この一瞬を全力で生きる(元ソフトバンクホークス小久保選手)

「一瞬に生きる」(小学館、2013.1.31)を出版した小久保選手。チームを3回日本一に導き、400本塁打、2000本安打を達成して19年間の現役生活に昨年ピリオドを打った。プロ野球を代表する選手だが、華やかさの裏には、スランプもあり、大怪我も経験する中で、精神面を鍛える努力も並大抵のものではなかったことが、作家神渡良平氏との対談記事で分かる(「致知2013.3」より)。

巨人では初めて、生え抜き以外の主将を務めた。王監督や原監督が認める小久保氏のリーダーシップは、どうやって磨かれたのか?小久保氏は、「プロで成功した一番の要因は王監督との出会いだ」と言う。「練習の時に楽をするな、練習の時に苦しめ」のような言葉はもちろんだが、特に印象に残っているのは、入団2年目の日生球場での公式戦最終戦のこと。負けが続き、起こったファンから帰りのバスに多くの卵を外の景色が見えなくなるくらい投げつけられた。その時、王監督は全く動ぜず「ああいう風に怒ってくれるのが本当のファンだ。あの人たちを喜ばせるのが俺たちの仕事だ。それが出来なければプロではない」と。絶対に言い訳しない監督の姿に「あんなやつらに」と頭に来ていた自分を大いに悔いたそうだ。

そういう指導の中で、「心の平静さ」は打撃に直結する、との思いで、自分を顧みる「内観」研究所の門を叩き、3度指導を受けたとのこと。「内観」とは、これまでの人生で起きた事実(してもらったこと、お返しをしたこと、迷惑をかけたこと)を客観的に振り返ることで自分を深く見つめていく修業を言う。神渡氏も、「自分は自己主張の強い男で、‘俺が、俺が’の世界で生きてきた。‘作家になれたのも俺が頑張ったから’と思っていたが、内観を通して実は父や母が背後から手を合わせて祈ってくれていたことに気付いて号泣し、初めて両親に感謝の心を抱くことが出来た」と言う。小久保氏も、小学1年の時、野球をやめると言って泣きながら柱につかまる自分を無理やりグラウンドに連れて行った母親の愛に気付き、2000本安打表彰式に母親を呼び寄せ、グラウンドで王監督と記念撮影をして恩返しをした。小久保氏は言う。「内観を初めて経験した翌年、オープン戦で大怪我をした後、アリゾナでリハビリしたが、その際、内観で教わった“この一瞬に生きる”と言う言葉を胸に自分を奮い立たせることが出来た」と。数字がすべての厳しいプロの世界で生き抜くためには、内面の強さ、精神力がなければ壁を乗り越えられない。何よりも、内観を通して周囲の人に感謝できるようになったことが、スランプや怪我を克服できた大きな要因だったと言う。昨年クライマックスシリーズで日本ハムに敗れたとき、引退を決めていた小久保選手の所に(優勝胴上げの前に)、栗山監督や稲葉選手が駆け寄り、両チームの選手による胴上げがあり、そのありがたさに小久保選手は声を挙げて号泣したそうだ。小久保氏の人間性を表わすものと言える。

双葉山や白鵬が言う「未だ木鶏たりえず」と安岡正篤氏や稲盛和夫氏に教えを請い、常に平静心で戦えるよう鍛錬したのと相通じるものがある(http://jasipa.jp/blog-entry/7998)。最後に小久保氏は言う。「ちょっとかじったくらいでは仕事の本質は絶対にわからない。どんなちいさな仕事であっても、それを天職と自分で思って全身全霊をかけてぶつかり、目の前の課題を一個一個クリアする中で次の展開が見えてくる」、まさに「この一瞬に全力で生きる」ことの重要性を説く。成功者の言葉として心に響く。

プロの音楽家の厳しさ(バイオリニスト諏訪内晶子)

10日の朝日新聞26面に諏訪内晶子さんが仕事力について語る記事があった。諏訪内さんのお父さんはIBMで新日鉄の営業をやっておられ、JUASの細川顧問とブラジルの技術協力にご一緒させて頂いた折、その帰りにアメリカのIBMの紹介などでお世話になった方である。2~3年前にゴルフをご一緒させて頂いた折は、まだIBMで頑張っておられた。晶子さんは、20歳前(1990年)にチャイコフスキー国際コンクールで最年少、日本人初の優勝を飾り、一躍バイオリニストとして名をはせた方である。翌年、紀尾井ホールで開かれたコンサートで第1回新日鉄音楽賞を受賞され、その縁で新日鉄のCMにも出て頂いた記憶がある。今や押すに押されぬ第一人者として世界を舞台に活躍中である。

