第13回JASIPA経営者サロンのご案内

明後日の25日19時からJASIPA事務所(飯田橋)で第13回経営者サロンを開催します。JASIPA会員の皆様には既にご案内していると思います。今回のテーマは

なぜJALはこれほど短期間に再生できたのか?

です。

JALは2010年1月に破たんし、2012年9月に再上場を果たした。この上場をめぐって、政治的な問題も指摘されている(例えば繰越欠損金があるため益が出ても法人税なし、ANAとの対比など)。政治的な問題は別にして、ナショナルフラッグキャリアの甘えがJALを蝕んでいた状態から立て直したプロセスは、一般企業でも大いに参考になるものと思われる。特に破たん時、会長就任要請を、80歳近い稲盛氏が無給で快諾されたことにも驚いたが、JAL再建のプロセスにおける稲盛氏の貢献もすごかったようだ。雑誌「PRESIDENT2013.3.18号」の「白熱!JAL社員座談会」や、「JAL再生」(引頭麻美著、日本経済新聞社刊、2013.1.25)におけるJAL役員や社員の証言を読むと、稲盛氏に対する尊敬と感謝の念と共に、「JALは変わった。稲盛氏が退任されても、その教えをさらに徹底していく」との熱き思いが伝わってくる。

その再生のプロセスを、上記2誌から探りながら(サロン前半で2誌の概要をまとめた資料を基に私の方から説明し、後半参加者の皆さんで、稲盛氏の教えに基づいてJAL自身が策定した「LALフィロソフィー」を中心に意見交換することにしている。

興味のある方は是非ご参加ください。連絡先:hayashi@bsc-ltd.com  携帯:090-8841-9948

リクルートは人材の宝庫!

18日のブログ(http://jasipa.jp/blog-entry/8652)でも一部触れたが、日経朝刊2面に先週連載された「リクルートの子供たち」を読むと、企業の社長、幹部や、著名人を数多く輩出しているのに驚かされる。

採用予算は86億円

ウェブマーケティングのマクロミル杉本社長(45)と人材コンサルタントのリンクアンドモチベーションの小笹会長(51)の出逢いが2回目に書かれている。杉本はリクルートの採用面接を受けたが、マスコミ志望で全国紙から内定をもらっていた。面接終了後トイレに行ったら面接官の男に会い「君さあ、事業を興した人を取材するより事業を興して取材される人になりたいと思わないか」と。そして分厚い「リクルート原点ブック」を手渡された。創業25周年に編纂されたその本にはリクルートの仕組みや制度がびっしり書かれてあった。杉本はその本の内容にぐいぐい惹かれ、気付いたらリクルートで働いていたと言う。その面接官が当時人事部長の小笹氏だ。小笹氏は「リクルートの競争力の8割は採用にある」と言う。杉本が入社した1992年には、500人採用し一人当り500万円の採用コストをかけた。「寄らば大樹のタイプは採らない。組織に頼らず新しい価値を生み出す企業家タイプを1~2年かけて探し、『これだ』と思った学生を全力で採りに行く」。

垂れ幕文化

3回目は、若手のモチベーションを上げるリクルートの人材活用術。新人営業ウーマン山田の成功物語だ。「ホットペパー」の営業で、ある焼き鳥屋から広告の受注をとった。その電話を受けた上司は、フロア中に響く声で「山田さん、初受注です」と叫ぶ。フロアでは大きな拍手が響く。山田が帰社すると握手攻めで、しばらくすると机の上に垂れ幕「祝、山田さん初受注」が下がる。これが創業時からのリクルートの文化だそうだ。その後も順調に伸ばした山田は四半期に一度のキックオフ大会で「新人賞」に輝いた。そしてそこで初受注の苦労話を披露。その直後、山田が驚くサプライズ企画、場内が暗くなりスクリーンにビデオ便り。なんと母親からの「おてんばだったあんたが、立派になって賞までいただくなんて・・・」。ここまでやられると、本人のやる気だけではなく、自分の手の内を喜んで明かすことになり、ノウハウが溜まっていくと言う。

青いRと赤いR

4回目は、青いR(リクルート)と赤いR(楽天)の浅からぬ縁についてだ。楽天の主要なポジションには元リクが多いと言う。楽天で働く元リクは100人を下らないそうだ。三木谷社長の、リクルート創業者江副氏への思い入れは深い。リクルートでは「社員皆経営者主義」で若いころから収支責任を負わされ20代でBS,PLをマスターする。そんな元リクは人材不足のベンチャーで即戦力として重宝される。

