座禅と法話の会(6月1日)

「運を活きる~一息の禅が心を調(ととの)える~」(さくら舎)刊行記念行事が、6月1日東京八重洲ブックセンターで開催された。50~60名の参加者で8階ギャラリーはほぼ埋まっていた。講師(著者)は、曹洞宗大本山總持寺参禅講師大童法慧氏。サッカーの中田英俊氏も教えを請うた方である。

なぜこのような会に参加したか?NSD在籍時、社員有志で「冲中サロン」をやっていたが、その時外部から参画して下さった「さくら舎」の古森さんからご案内を頂き、一度も経験のない座禅に興味があり、出かけることにした(古森さんは私の送別会にも出席頂いた。http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2012/3/24)。JASIPAの理事も一人出席頂いた。

まず座禅の経験。それも椅子に座っての「一息の禅」。腰の前で手を組み、半畳先を見つめて、息を口からゆっくり吐き出し、口を閉じて息を腹のあたりに吸い込み、ゆっくり吐き出す。15分間このままの姿勢で、心に浮かんできたことを「相手にしない、邪魔にもしない、追いかけない、ひきずらない、つかまない、持たない」。頭で考えて心を調(ととの)えるのではなく、身体でもって心を調える。この訓練で、「逃げない、ぶれない、比べない」、「自分が自分になる」悟りを得る。鶴見にある大本山總持寺には、多くの老若男女が参禅に来られると言う。

次に法話が40分ほどあった。運を良くするために3つのことを言われた。

  • 1)「自分は運がいい」と思える人になること。日常、否定の言葉を使わない。言葉が意識を変え、意識が行動を変え、行動が結果を変える。
  • 2)公け(義)に活きる視点を持つこと。まわりの人が幸せになるための努力を。

レンガ積工夫3人に聞いた。1人は「ただ毎日レンガを積んでいるだけだ。なんで毎日こんなことをせねばならないのか」と愚痴っぽい。もう一人は「大きな壁を作っている」と。最後の人は、生き生きとした声で「俺たちは、歴史に残る大聖堂を作っているんだ。多くの人たちがこの大聖堂で、祈りを捧げ、祝福を受けることになる」と。どの人になりたい?

  • 3)座禅を続けること。そして「いま、ここ」を大事に活きること。過去の何一つかけても今はないし、未来の出発点は「いま、ここ」。人間の命の長さ=一息の間。「一息の禅」で心を調えることに心がけて欲しい。

自分を他人と比較するから、心が乱れる。「自分が自分になる」ための座禅。奥深いものを感じた。もっと、もっと禅の世界を追求してみたい。今回の話の余韻を残しながら、法話の後、JASIPAの理事と二人で飲みに(話しに)行き、盛り上がった。

“専門家”を待つ落とし穴

昨日の日経夕刊1面のコラム「あすへの話題」に、生物物理学者の和田昭充東大名誉教授の記事がある。専門家が専門家を評しているところが面白く、納得してしまう。

曰く「専門家には、自信の強さに比例する深さの落とし穴が待っている」と。思いつく事例は、今日の政治、経済、科学技術に山ほど見られるとし、差し障りのない範囲で事例を紹介している。1910年飛行機を見て、聡明で知られたフランスの連合国軍総司令官は「飛んで遊ぶのは体にいいかもしらんが、軍事的価値はゼロだ」と一笑に付したとか。英国の陸相も最初の戦車を見て「手際のいい玩具」と評したそうだ。バーナードショー曰く「由来、専門家というものは自己の職務を知らないものだ」。ロイド・ジョージ英国首相は「英国は次の戦争のために準備せず、ただ過去の戦争のために準備した。ボーア戦争(1900年ころ)のとき我々はクリミア戦争(1853)のつもりでこれを迎えた。その後もわが軍事専門家たちは、過去の戦争をそのまま参考にして次の戦争計画にふけっていた」と。岩田氏は「まさに日本も日露戦争時代の、銃剣突撃の精神主義と日本海海戦の大艦巨砲主義で太平洋戦争に突入してしまった」と言う。最後に、『いつの時代でも「本物の専門家」に求められるのは「謙虚さ」、そして「自分の能力の限界」に対する不断の反省だ』と。

評論家日下公人氏も「思考力の磨き方(PHP研究所、2012.4)」の中で、学者、政治家も過去のデータに基づく思考形態「直線思考」の考え方に固まっており、新しい発想が出ないと言う。「思い込み」を捨て、事に当たって「自分の知識は十分か」「先入観にとらわれていないか」と自問しつつ、仮説を立て、自由に発想を広げる「拡散思考」が出来るよう頭を鍛えることが必要と説く。

原発はじめ、最近のいろんな社会問題を眺めてみると、専門家の主張を丸呑みする危険性を感じざるを得ない。我々も、情報が氾濫する世の中で、虚心坦懐に情報を読み解く訓練をしなければならないと痛感する。

会社人生は「評判」で決まる

上記題名の本が出版された(相原孝夫著、日経プレミアシリーズ、2012.2)。会社では業績などによる評価(査定)基準に則って処遇や人事を決めるが、主観的である「評判」も大いに加味されている、あるいは加味されるべしというのが、多くの企業の人材育成・評価に関する支援をやってこられた筆者の主張である。評価は短期間で作れるが、評判は長期間にわたって築かれるもので、一旦評判を落とすと再び高めるには、相応の時間を要するもの。お客様から得る評判(信頼)と同じ性質を持つ。「評価」には反論しがちだが、評判には反論できない(反論する対象が決まらない)。

「西郷南洲遺訓」に「功あるものに禄を与え、徳ある者に地位を与えよ」とある。企業の中では一般的に功あるものに地位を与えているが、それで上手くいっていないケースを多く見ると言う。それでは、評判はどうやって得ることが出来るか?相原氏が言うのは次の3点。

  • 1.自分を分かっていて、かつ他者への十分な配慮の出来る人。1人ひとりへ十分な関心を持つ。(反対語:ナルシスト)
  • 2.労をいとわない実行力の人(反対語:口ばっかりの評論家)
  • 3.自分の役割・立場を正しく理解し、それに基づいた本質的な役割を果たせる人。(反対語:自分の立場を理解していない分不相応な人)

周囲の目ばかりを気にしていても評判は高まらない。必要な自己主張や実行力がなければ評判は高まらない。プロセスを大切にし、日頃から細かいことにもおろそかにしない姿勢が必要。筆者は、様々な調査結果から、職場において、コミュニケーションや助け合いが減少していることを指摘している。好業績者1人より、ムードメーカー一人の方が存在感がある(WBCで西岡より川崎を選んだ理由―控えにまわってもモチベーションが保てる)。今の仕事、職場で「仕事もでき、評判も良い」との評判を勝ち取ることが第一義、転職して評判を得るのは至難の業である(イチローは、あのバッティングスタイルではアメリカでは成功しないとのメディアの評価を実績で覆し、メディアをに謝らせた)。

「評判」について考えてみることは、自分の今後の人生にとって大きな意味・意義があると思うがいかが・・・。

冲中一郎