日本被団協:ノーベル平和賞受賞おめでとう!


12月10日オスロでノーベル平和賞の授賞式が行われました。そのスピーチを被団協代表委員の田中熙巳さんがされました。田中さんは92歳のお年です。渡航の2週間ほど前まで体調を崩し、その中で強い重圧を感じながら原稿を書きあげられたとのことでした。田中さんは中学1年の時原爆で被災された当時のことを生々しく述べられるとともに、原稿にない日本政府の在り方(被爆者への保障問題)に対しても言及され、いろんな面で世界に衝撃と共感を与えられた。

1945年8月の被曝により、同年末までに広島では約14万人、長崎では益7万4千人の命が奪われた。それから79年、厚労省によると今年3月末時点で「被爆者健康手帳」を持つ被爆者(106825人)の平均年齢は85.58歳と高齢化が進んでいる。

原爆被害は戦後10年近くGHQの占領下で国民に知らされることはなかったが、1954年の米国によるビキニ水爆実験での第5福竜丸の被曝事故がきっかけで広島・長崎の被曝も公になったそうだ。それをきっかけに1956年に原爆被害者の全国組織として日本被団協が結成され、今年68年目を迎えている。会の精神は「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」だった。

政治の駆け引きもあり紆余曲折を経て、冷戦下の70~80年代に世界的な広がりを見せ、1982年にはニューヨークで反核を求める大行進が行われ、国連軍縮特別総会で、被団協代表の山口仙二さん(2013年没)が発した「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウオー、ノーモア・ヒバクシャ」が有名だ。

被曝して体調が決して万全ではない中、国内だけではなく、世界で活動された被団協の方々に頭が下がる。自分のことは棚に上げ、世界中の人のことを思い、核廃絶のための活動をされた、まさに「For You」の被団協の皆様が、やっとノーベル平和賞の栄誉に輝かれたことを心よりお祝いしたい。

田中さんの演説にもあったが、68年の活動を経ても、世界はロシア、イスラエルが核の使用をちらつかせ、核廃絶に至るには、今でも大変な壁がある。被爆から79年経ち、被爆者の高齢化に伴う活動の継続が心配されている。今回オスロに同行し、地元の高校生との交流会で原爆禁止を訴えた高校生平和大使4人の平和活動はすばらしい。これからは原爆被爆の経験のない若い世帯が被爆者の心を引き継ぎ、世界を巻き込んで二度と広島、長崎のような被害のない、平和な世界の実現に向けて頑張って欲しい。世界には被団協の活動のお陰で同じ心を持つ人たちが数多くいる。(12月11日の朝日新聞朝刊の記事を参考にしました)