「昭和史」は何を物語る?


戦後70年の年、戦争体験のない私にとって、昭和史を勉強するいい機会になった。思い返せば、学生時代、なぜか昭和史は学校の授業でもあまり詳しく教えてもらっていなかったことに気付く。傷痍軍人が駅前などの繁華街に立っている姿をよく見かけたが、その姿が唯一戦争の悲惨さを思い知らされるものだった。

約320万人が亡くなり日本本土が焦土化した3年9か月にわたるアメリカとの戦争は必然だったのか?避けられなかったのか?・・・、この悲惨な戦争に至った経緯を知るのは将来の日本を考える上でも、特に戦争を知らない世代の責務とも思える。昭和20年8月15日の天皇陛下直々の玉音放送に関しても映画「日本のいちばん長い日」が物語るように、戦争継続・一億国民総玉砕を言い張る青年将校が宮城を占拠し、それが成功していた暁には今の日本は存在していないかもしれないのだ。

「日本のいちばん長い日」の作者半藤一利氏の「昭和史」(平凡社)を読んだ。慶応元年(1865)に開国し、明治維新を経て日清戦争(1894-1895)の勝利、さらに日露戦争(1904-1905)でも世界の予想を覆す勝利をおさめ、世界に日本の名を轟かせた。開国から40年間かかって日本は世界に誇れる近代国家を完成させたとも言える。そして大正、昭和の時代に入るが、日露戦争の勝利が「日本は世界の堂々たる強国」と日本人はたいへんいい気になり、自惚れ、のぼせ、世界中を相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一所懸命つくった国を亡ぼしてしまう結果になったのが日露戦争勝利から40年だった太平洋戦争だったと半藤氏は言う。

日露戦争勝利で対ロシア防衛のための生命線である満州を得て、そこを守るために配置した関東軍が勢力を増していくことになる。勢力拡大(満州の管理権拡大?)のために、張作霖爆殺事件(昭和3)、柳条湖事件(昭和6)、上海事変(昭和7)と立て続けに日本の謀略により戦争を仕掛け、国際批判を受けての国連脱退(昭和8)に至る。この間、大元帥である天皇陛下は戦線拡大を懸念するも、関東軍や軍部の独断(本来なら大元帥の判断なくして戦争すれば責任者は死刑)で仕掛けた戦争だ。総理と言えども反対すれば犬飼毅のように暗殺(昭7.5・15事件)されるほど、軍部が独走し、またメディアも「行け!行け!」一色で、国民も日本が謀略で仕掛けた戦争とは知らされず、勝ち戦に「イケイケドンドン」だったそうだ。昭和12年に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまり、南京陥落、漢口陥落で日本では旗行列、提灯行列が続いた。昭和14年には蒙古とロシアとの境界線争いのノモンハン事件で関東軍がロシアと対決し、双方に多大な死傷者をだすことになった。その反省もなく、次代の流れの中で、「国家総動員法」を制定、中国との戦争時欧米諸国が中国を助けたとのこともあり、イギリスとの友好関係を破棄し、日米通商条約廃棄を通告、ヒトラーの勢いにのっかり、独伊との三国同盟に傾く。このあたりから、陸軍、海軍の主導権争いの中、無益な戦争より日米外交交渉を第一に進めるべきとの天皇陛下の意向に反して、第二次世界大戦、そして太平洋戦争に突入していくことになる。三国同盟に反対し、日英協調路線を主張する山本五十六などは中央幹部を離れ、かつ無能な(半藤氏曰く)近衛第二次内閣でアメリカとの決戦に一挙に傾いていった。支那事変の時陸軍大臣だった杉山参謀総長と天皇のやりとりがある。

  • 天皇「日米に事が起これば、陸軍としてどれくらいの期間で片づける確信があるか?」
  • 杉山「南方方面だけは3ヵ月で片づけるつもりです」
  • 天皇「支那事変の時杉山は1ヵ月くらいで片付くと言ったが、4か年の長きにわたり、まだかたづいていないではないか?」
  • 杉山「支那は奥地が拓けており、予定通り作戦がうまくゆかなかったのであります。」
  • 天皇「なに?支那の奥地が広いと言うなら、太平洋はもっとひろいではないか。いかなる確信があって3ヵ月と言うのか」杉山参謀総長答えられず。

大元帥である天皇陛下にさえ事実をまともに説明せず、国民的熱狂を醸し出し、昭11.2.26事件でテロの怖さを政権などに植え付け、山本五十六など慎重派を遠ざけ、仲間を要職につけ、戦争拡大に突っ走った昭和史には、学ぶことが多い。半藤氏は言う。「政治的指導者も、軍事的指導者も、日本をリードしてきた人々は、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか、ということでしょうか。あらゆることを見れば見るほど、なんとどこにも根拠がないのに“大丈夫、勝てる”だの“大丈夫、アメリカは合意する”だのという事を繰り返してきました。そして、その結果まずく行った時の底知れぬ無責任です。今日の日本人にも同じことが多く見られて、別に昭和史、戦前史と言うだけでなく、現代の教訓でもあるようですが」。

いままさに、安保法制が決まりそうな局面に来ている。内閣法制局長官など、あからさまに法案を通すための人事を挙行し、国民の声に聴く耳も持たず、戦後70年築いてきた「平和な国日本」の転換をはかろうとしている。国会論議においても「根拠なき過信、傲慢さ」が目につく。もっと時間をかけて、多くの国民が納得する形にして法案を採決することこそ「立憲国家日本」のあるべき姿と思うがいかがだろうか?太平洋戦争で壊された日本を折角70年かけて作り上げた国民の努力を、無にしないように祈るばかりである。

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