スロベニア・クロアチア旅行~その2~プリトヴィッツェ湖畔国立公園

いよいよ今回のメイン、クロアチアに入る。最初は、「一生に一度は訪れたい世界の絶景」にも選ばれる世界遺産「プリトヴィッツェ湖畔国立公園」だ。多くの湖があるクロアチアを代表する景勝地だ。総面積200k㎡で、最高1280m、最低380mの標高差を結ぶ湖と湖を結ぶ多くの滝が最大の見どころだ。エメラルドグリーンの湖面に移る深い森や泳ぐ魚にも目が留まる。大小16個の湖のうち最も大きいコジャク湖を境に上湖群と下湖群に分かれる。今回は下湖群を1時間程度で回った。まず目にしたのは、高さ78mの大滝で、遠景と近景だ。

木道を歩きながら、湖の色と泳ぐ魚に見入っているとすぐにまた滝に遭遇する。洞窟もある。

そうするうちに、下湖で最も美しいといわれる「ミルカ・トルニナの滝」が見える。19世紀から20世紀に活躍したオペラ歌手で、この公園を愛し収益金を寄付し保全に協力したとのことで名前を冠したそうだ。

コジャク湖からはボートでホテルに通じる入り口まで戻る。コジャク湖のほとりの山々の紅葉も今年は遅いらしく、色づき始めたころだ。

翌4日目はプリトヴィッツェから美しいアドリア海のダルマチア地域の海岸線を下り、シベニクへ向かう。最後の「アドリア海の真珠」ドヴロクニクに行くまでのバスでの工程は、飽きることなく景色を満喫できる。ダルマチア海岸はリアス式やフィヨルドと同じく、山地が沈水してできたものだ。リアス式海岸が元の海岸線に対して垂直な山地の沈水によって形成されるのに対して、ダルマチア式海岸は、元の海岸線に対して平行に連なっていた山地が沈降する事によって形成されたと考えられており、ダルマチア式海岸はリアス式に比して穏やかな山麓と海岸線に並行する島で形成されている。そのため、山の麓には、赤い屋根の街並みがアドリア海と一緒に眺められる。

シベニクはアドリア海に注ぐクルカ川の河口に開けた町で、アドリア海の要塞として、アドリア海と内陸を結ぶ交通のかなめとして発展した、クロアチア人が作った最古の街。

街のシンボルは世界遺産に指定された「聖ヤコブ大聖堂」。レンガや木の支柱を使わない石作の建築としては世界一の規模を誇る教会だ。1431年から120年以上かけて建築され、最初はゴシック、のちにルネサンス様式に変更、高いアーチ型の大理石で組み立てられた天井、洗礼堂の天使が活き活きと舞う天井の彫刻、外壁には建設に協力した市民71人の様々な顔の彫刻と、他にはない特徴を有する。使われた大理石はクロアチアのプラチ島産で、世界中の教会や宮殿で使われているそうだ。アメリカのホワイトハウスにも使われている。

スロベニア・クロアチア旅行~その1~スロベニア編

ヨーロッパの火薬庫とも呼ばれたバルカン半島のスロベニア・クロアチアへ2日~9日の日程で行ってきた。旅の主体はクロアチアだったが、そのクロアチアでは、1991年独立宣言以降1995年まで続いたセルビア人との戦争の跡がいまだに残る光景も見られる(破壊された家の残骸など)。何世紀も続いてきた戦争が20数年前まで続いていたとの事にも驚くが、有名なドヴロクニクの旧市街なども世界からの支援を得ながら市民の手で忠実に修復・再建された姿だと知ると、景色を見る目も違ってくる。
成田からウィーン経由でクラーゲンフルト(オーストリア)へ。そしてバスでスロベニアの目的地ブレッドへ向かう。成田を13時35分発で到着が23時過ぎ。時差が7時間で、16時間以上かかったことになる。

最初は、スロベニアのブレッド湖へ(ブレッド湖の湖畔のホテルに宿泊)。スロベニアも旧ユーゴスラビアから1991年に独立した人口200万人強の小国だ。ブレッド湖は北に2000m級の山々が連なるユリアン・アルプスを望む宝石のように美しいと形容されるスロベニア屈指の保養地だ。旧ユーゴスラビアのチトー大統領もこの地をこよなく愛し、現在はホテルとなっている別荘もある(写真の後方がユリアン・アルプス、崖の上の建物がブレッド城)。


湖の小島に立つ“聖マリア教会”には手漕ぎボートで行く。手漕ぎボートは“プレトナ・ボート”と呼ばれ昔から受け継がれてきた伝統を守り続けているそうだ。”聖マリア教会“はスロベニアで最も人気の結婚式をあげる教会らしいが、99段ある階段を新郎が新婦を抱っこして上がるという試練が待っているらしい。教会の内部で人が集まっているのは、ぶら下がるロープを3回引っ張り、鐘を鳴らせば願いが叶うとのことで、皆さん必死にロープを引っ張っている人たちだ。

