オリンピックサッカー男女とも感動スタート!

連日のサッカーの健闘に、日本中が沸き立っている。特に昨夜のスペイン戦は、誰もが予想だにしなかった展開だったのではなかろうか。NHK番組に出ていた山本昌邦氏も戦前は、「引き分けに持ち込めれば大成功」のようなニュアンスの発言だった。しかし、90分間、ボール維持率は低いが、終始ゴールを狙う姿勢はスペインを圧倒していたように思った。優勝候補筆頭のスペインにあんなに堂々と怯むことなく戦い勝利した姿に、多くの人は勇気をもらったことと思う。

なでしこジャパンのカナダ戦の最初のゴールもすばらしい連携プレーで、見ているものに大きな感動を与えてくれた。暗いニュースが多い中で、日本人の活躍は「日本人の誇り」を感じさせてくれる。

これに関連して、25日の朝日新聞14面「経済気象台」のコラムが気になった。ロンドンに向かった同じ便にサッカー男女が乗りあわせたそうだ。そして男子選手はビジネスクラス、女子はエコノミークラスだったとか。12時間のフライトだが、この差は何かとの問題提起だ。日本サッカー協会が従来のやりかたに沿ってやったとの事だが、何かおかしいと感じる人が圧倒的に多いのではと思う。日本サッカー協会も次回以降見直すと言っているそうだが・・・。東日本大震災以降も、うちひしがれた日本人にこれほどの感動を与えてくれる「なでしこジャパン」、募金をしてでもビジネスで行かせてやってと思うがいかが?記事は、この問題を、メディアも、若者も取り上げないことを問題にしている。男女格差など本質的な問題を含んでいるとの指摘である。救われるのは、監督や選手たちが問題にしていないことで、勝利に対するひたむきな情熱だけが感じられると締めくくっている。アルバイトで資金を稼ぎながらプレーを続ける「なでしこジャパン」に熱い声援を送りたい!

転居届サービスレベルの悲喜こもごも

退職後は自宅を中心とした生活圏内で過ごすことが多くなった。会社生活と違って、市民生活レベルで、いろんなサービスに接することになる。「すごい!」と感心させられたり、これはおかしいと思ったり。今回は、転居に伴う転居届に関するサービスに関して。

「Kuroneko members」に登録すると、「○○様からのお荷物を△月△日にお届けします。日時のご指定がありましたら連絡ください」とのメールが事前に来る。住所変更の届けをすれば、郵便と同様、旧住所でも新住所へ届けてくれる。ここまで進んでいるとは知らなかったが、このシステムは核家族化が進んだ今、双方にメリットがある非常に意義のあるシステムと思う。他の宅配便業者も住所変更方法を捜したが、あまり当てにできないとの情報もあり、あきらめた。宅配便は、ヤマトがサ-ビス面で先んじている感がする。

住所変更届に関して同じ業界でも、これほど多様だとは知らなかった。以前に比べればインターネットで出来るようになって便利になっていると思うが、銀行なども届出方法はまちまちだ。インターネットだけで出来る銀行と、届出用紙を送ってもらって届出なければならない銀行がある。株に関する住所変更届に関しても、どういう仕組みかわからないが、証券会社に届けても、株主通知などで確実に変更されているものと、そうでないものがある。株主優待が旧住所に送られたりする(転居届後1~2か月後でも)。

区(東京)に住所変更届をしているのに、税務署や年金機構にも同じように届をしなければならないというのも腑に落ちない。故郷に固定資産などがある場合、地元の市役所、税務署にも届けなければならない。

旅行会社などから来る広告雑誌、通販ダイレクトメールなども問題だ。ある旅行会社で、インターネットで住所変更したのに、旧住所に配送される。旅行会社に電話すると、配送会社のせいにする。愕然とする。

3ヵ月たって何とか住所変更に関しては、落ち着いたのかなと思う。私の場合、前の住所に息子夫婦がいるから、誤配送が分かる。そうでない人は、恐らく分からずじまいで問題にも出来ないのではないかと思う。公共システムだけではなく、一般企業システムでも、それぞれのシステムがバラバラで、いろんな意味での統合化を志向しないと、問題は闇に葬られ、大きな無駄を放置することになる。IT業界の仕事はまだまだ多い!

870年続く姫路の鍛冶屋「明珍」

PHP Business Review 松下幸之助塾(2012年7・8月号)に、「老舗に学ぶ永続繁盛の秘訣(大阪商業大学大学院特別教授前川洋一郎氏)」という記事がある。今回6回目であるが、その中に私の故郷姫路の「明珍」が紹介されている。もともと姫路藩お抱えの甲冑師で、足利尊氏、伊達正宗、豊臣秀吉など有名武将の甲冑の多くは明珍作と言われているらしい。創業は1141年とも言われ、そこから数えると870年、口伝によれば1000年以上続く老舗とも言われている。なぜこんなに長い間続けてこられたのか?

この間、大きな危機が4回あったと言う。一回目は明治維新。突然武士がいなくなり、甲冑が不要となった。ここで鉄の鍛錬技術を活かして火箸屋に転向し、「天下の明珍火箸」を生み出した。2回目は太平洋戦争。金属類回収命令が出て、鍛冶屋から鉄がなくなってしまった。この危機には、借家、土地を売って凌ぐ。3回目は家庭の燃料革命。石油やガスに変わり、火鉢と火箸は不要となってしまった。この時は火箸を4本集めて風鈴を創ることにした。冬の商品から夏の商品への転換だった。21世紀に入り、エアコン完備の密閉住宅の普及で、今度は風鈴の需要に限界が見えてきた。そのため、今は新たにチタンを使ったが楽器やスティック、花器などの商品レンジを拡大している。チタンの楽器、お鈴、明珍火箸を使った楽器、明潤琴を演奏するコンサートやイベントが、この1年好評とか。最もいまでも明珍火箸を使った風鈴は人気商品でもある(ちょっと高価だが、音の良さは一度聞くと忘れられない!)。年間3個しか作らないそうであるが、セイコーと共同で機械式複雑腕時計を創り、厚さ0.2mmの鉄の輪を組み込み、火箸風鈴と同じ音色で時を知らせる。ちなみのこの時計の価格は3465万円。

今は52代明珍宗理(むねみち)氏が家を守っている。世の中の流れを汲みとり、お客のニーズをくみ取って、商品開発、新工法開発を進める。そしてみすから市場開拓していく。職人のハングリー精神と商人のチャレンジ精神を代々引き継いでいく。それも千数百度の鉄を約1キロの槌で打つ鍛錬技術をベースにした展開である。宗理氏は「職人の奥義、心得」を次のように言う。

  • 職人としての反骨精神。職人だからやれないことはない。
  • 質素真面目が大切。
  • 日々の工夫改善こそ大事
  • お世話になった人への恩義に感謝
  • あせらず、じっくりと毎日こつこつと
  • 本業専心

870年続いた老舗の52代が言う言葉には重みがある。

冲中一郎