朝日新聞の記事のタイトルは「人生に懸けて追いかける」。プロとは何かを、20歳前後から世界的な演奏家から教わったとの事だが、名バイオリニストのアイザック・スターンには、「指導者の教えてくれたまま演奏するのは改めなければならない」と厳しい忠告を受けたそうだ。「作曲者の自筆譜を研究して、自分なりの演奏をし、しかもその演奏を自分の言葉で表現できなくてはならない。」問題を自分で考え、自分の内部で消化し、解決策がきちんと自分のものになっていなければならない、と。自分でどう弾きたいのか、どう表現したいのか。「プロの音楽家」としての姿勢だ。晶子さんはその時大きな衝撃を受けたと言う。「作曲家が曲を書いた背景を演奏家も理解していなくてはならない。音楽もいろいろな社会の状況や政治情勢とも無縁ではない。」晶子さんは新聞を隅から隅まで読むようになったと言う。

芸術と言う世界まで踏み込まねばとの思いで、米国のジュリアード音楽院に留学。校長先生は、音楽は総合的な芸術であり、アカデミックな学問も必要であると、並行してコロンビア大学で政治思想史などを受講する機会も与えてもたったそうだ。バイオリンを演奏するために、広く学問を志す。「プロになる」ということの大変さを教えてもらった。

プロとは?「プロの条件~人間力を高める5つの秘伝」(藤尾秀昭著、武田早雲書、致知出版社)によれば「仕事をすることによって報酬を得ている人は、そのことによって、既にプロである。またプロでなければならないはず」とし、プロとアマの違いを指摘する。

  • 自分で高い目標を立てられる人
  • 約束を守る:自分に与えられた報酬にふさわしい成果をきっちり出せる人、言い訳はしない
  • 準備をする:絶対に成功すると言う責任を自分に課す。絶対に成功するために徹底して準備し自分を鍛える
  • 進んで代償を支払おうという気持ちを持っている:高い能力を維持するために時間とお金と努力を惜しまない。

過ぎ去った時間は取り戻せない。年老いて、学ぶにつれ、過去を悔いる自分が情けない。せめて余生は「頑張った」と言えるものにしたい。

「さらば安売り」でんかのヤマグチ山口社長の連載記事始まる

“さらば安売り!ウチは「量販店の2倍の価格」でもテレビが売れる”(日経ビジネスオンライン2013.3.12 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130305/244566/?mlp)。当ブログでも何度も紹介しており(http://jasipa.jp/blog-entry/7295)、坂本光司法政大学教授の「日本でいちばん大切にしたい会社」講演会(http://jasipa.jp/blog-entry/8437)の中でも出てきた、町田市の家電販売店「でんかのヤマグチ」山口社長の連載の第1回目”高くても買ってくれる顧客を増やす方法“が始まった。地方に量販店が進出した時、多くの販売店が店を閉めざるを得なくなる状況下で、10年で営業利益35%を達成すると宣言し、8年で目標を達成してしまった山口社長は、本(なぜこの店では、テレビが2倍の値段でも売れるのか2013.2.19日経BP社)も出版されたり、各地に呼ばれ講演でも忙しいと聞く。

50インチの液晶テレビの価格は32万8000円。量販店では同じ製品が17万8000円位で、15万円の開きがある。それでもヤマグチの客は買ってくれる。その秘密は「徹底した顧客サービスにある」。レコーダーのセッティングとか、買ってもらった電球の交換などは当たり前のサービス(「表サービス」)。ヤマグチでは「裏サービス」に注力している。営業担当者が車で回っている時、顔見知りのお客様に声をかけると、今から病院に行かれると言う。「それなら送りましょう」と車で病院まで送る。韓流ドラマなどを録画するために定期的にお客様の自宅にお邪魔する。「遠くの親戚より、近くのヤマグチ」とお客様から言われているとの事。社員の名刺には「でんかのヤマグチはトンデ行きます」とのモットーが書かれている。

単に「モットー」があるから社員も喜んでサービスを徹底できているのか?お客様のかゆいところを察知するための「気付きの力」がなければ、お客様に満足してもらえるサービスは出来ない。その力を養うために「お客様にしたことシート」を毎日作成することにしている。商談以外で、「お客様に自発的にして挙げた事」を書いて提出する。「雨どいを掃除した」「植木の枯枝を切った」「街灯の清掃をした」など、いろんな報告があると言う。このシートに毎日書くことによって、商品を売りこむ以外に「何をすればお客様に喜んでもらえるか」を自然に考えるようになったそうだ。

自社の商品を得ることだけに精力を注いでいる営業マンが、お客様からの信頼を得られるだろうか?これから、IT業界も、如何に安売り競争から脱皮し、お客様に求められ、喜ばれる付加価値競争、サービス競争に勝つかが問われる。「でんかのヤマグチ」と同じ考え方で成功している中小企業は数多くあると、坂本教授は多くの事例を紹介される。ぜひ、山口社長の連載記事に注目してほしい。

冲中一郎