次に訪れたのが世界遺産の“ポストイナ鍾乳洞”。圧巻の鍾乳洞だ。その幻想的な空間と壮大さに圧倒されるのは間違いない。もともとスロベニアの大地はカルスト台地で、土地の半分が石灰岩で、スロベニアには1万個以上の洞窟があるという。この洞窟はピフカ川の地下水流が200万年とも言われる間に徐々に侵食してできたものと言われ、最大深度は114m。総延長20km強もあるが、見学できるのは5kmほど。まずはトロッコ電車で行き、徒歩で2km弱を歩いて見学(昇り降りが結構きつい)し、再度トロッコ電車で帰る1時間の工程だ。第一次世界大戦時にロシア捕虜が作った橋もある高い天井に深い谷の大きな空間に広がる光景は初めて見る光景だが、発光禁止の撮影では、なかなか全貌は紹介することは困難だ。茶色から白色に至る鍾乳石群、石筍群、石柱群次々に目の前に広がる。


以下は上から下に伸びる鍾乳石だ。


次は下から上に伸びる石筍。


最後は鍾乳石と石筍がつながった石柱だ。


鍾乳洞内には150種類の動物が住むと言われている。中でも、人の肌色をした”類人魚”と言われる大変珍しい「ホライモリ」が生息しており、水槽で飼われているものが見られるそうだが、残念ながら見ることが出来なかった。徒歩見学の最後にたどり着くのが1万人収容の“コンサートホール”だ。誰かが突然歌を歌い始めたが、大きく響き、すごい拍手をもらっていた。

ヒルトップを知らずして中小企業を論ずるな!

前稿で予告しました京都の鉄工所ヒルトップの副社長が出された本のタイトル「ディズニー、NASAが認めた遊ぶ鉄工所」(ダイヤモンド社、2018,7発行、山本昌作著)の紹介です。帯封には「非常識な経営手法で、売上、社員数、取引者数すべて右肩上がり!日本最強のクリエイティブ集団が京都の町工場にあった」「人が育つ、“アメが8割、ムチが2割”の原理」とある。

ともかくすごい!徹底して「人は成長するもの」「単調な仕事(同じことを毎日やらせる)は本来人の仕事ではない」「クリエイティブな仕事で働き甲斐を覚えれば、人は成長する」などなどの信念の実現を目指し、薄汚い鉄工所イメージをガラッと刷新(24時間無人加工の夢工場)し、大量注文の取引先から少量注文の取引先に変え(毎年100社入れ替わる)、人も変え、本社も変えた。

日経夕刊2018.9,13の「目利きが選ぶ3冊」で兵庫県立大学の中沢孝夫客員教授の選定理由は「この会社を知らずに中小企業を論ずる人はモグリである。単品物を中心とした少量受注、加工方法の徹底したデータ化、多大な利益率(20%以上)、多様な取引先、多彩な採用と優れた従業員教育。親の代からの辛すぎた町工場時代の工場労働を克服し、豊富なアイディアの湧き出る職場、従業員が活き活きと働く職場への転換・脱皮には、無論、たくさんの困難があった。」とある。年間2000人を超える見学者があり、テレビなどでも取り上げられているそうだ。

山本副社長は40年前入社直後、自動車用部品加工の取引先に研修に出され、孫請けの自社とは違う規模の装置を使って、来る日も来る日も、同じ作業を繰り返すことに幻滅を感じ、「こんな事、人のやることではないだろ」「楽しくなければ仕事ではないだろ」と感じたのが改革の原点だと言う。そして「社員が誇りに思えるような”夢の工場”を作ろう」「油まみれの工場を”白衣を着て働く工場にしてみる」との夢を一貫して追求してきた結果が今の姿だ。鉄工所でありながら、「量産物はやらない(注文は受けない)」「ルーティン作業はやらない」「職人は作らない(経験や勘に頼り自分の技術を論理的に説明できない職人)」。社員は、昼間は注文に応じた装置のプログラム作り、物つくりは昼夜、機械に働いてもらう。

“このような環境では人が育つ”ことの証明になるのが、開発部長、営業部長、東京オフィス支社長など要職についているのは、元ヤンキー・暴走族で、それもその筋からスカウトされたこともある”レベルの高い“人もいるという驚きの事実だ。
なぜ、敢えて儲かる仕事を捨ててでも苦難の道を歩み、”夢工場“を実現させることが出来たか?徹底的に社員を信じ、社員との真剣な対話を通じて、最初は怪訝な顔をしていた社員が、いつしか真剣に一緒に夢を追いかけるようになってくれた、筆者のぶれない信念と行動力がなければ、出来なかった。14年前の工場火事で死にかけた筆者は、4か月の入院期間も”夢工場の建設“が頭から離れなかったそうだ。その執念が見事に開花している。見事だ!

冲中一郎