“技術立国日本”の再生は可能か?!

新型コロナのワクチン接種が、米国、ロシア、中国など数か国ではじまった。ファイザーは日本にも承認申請を提出し、承認手続きは始まったばかりだが接種時期は来年前半と海外より大幅に遅れている。

11月20日夜9時からのNHKスペシャル「パンデミック激動の世界」では、日本のコロナ治療薬の研究状況などから“科学の土台が揺らいでいる”との問題提起をしている。新型コロナ関連でみても、主要な39の専門雑誌への投稿論文数を見るとアメリカ、イギリス、中国が上位を占める中、日本は残念ながら16位だ。接種が始まったファイザーやモデルナと同じ遺伝子ワクチンの研究を行っている大阪大学では、やっと500人の臨床試験を始めた段階だ。それに比して、米国では国立衛生研究所(通称NIH)が司令塔となり、2000億円を各開発団体に配分し、研究状況の報告を義務付けながら、可能性のある団体にはさらに予算をつけ、早期開発を促進する体制をとっている。15万人という多数の臨床試験に関しても全国ネットワークを駆使しながらNIHが音頭をとって研究団体を支援している。それに対して大阪大学での開発では100億円の予算はあるが、自らの責任で開発にあたり臨床試験でも1万人が必要と言われる中、自ら調達をしなければならないと言う。日本でも2015年に日本医療研究開発機構(AMED)が作られたが、“1日も早く成果を出す事”を主眼に、実用化間近い再生医療やがん治療薬などを中心とした支援に留まっているそうだ。

以前日本は、治療薬の開発・研究では世界をリードしていたと言う。エイズ治療薬や認知症治療薬の開発や、ノーベル賞を受賞された大村先生や本庶先生などの研究成果を見ても日本の存在感は大きかった。

番組では、新型コロナに効く治療薬開発に取り組む鹿児島大学の現状を紹介している。チームは教授、准教授と非正規の研究者の3人だけだ。しかも非正規の方は期限付きで来年3月末契約が切れる。40歳未満の非正規の研究者(期限付き)が研究者全体の64%(2007年は44%)を占めると言う。基礎研究を含めて研究を自由にできる環境がますます苦しい状況になってきている。先般(12月13日)亡くなられた元東大学長の有馬朗人氏は、1998年文部科学大臣に就任し、大学の研究の活性化(自由に競い合い、研究力を高める)を狙い、大学の独立法人化に尽力され2004年実現させた。当時の論文数は世界でアメリカについで2位と言う世界でもトップクラスの技術力評価がされていたが、将来を見据え、研究資金の見直しを推進された。運営資金交付金制度に加え、自由な研究ができるよう競争的資金制度を作り、研究資金面の充実を図ったが、2006年に有馬氏の意に反して、主に研究者の人件費であった運営資金交付金を毎年1%削減することになり、年を追って若手研究者の雇用を困難にし研究者の減少傾向を助長しているのだ。2015年政府は国立研究法人日本医療研究開発機構を作ったが、”いち早く成果を出す(産業しんこうのため)“ことを掲げ、実用化間近い再生医療やがん治療などの研究が優先的に支援を受けることになったが、基礎研究には資金が届いていない。この10月に政府が研究インフラの整備や若手研究者の育成に資するために、大学の研究支援のファンド(10兆円規模)を来年創設することを発表した。米国では、大学設立当時から寄付などで集めた資金を運用する基金があり、今ではハーバード大が4.5兆円、エール大が3.3兆円の規模で運用していると言う(東京大学で約149億円、慶応でも686億円)。

有馬氏も設立に注力した2011年設立の沖縄恩納村にある沖縄科学技術大学院大学(OIST)が注目されている。博士相当の人が世界60か国から集まる5年生の大学で、科学雑誌nature発表の論文評価順位で9位(東大が40位)に入った。沖縄振興予算を使って、期限に縛られない研究を推進するためにプロボストの役割が特徴的だ。プロボストのメアリーコリンズ博士が東北大学から来た研究者との対話で7年間の研究予算を与える事例が出ていた。基本は財団も含めて日米協力機構のようだ。OISTの事例は、資金を含め、運営面、システム面でも日本の技術力強化の参考になることが多いように思われる。

APU学長の出口治明氏が「勉強しない日本の大学生」と言い、メディアが「将来日本から科学技術関係のノーベル賞は出ない」とも言われる日本。企業と大学の関係、留学生の問題など課題は山積しているように思える。アメリカや中国も参考にしながら、抜本的な対策をうつ時期に来ている。日本の「技術立国」再生は待ったなしだ。

昭和記念公園に魅せられて

コロナ第3波到来で、外出抑制など巣ごもり推奨で出歩くことに罪意識を感ずる日々です。しかし、日ごろのストレスを発散させることも必要かと、立川の昭和記念公園に行ってきた(中央特快で一番すいている平日時間帯を狙って立川まで行き10日間ほど立川にステイ)。

