あなたはなぜITエンジニアなんですか?

昨日(26日)のITpro Enterprize記事の中で表題の記事に目が止まった。日経SYSTEMSの池上俊也記者(日経SYSTEMS創刊以来の担当を離れる際、最後の特集として書いたもの)の記事である (http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20121225/446381/?ml)。

今の仕事にやりがいや喜びを持つためには「志」が必要で、多忙の中でも是非とも「ITエンジニアという職業の意義や目的・目標」を考えてみることの提言だ。池上氏は、ITエンジニアと言うのは魅力が多いと言う。その理由を3つ挙げる。

  • 1.ITが生活・社会・企業のインフラとなっている今、それを支えていると言う使命感や充実感はITエンジニアでないと得られない。
  • 2.職種や専門分野は多岐にわたり、多様性が求められるだけに活躍するチャンスに溢れている。
  • 3.周りをあっと驚かすような価値を、他の業種・職種ではそう簡単に生み出せない。

この主張の正当性はともかく、ITエンジニアをやっている今、このような認識をした上で、如何に個々人が「志」をもつかが重要になってくる。池上記者が、業界を代表するITエンジニアの志を取材して回った結果、トップエンジニアの志とは下記のようなものだったと言う。

  • ●ITで世界を変えたい
  • ●みんなと達成感を味わいたい
  • ●どこでも通用意する私でありたい
  • ●多くの人の助けになりたい
  • ●最新技術に挑戦し続けたい
  • ●プロジェクトで自分を高めたい
  • ●価値あるアーキテクチャを生み出したい

トップエンジニアは、このような志を心に刻み、行動に移しているのだろう。皆さん元気で前向きで。多忙なはずなのに、それを多忙と感じない。むしろ自分に与えられたチャンスと捉え、活躍する舞台がドンドン広がる。そのため、多くの人が彼らの基に集まり、協力する。従って成果はどんどん上がる。まさに志がエネルギーとなって、正のスパイラルを創りだしている。

2012年はもうすぐ終わり、新たな年を迎える。年の初めに、「志」について考えてみては如何だろうか?今の仕事に喜びとやりがいをもつために、そして自分の人生を有意義なものにするために・・・。

東日本大震災の時、「無私の経営力」を発揮した企業

11月に『日本型「無私」の経営力~震災復興胃に挑む七つの現場(グロービス大学院田久保善彦著、光文社新書)』と言う本が出版された。一過性の話ではなく、ストック情報として後世にも伝えたい話としてグロービス大学院在学中の生徒と一緒に取材を重ね本の出版に至ったそうだ。

搭載企業は下記7社(本の「はじめに」より)。

  • ヤマトホールディングス㈱:現地での物流支援活動や、荷物1個につき10円で合計140億円を超える寄付を実施(2011年度)。当ブログでも「クロネコヤマトのDNA」で紹介(http://jasipa.jp/blog-entry/7953)。
  • 富士フィルム㈱:津波で海水を被った写真を洗浄する技術の開発と、大規模な戦場ボランティア活動を実施。加えて関連会社が地域の除染活動に貢献。
  • 富士通㈱:被災地域へパソコンやクラウドシステムを提供し、NPOと連携したプロジェクトを展開。在宅医療システムを構築。
  • ㈱東邦銀行:被災直後から迅速に払い戻しを行い、他の金融機関との協力関係をいち早く構築。
  • ㈱みちのりホールディングス(岩手県北バスグループ、福島交通グループ):原発周辺地域から住民を移送し、ホテルを避難所として開放。観光を通じた復興を目指し、ボランティアツアーを実施。
  • ㈱八木澤商店:全社員の雇用を維持するとともに、「地域全体経営」を構想。
  • 一般財団法人KIBOW:産官学のリーダーが発足させて震災支援活動。被災地のトップや有志達を集めたイベントを数多く開催。「夜明け市場」など、被災地での新たな取り組みの発足につなげる。

『「利益より地域や顧客に対する愛情」(皆さんのお蔭で今がある。恩返しする時と)、リーダー又は現場の強い責任感・使命感(すべてを無くした方々にとって唯一の思い出としての写真を、写真の会社としての責務として取り戻すべき)、様々な形で発揮されたリーダーシップ、従業員の会社を思う心、企業理念の浸透、普段からの経営と現場の相互理解と信頼,自社が社会に提供している価値の理解など様々な要素が影響しあいながら、本当にすばらしい活動が各地でなされた』と著者は、あとがきで言う。著者が言う「無私の経営力」は、上記要素が日頃から備わっていることを言うのだろう。

東邦銀行では、本人確認なくても10万円以下の払い出しを可能とした。頭取の「“事故を起こさない”ことよりも“被災者の役にたつこと”を優先せよ」との指示があり、スムースに実施できたと言う。被災者との信頼関係も日頃から出来ていることもあり、残高以上の払い出しを受けた分もすべて回収できたと言う。銀行の真心が、被災者の心にも通じたのだと思う。すばらしい日本の美質と言え、後世にも言い伝えられる話だと思う。

このような社会貢献活動の結果、自分の会社の社会へ提供する真の価値・使命をあらためて認識(宅配便が社会に必須のインフラ、写真の持つ意義など)でき、従業員の会社に対する愛情・思いが強まり、CSR活動の重要性を会社としてもあらためて感じることとなったと言う。

極寒の北海道へ

12月22日から1泊2日で極寒の北海道に家族(息子家族含めて7人で)で訪ねた。最高温度がマイナスの世界を40数年ぶりで体験することとなった。

小樽運河

まず、小樽運河を訪問。雪がコンコンと降る中、滑りそうな歩道を歩いて運河へ。東南アジア系の外国人も多く、この寒い中でも、写真スポットは人だかり。運河の傍の道を歩いていると鳥が川のほとりで愛嬌を振りまいていた。

札幌大通り公園イルミネーション

小樽から札幌へ移動。テレビ塔に上り、16時30分からの大通りのホワイトイルミネーション点灯を待つ。期待に胸ふくらませる人だかり。大通り全体が明るく点灯すると思ったら、手前の3-4通りまでで、がっかり。しかし、下に降りて大通り公園に行くと見ごたえのあるものだった。すぐ近くの時計台も雪の光景を照らし出した光景がすばらしかった。

北広島のホテルに宿泊した。夕食会場から花火が鑑賞できたのもよかったが、その翌朝は、すばらしくいい天気で、朝食会場からの光景は素晴らしかった。

旭山動物園

その日、旭川まで行くと雪模様。旭山動物園では、坂が多い中、慎重に雪を踏みしめながら歩くこととなった。雪を踏みしめると「キュッ、キュッ」と乾いた音がする。これは氷点下の寒い時しかしないそうだ。この日はマイナス8.5度。中には冬は外には出てこない動物もいたが、レッサーパンダやオオカミ、ライオン、ひょうななど元気に動き回っていた。中でも12月下旬から3月中旬の積雪期しかやらない、ペンギンの散歩は見ものだった(積雪期しかやらないのは、足裏を怪我しないようにということだとか)。ライオンやレッサーパンダも寒い中元気だ。

旭川の車窓風景

車窓から見る旭川の雪景色は、まさに北海道でしか見られないものだと思う。帰りに寄った土産物屋の外で見る雪はまさに「パウダーSNOW」で、足で蹴ると、雪が風に吹かれて飛んでいく。今回の北海道では、雪はかなり降っていたが、傘は不要だった。

東京に帰ってくると気温は7度。東京にいるときは寒く感じる温度が、なぜか温かく感じた。これで例年になく寒い冬も乗り切れるかもしれない。

冲中一郎