鎮魂! 阪神大震災から17年

今朝は17年前を思い出す阪神大震災の朝です。時がたつにつれ薄れる危機感を自分自身にも思い起こさせるために、昨年も1月17日に「阪神大震災から16年」という記事をブログ(社内向け)に書いた。その3カ月後に、東日本大震災が!実はその前日(3月10日)のブログに下記の記事をUPしていた。まさか翌日東日本大震災が起こるとは思わず!

反省!地震不感症

昨日〔3月9日〕11時45分頃、三陸沖で地震が発生しました。その後も、余震が20数回発生しています(昨夜もガタガタという音で2度目が覚めました)。昨日の地震の際、私はエレベーターホールにいました。何か「ミシッ、ミシッ」とする音が長く続きかなり大きな地震と思いました。そのうちエレベーターが来たので26階(社内食堂)に行くために乗ったのですが、エレベーターの籠が揺れているのが分かるほどでした。かなり揺れていました。無事26階に着き、いつも通り食事をして帰ったのですが、夕方のニュースで隣の都庁のエレベーターが停止したニュースを見て驚くとともにおおいに反省させられました。

  • 反省その1:「ミシッ、ミシッ」とまだ続いている状態でエレベーターに乗った事。
  • 反省その2:明らかにエレベーターに乗った後も揺れが続いている状態に気付いたのにそのまま乗り続けたこと。
  • 反省その3:同乗している人も気持ちの悪い揺れに驚いている状態であるのに、声をかけて途中下車を薦められなかった事。

阪神大震災経験者である私としては、その経験が全く活かされていないことに反省すること大である。まさにリスク管理欠如と言われても仕方がありません。もし、エレベーターに閉じ込められたり、万が一エレベーターが制御不能になって落下したりする可能性も否定できない、そのような時に、率先してリスク回避行動をしなければならない立場であるにも関わらず、危険行動を皆さんと一緒にやってしまいました。まさにニュージーランド地震の悲劇が起こった矢先のこと。如何に自分がNZ地震も他人事と考えているか、東海地震の発生も言われている時、全く無防備な自分を反省し、行動に移したいと思います。対策を打っている方もいると思いますが、自分も無防備と思われる方は一度考え直しませんか。


今朝の日経社説にも、「都市型震災への備えを新たに」と題して、三大都市圏でも大地震と津波が同時に襲う災害は無縁ではなく、過密化した都市が被害をさらに拡大する恐れも大きい(江戸元録期の関東地震では東京湾で2メートルを超える津波があったとか)。阪神と東日本の震災の教訓を踏まえて、こうした「複合災害」への対策を練り直すべきだ。(中略)阪神の被災地では、高校生以下の子供の大半が震災後に生まれ、災害体験の風化が懸念されている。東日本大震災の記憶が新しい今だからこそ、教訓を語り継ぎ、減災への出発点にしたい。」とある。

日本列島は地震の活動期に入った公算が大きいとか。私のような経験者でも時が当時の恐怖感を風化してしまう。当時は神戸の惨状が目に焼き付き、地震への恐怖感一杯だった。その意味でも、東日本の現地に赴くことは、今を強い意志で「減災の出発点」にするためにも意味あることではないだろうか。

天敵がいない動物は人間だけ?!

「小さな経営論(致知出版社)」の中の「人体の不思議」の項に下記のような話が書かれている。

(膨大な)宇宙の中で地球だけに生命が宿されている。宇宙から見た地球はものすごく美しいと宇宙飛行士たちは口を揃える。地球に住む生命体が発するオーラが、地球を美しく輝かせているのに違いない。その地球に住む生命体に宇宙は等しく天敵を与えた。天敵がいなければ、あらゆる生命は増長し、蔓延、跋扈する。それは調和を愛する宇宙の心に反するということだろう。ただ、限りない生命体の中で人間にだけ天敵がいない。なぜか。長い間の疑問だったが、ある時思い至った。人間の天敵は外でもなく、心の中にいるのだと。