東京都で一番広い公園と言われる(180ha)だけあって、11月後半の3連休でもソーシャルディスタンスは十分とれるほどゆったり回れる。今は、イチョウ、モミジ、メタセコイアなどの紅葉がひと際美しい時期です。写真は11月16日~23日の間に撮ったものです。

まずはイチョウ。見頃の並木道が2か所ある、まず立川駅に最も近い“あけぼの口”に近い「カナールの並木道」とそこから1.5kmほど先にある「語らいのイチョウ並木」が有名でもあり、見事なイチョウ並木が見られる。“子供の森”などあちこちにイチョウは見事な黄葉ぶりを見せてくれる。

「日本庭園」では、やはりモミジが主役だ。池に映るモミジも光景もすばらしく、園内のいたるところに見事に色づくモミジが見られる。

公園の北西“玉川上水口”の近くにある「子どもの森」には、色づいたメタセコイアの並木が見事だ。「子供の森」は子供にとって遊び甲斐のある広場だが、イチョウやモミジもある紅葉が楽しめる場でもある。

その他にも“こもれびの丘”の近くや“水鳥の池”などあちこちに見事な紅葉が見られる。

花は、今はコスモスの跡地の一部に咲いているヴィオラ、パンジー、ストック位で、春に向けたポピーの植え付け準備時期だ。10月初旬の黄花コスモス、10月下旬のコスモスはすばらしい。

ほんとに昭和記念公園に魅せられてしまった。散歩も兼ねて毎日でも来たい公園だ。

来年の春も楽しみです。

八ヶ岳の麓のスーパーがユニークな取り組みで大繁盛!

豊かな山梨県八ヶ岳の麓にあるスーパー「ひまわり市場」は、地元の人のみならず、県外からも大勢の人が詰めかけ、客足が途絶えることのない人気店だ。もともと赤字続きで倒産寸前だったという同店を、ユニークな取り組みと、愛にあふれた経営で再生に導いた那波秀和社長に、その改革の軌跡と共に、皆を笑顔にする経営のヒントを語っていただいた。

これは、「致知」11月号に掲載の記事「すべての人を笑顔にする経営を目指して」のリード文だ。甲府の魚市場に勤めていた時、ひまわり市場の先代社長に会い、誘われるままに32歳の時転職、すぐ店長を命じられた。が、先代社長は業績好調の別事業に集中し、スーパー事業は赤字でもいいとの雰囲気で、社員はやる気もなく、若造の言うことも聞かないような状態だった。そのうち、好調だった事業もうまくいかず、倒産の危機にも直面。安売りなど必死に対策をいろいろうつが上手くいかず、お客様に商品の価値をきちんと伝え買っていただくにはどうすればいいか、高級食材を扱う成城石井のバイヤーに教えを請いに飛んで行った。そして、現在の好調を支える“ユニークな取り組み“に辿り着いた。

店長自らの”マイクパフォーマンス“だ。「今ちょうどカツオの刺身が出ました!」「いま取り立ての枝豆入りました!」など朝から夕方まで時間があれば、マイクでお客様に情報を提供している。以前は懇意な問屋に仕入れを任せていたため、品ぞろえが偏っていたが、仕入れ先を広げ多様な商品を揃えたことから、お客様に他のスーパーでも見る”ポップ“で商品紹介していた(他と違って、例えば台湾が好きな社員が仕入れたバナナには「台湾が好きすぎて台湾へ旅行に行ってしまった」のような、背景にある物語を伝えることを意識)。がポップはそこを通ったお客さましか見ないことから、多くの人に情報を伝えるためにマイクパフォーマンスを考えたそうだ。

マイクパフォーマンスは、商品の魅力を伝えるだけではなく、それを仕入れた社員についてもありったけの美辞麗句で持ち上げる。毎朝朝礼でも社長の思いをぶつけるが、「この食材なら山梨で一番の目利きになろう」とか、社員がマイクパフォーマンスに応えようとし、自発的に本当に良いものを仕入れてくれるようになったと言う。マイクでは嘘はつけないため、品質を重視する風土も出来上がる。

結果として業績が上向き、ボーナスも出せるようになり、働きかたもブラックイメージから、完全週休2日制や育休制度、住宅手当も出せるようになり、繁忙期以外は8~9時間で家に帰れるようになった。那波さんは「社員が楽しく活き活き働ける環境を作れば、お客さんも満足して、自然と売り上げも上がって、頑張った分を社員に返せば、さらに一生懸命に働いてくれるようになる」と言う。さらに「会社と言う組織は、皆が仲間として信頼しあって働き、お客さんや取引先も含めて、皆が幸せになるために先人が考え出した仕組みだと思うんです。その会社が人を追い詰めるような存在になってしまってどうするんだ」と。

来年のNHKの大河ドラマに渋沢栄一が登場する。「論語と算盤」の精神がまさに、八ヶ岳の麓で花開いている。

冲中一郎