、政治に希望を失ってしまえば、その国は終わる。

こんな中で、この3月末に「国会議員の仕事」という自民党林芳正氏(50歳)と民主党津村啓介氏(39歳)共同著作の本が出た。政局に終始する政治の世界ばかりが報道されるが、まじめに日本のこと、国民の事を考え行動している人もいることをもっとメディアはとりあげるべきではなかろうか。その本の中に、徳富蘇峰が「大きな改革を成し遂げるためには、三種類の人間が必要」と言った言葉があるそうだ。「思想家と、破壊者と、創造者だ」と。明治維新で言えば思想家は坂本龍馬、吉田松陰、破壊者は木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛の維新三傑、創造者は伊藤博文、山縣有朋。今の政権は小沢、鳩山、菅と破壊者ばかりというのもうなづける。若手が創造者にならなければ、国の未来はない。若手の真の政治家を応援したい。

菅政権はほとんどの人が末期症状と思っていると思うが、震災・原発対策に一刻の猶予も与えられないがために仕方なく政権を維持している状態とも言える。

田原総一郎氏も言っているが、「最初は鳩山さんよりいいだろうと思ったが、こんなにひどいとは思わなかった」という心情は、多くの国民が持っているのではないかと思う。私が思うに、30年と言う長い間国会議員をやっていて、これほどまでに菅さんを支えてくれる人がいない総理と言うのも珍しいのではないだろうか。「イラ菅」というように自説を主張しながら怒鳴り散らす、相手の意見を聞かない、反省しない(実際は見てはいないが)などまさに、人間力に欠けているのが表面化したのではないだろうか?

しかし、後任候補がイメージできないのは、まさに「政治の貧困」と言えます。ソフトブレーンの宋さんがメールマガジンで言っていますが、菅総理の「浜岡原発の停止」判断に、数多くの政治家や有識者が「人気取りが目的だ」「アメリカの圧力があったから」との批判をしているが、浜岡の停止の是非以前に、この様な批判の質が低すぎると嘆いておられます。このように批判する人は、次にどのような議論に発展させようとしているのか?だから何?と聞きたいということです。そもそも議論とはその利益、立場、価値観の相違と、知識量や情報量の相違を乗り越えるための大切な手段なのに、その相違自体を批判することは最初から議論を拒否するようなもの戸言う宋さんの言葉には説得力があります。真の議論につながる批判はOKだが、批判のための批判は何の益にもならず却って議論が先に進まず害になるもの。

原発政策を推し進めてきた過去の政権(自民党)も、この問題には何も釈明もせず、党内で原発推進会議を結成したことに対しても公党としての正式なコメントがない。党として意見が割れる場合は、重要な問題であればあるほど、国民に対して何も表明しないのは昔から変わらない。ドラッカーの言う「あなたの顧客とは?」を政治家に投げかければどう答えるのだろうか?「自分」あるいは「自分の党」と答えるのだろうか?

しかし、希望を感じさせる本が出た。自民党参議院議員林芳正氏(50歳)と民主党衆議院議員津村啓介氏(39歳)の共著「国会議員の仕事―職業としての政治」を読んだ。国会議員の評判が悪いため、大学の生協において、学生に興味を湧かせる本にしたいとの思いから書かれた本であるが、いろんな旧態依然とした壁も数多くなる中で、少なくとも党派を超えて日本のために必死に働いてくれている実態が分かる(どこまで真実かは別にしても)。こういう若い人たちを活かす〔老獪な議員がこういう人を殺してしまう〕、党派を超えて真に日本の事を考え、真の議論をしている若い人たちをもっとメディアは取り上げるべきではないだろうか。

国難を抱えた今こそ、国民の審判に供する情報提供の仕方を考え、政治に希望を取り戻すことが必須ではないだろうか?下品な、人間性が感じられないけなし合いはもう見たくない!

冲中一郎