JASIPA若手経営者懇親会(仮名)開催

昨日(26日)JASIPAの1行事として、「若手経営者懇親会(仮名)」を飯田橋のとある居酒屋の個室で開催した。昨年来、中小規模のITベンダーが集うJASIPAとして、会員企業の皆様に、よりメリットを実感していただく施策を“企画会議”を新たに設け議論してきた。施策の一つとして、経営者(社長)自らが日々の糧を得るのに東奔西走せざるを得ない状況の中で、永続的・安定的に事業を営んでいくための経営ノウハウを効果的に得る方策が議論になった。有識者を招いての「経営セミナー」などの案もあったが、会員企業の問題認識がなければ、押しつけのセミナーとなり、長続きしないのではないかとの意見もあり、まずは会員企業の意見交換を通じて、経営者の問題意識の掘り起しを行い、かつその中で各社の取り組み状況を聞きつつ、ベテラン経営者の意見を交えて何かに気付いてもらう場の設定から始めることとした。昨夜その第1回目を開催する運びとなった次第である。

第1回目は、幹事役の㈱BSC林社長が声をかけた若手経営者6人と理事長、理事、事務局長と私の10人で開催した。これまでの経緯から、私が進行役を進めることとなったため、最初のテーマとして「各社の企業理念から語る社員満足度向上策」とし、各社の企業理念と、テーマに沿った設問を資料として手渡し、議論を始めた。

企業理念を、社員に何度も繰り返し説明し、社員との対話も意識して行っている経営者もいるが、社員の扱いに苦労している経営者からも素直な発言がでたり、活発な意見交換が3時間近く続いた。最初は心配していたが、参加者の皆さん、アドバイザーの皆さんからも概して好評だったのでないかと思っている。今後のテーマとして、 ベテラン経営者の成功談、失敗談や、事業規模を増やしていったその戦略や苦労談などを聞きたいとの要望もあった。今後、理事の皆さんなどのお力を借りながら、皆さんの意見を参考にしながら当会を活性化していきたいと思う。会員企業の皆さんで、一度参加したいと思われる方は、㈱BSCの林社長または、事務局までご連絡ください。次回は5月24日(木)です。

百匹目の猿になろう!

引っ越しで本の整理をしていたら、過去に読んだ懐かしい本が目についた。その中の一冊に船井総合研究所の創業者船井幸雄氏の「百匹目の猿―「思い」が世界を変える(サンマーク出版1996)」があった。百匹目の猿現象とは・・・。

今から50年ほど前に宮崎県幸島(こうじま)の猿に実際に起こった現象。幸島に生息する猿の群れのうちの一匹が、ある日、エサのイモを川の水で洗って食べることを始めました。すると、ほかの多くの猿たちも、それを真似して同じ行動をとるようになりましたが、その数がしだいに増えて一定量にまで達したとき、不思議なことが起こりました。その現象を知る由もない、遠く離れたほかの土地や島の猿たちもまた、つぎつぎに、イモを水洗いして食べる行動をとりはじめたのです。

つまり最初の一匹が始めた、一つの賢い行動が集団の中に広がって、群れ全体の新しい知恵や行動形態として定着したとき、その行動は、時間や空間を超えてあちこちに飛び火し、仲間の中に同時多発的に伝わり、広がっていったのです。「あることを真実だと思う人の数が一定数に達すると、それは万人にとって真実になる」ということで、イギリスの科学者ルパート・シェルドレイク氏など多くの科学者が仮説を立て、ほぼ証明した理論と言われています。(この事象を発見したのは、京都大学霊長類研究所の故今西錦司氏)