さらに続ける。

人間を襲い、蝕む天敵。それは心の中に巣くう不平不満である。事あるごとに湧き起ってくる不平、不満、愚痴こそ、人間を滅ぼす天敵である。人間を救う天敵の対極にあるもの、それが感謝である。心が感謝の思いに満ち溢れた時、あらゆる不平不満は一気に消える。感謝こそ人間という生命体を健やかに成長させる根幹である。

と。

亡くなったプロゴルファ杉原輝男が、生前「致知」に投稿した文章がある。(2008.8)

もっとも、私自身も気がつくのが遅かったが、誰のおかげでゴルフをしていられるのかと考えた時、私は試合後にお世話になったスポンサーやコースの支配人宛に礼状を出すことにした。40歳を過ぎた頃だっただろうか。(中略)

人間であれば心があるのだから、挨拶もするし、相手への思いやりも当然持つことだろう。何も特別なことは必要なく、当たり前のことを当たり前にできるようになれば、その人は人間として立派なプロなのだ。

ゴルフに限らず、その世界の上位クラスで活躍をする人は一流の素質か、それに近いものを持っている。しかし人間として一流でなければ、その人の値打ちは半分以下になってしまう。

もうひとつ、作家三浦綾子の言葉を紹介しよう。(人間学入門より)

  九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、  人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句をいいつづけるものなのだ。  自分を顧みてつくづくそう思う。  なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。

感謝の心、そして常に“ありがとう”の言葉を忘れずに生きて行きたい!

褒めて育てる!

前回紹介の日経新聞の連載「C世代 駆ける」(№9)に「褒める達人検定」の話が載っていた。記事には「高度経済成長を知らず成功体験の乏しい若手のやる気をどう引き出すか。悩める管理職が取得に懸命になっている資格がある。相手の長所を見つけ、ほめる技術を1~3級で認定する「褒める達人検定」。褒め言葉の語彙を増やし、短所も前向きにとらえる極意を磨く。09年の開始以来、セミナー受講者はのべ1万5000人にのぼる。主催会社シーズ(大阪市)が大企業の社員1000人を調べると、褒める上司のもとで働く社員の方がより多く企画を提案するなど仕事への意欲が高い事がわかった。35歳以下と若いほどその傾向が強い。怒られながら育った先輩社員たちは戸惑いながらも世代間の溝を埋めようともがく。」とある。

叱った方がいいのか、褒めたほうがいいのか?脳科学者の茂木健一郎氏は、多くのプロフェッショナルの話などで検証しながら、「叱る、褒める」の問題以上に「上司と部下の信頼関係が出来ている、上司が自分を全面的に受け入れてくれる存在である」なら、叱ることも受け入れることが出来ると言う。「部下の成長=自分の喜び」という考え方が肝心で「部下の成長=自分の苦労」というメッセージでは、部下の自発性の芽は育めない。しかし、脳には、うれしくないことや、苦しい事を逃げようとする働きがあるため、叱る際には、最初に褒めてやると、脳が受け止める態勢になり、そのあとの苦言も比較的すんなり受け入れられると言う。(「プロフェッショナルたちの脳活用法2〔NHK出版〕」より)

以前何かに書いてあったが、有るテーマを3組にやらせた。1組目はどんな成果が出ても叱り続け、2組目は逆にほめつづけ、3組目は無視し続けた。すると2日目は1組目が高い生産性を挙げたが、2日目以降は2組目が最も生産性が高くなった。3組目は常に最下位だった。すなわち叱ることは、短期的には効果はあるが、褒めることの方が高いモチベーションを維持・継続できるということだそうだ。

叱る材料はみつけやすいが、褒める材料はなかなか見つからない(本人を常日頃からよく知る努力が必要)。部下の育成のためにも、真剣に考えたい。

冲中一郎