男女別はトイレだけ

5回目は、新人女性営業と言えども男女の区別なく、ノルマを与えるやりかたを書く。一つのビルを最上階から1階まですべての入居企業に飛び込み営業をかける「ビル倒し」も女性と言えども例外なく経験させる。あきれ顔の社長が「あんた新人やろ。どうやったらあんたみたいな生意気な新卒が採れるんだい」、新人女性は「ウチに求人広告をだしてもらえれば」と。リクルートに「女性社員」と言う言葉はない。1999年入社の横田は、「30歳までに起業」の目標を達成し、入社6年後に女性社長を支援するコンサル会社「コラボラボ」を立ち上げ、今では登録女性社長1300人、そのうち元リクが約100人とか。

いい人材を見極めて採用し、徹底的に育成し、30代で卒業[転職、起業]する。「折角育てた人材を辞めさせるのはもったいない」とのケチな考え方ではなく、「育った人材はもっと幅広く活躍させる」ことで、日本のため、世界のために役立てたいとの発想は凄いことだ。今年2月に76歳で亡くなられた創業者江副氏の理念が営々と生きている。

「日本一楽しい会社」を目指す群馬県の会社

新聞・テレビなどのメディア登場回数が1000回を超え、全国からの講演要請も数多く著作本も多数という、群馬県の中里スプリング製作所社長中里良一氏。自動車、パソコン、医療機器など様々な分野で使われるバネを製造する会社だ。「致知2013.5号」のインタビュー記事に登場されている。30年前廃業寸前状態の会社を創業した父親から引き継ぎ、「日本一楽しい会社を目指す」をキャッチフレーズにする「非常識経営」で、23名の小さな会社を、それまで県内しかなかった取引先を47都道府県すべてに拡大するまでに成長させた。

大学卒業後商社に勤めて(昭和49年)2年後に父親から「会社を閉める」との連絡が入った(オイルショック時)。父親に負け戦をさせるわけにはいかないと、「俺が立て直す」と言って戻った。会社の雰囲気は、社員も中途半端なプライドばかりで、ダラダラ残業をする状態。社長の息子だからと言って誰も言うこと聞かない。自分が結果を出さなければ社員の信用も得られないと、昼は営業、夜は時間を惜しんで現場のバネ製造技術を自ら勉強し、ベテランが出来ないと言ったバネを作って見せた。その時から社員はついてきてくれるようになったそうだ。そして入社9年後名実ともに社長になった。「人間は環境が悪いから頑張れる。頑張っている姿を人に見せちゃいけない。多くの人はちょっとした努力を人に分かって欲しいと思うが、結果だけ示せばいい」と経験から中里氏は言う。

まずやったことは「夢会議」の創設。最初は「夢なんか考えた事も無い」社員に夢を持たせるために月1回車座になって夢を語る会を開いた。「車が欲しい」「家族旅行をしたい」「もっと大きいバネを作りたい」等など。社長の夢は「営業マンを一人も置かずに、営業所を一つも出さずに全国制覇する」。そして、昨年高知県を最後に目標達成。どうやって達成したか?人前で喋るのが大嫌いだったが、ある人の勧めで「今までやってきたことを思い切ってしゃべって見て」と言われ、思い切ってしゃべった所、それがきっかけで次第に増えていき多い時は年間60回を超えるまでになったそうだ。その講演の機会を利用して、営業活動を全国で展開(交通費も相手もちのため、費用かからず)。

会社のすべての判断基準は「損得」ではなく「好き嫌い」。取引先もすべて社員の希望制で、どうしても好きになれなければ、取引先を切るのもOK.自分の評価は自分で、給料は幾らもらいたいか、どの役職につきたいか、誰についていきたいか、誰を部下にしたいか、なども希望制。一緒に仕事をしたい希望者がいない時は社長直轄とし、自分のいい所をもっと伸ばせと指導する。「人の人生はすべて‘好き嫌い’で動いている、学校選び、クラブ活動、伴侶選びなどでもそうなのに、仕事だけ損得で考えても上手くいかない」というのが中里社長の持論。後は頑張るために「夢」を持って、逃げ場を無くして頑張る。

ホームページに講演テーマなども細かく記載されている。上記記事だけでは、すべてに納得できるわけではないと思うが(少なくとも私は)、会社は上手く回り、社員も活き活き仕事をしていると思われる。何よりも講演回数がすごいことを考えても、経営にヒントになることは多いのだろう。JASIPAの会員が群馬県には多いが、情報があれば教えて頂きたい。

余談だが、18日のJASIPA交流会で、「立派納情報システム㈱」の和田社長と名刺交換した。先月創業されたそうだが、「立派納」は中国語で「立派な」と言う意味とのこと。オフショア開発を事業とする会社だが、「立派な会社にする」との意気込みを社名にしているのがユニークで面白い。

冲中一郎