今でも船井氏は今後のビジョンとして、約10年前から提唱されている「『百匹目の猿現象)』を起こす活動をすすめられています。これは、「『いい世の中をつくりたい』という思いを共有する仲間が集まれば、社会や世界をもっと良い方向へ変えていくことができる」との思いから端を発したものです。つまり、この世の中には時空を超えて共鳴をもたらす力がある。それはまるで電波のように遠く離れたところにも広がっていくのではないか」という仮説です。この理論を人間に応用し、「いい世の中にしたい」と思う人の数がある一定数を超えたら、その思いは一気に世界中に広がるのではないか、そして一人一人が百匹の猿の一員になればすばらしい社会になるとの思いからです。今、心ない人間の行動による森林の減少や砂漠化の進行、食糧やエネルギー不足、そしてそれらを加速させる、大量消費を是とし、競争を良しとする資本主義の行きづまり・・・など、現在の地球環境は急速に悪化の一途をたどっている。そして船井氏は、いまがちょうど人類にとって、未来を良いものにするか、悪いものにするかの分岐点すなわち、“正念場”のように思えてならないとの危機感から「ニンゲンクラブ」をはじめとして、メディアや講演会を通じて皆に呼びかける活動をされています。

「1人の力は弱いものでも、正しいと思うことを勇気を持って行動につなげていけば、いつかは大きな力になる。世間は正しいことには自然と同調してくれる。」社会においても、会社においても、地域コミュニティにおいても、家庭においても、前向きに生きていきたい。

西郷南洲の教えに学ぶ

同じ鹿児島生まれの稲盛和夫氏は、子供のころから西郷隆盛を敬愛し続けてきた。そんな稲盛氏が、世情の乱れてきた今こそ西郷の精神の復活が必要だとして、「南洲翁遺訓」全41条の解説書を出している。「人生の王道―西郷南洲の教えに学ぶ(日経BP社、2007.9)」という本だ。稲盛氏は、この遺訓は、時代を超え、我々に人間としてのあるべき姿を、今も鮮やかに指示してくれると言う。

「無私」:

「廟堂に立ちて大成を為すは天道を行うものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也」

(政府にあって国の政をするということは、天地自然の道を行うことであるから、たとえわずかであっても私心を差し挟んではならない)。今の政治屋にも肝に銘じてほしいと思うが、どんな組織であれ、トップに立つものの心構えとするべし。稲盛氏の「動機善なりや、私心なかりしか」を自ら問う姿勢は、この遺訓からの教訓だろうか。

「試練」:

「古より君臣共に己れを足れりとする世に、治功の上りたるはあらず、自分を足れりとせざるより、下々の言も聴き入るるもの也」

(昔から主君と臣下が共に自分は完全だと思って政治を行うような世にうまく治まった時代はない。自分は完全な人間ではないと考えるからこそ、下々の言うことも聞き入れるものである)。上に立って人をリードしていく者が自信を持ちすぎ、傲慢になることを戒めている。自信と謙虚さ、温情と非情、利己と利他など相矛盾する両極端の考え方を持ちながら、それを局面に応じて矛盾なく正しく発揮できる人が最高の知性を有する人である。

「利他」:

「道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ」

(道というものは、この天地の自ずからなる道理であるから、学問を究めるには敬天愛人{道理を慎み守るのが敬天、仁の心をもって衆を愛することが愛人}を目的とし、自分の修養には己れに克つことをいつも心がけねばならない)。人間というのは、心の中に常に煩悩が沸き起こり、腹が減ると「食欲」、外敵に立ち向かう際には「怒り」、無知蒙昧である故「愚痴」が出る。仏教ではこの3つを「三毒」と言う。この3毒を自分の意志の力で押さえつけることが克己。この克己が出来るように修養し、人々を分け隔てなく愛することが学問の目的という。人間とは弱く、偉くなって成功すれば、謙虚さを失う。

「大義」という面では、リーダーは集団の目指すべきところを明確にすべしと説く。

「信念」ということでは、どんな制度や方法を議論しても要は人の問題に帰結する、才覚と熱意を持って、才に溺れない人格を有し、哲学を学び実践しながら「人格形成」を図らねばならない。

「立志」では、人が自分自身を高めていこうという「志」を捨て、努力する前に諦めてしまう心の弱さを西郷は最も厳しく戒めている。

この遺訓は、江戸の薩摩藩邸の焼き討ちまでやり敵対していた旧庄内藩の手でまとめられた。稲盛氏は「かって、とびきり美しく温かい心を持った、一人の上質な日本人がいた。それが西郷隆盛」とまで言う。「西郷隆盛」をもっと知りたいと思う。

冲中一郎