フェンシング団体銀メダル獲得に感動!

またまた、ロンドンオリンピックの話題です。すでにメダルの数は北京オリンピッを超えた(北京:26個、ただし金が9個)。金メダルは少ないが、毎日のようにメダルの数が増えていく。

今日はフェンシング団体の銀メダルに固唾を飲んだ。北京で金メダルの中国を破り、準決勝はドイツ。最後の9戦目(太田選手)で残り9秒の段階で2点負けていた。6秒で1点返し、あと1秒で同点として延長に。延長で1点取り(それも何度かビデオ判定になるほど緊迫したゲーム)、団体では初のメダル獲得。録画で見たが、勝ったことは分かっていても、手に汗握る戦いだった。北京で涙をのんだ太田選手の執念の凄さと同時に、チームとしての団結力に感動させられた。決勝のイタリア戦もほんとに健闘した。

それにしても、44年ぶりの準決勝進出の男子サッカー、初めての準決勝進出の女子卓球など、チームとしての活躍がオリンピック中盤で目立つ。卓球女子も、福原選手が、これまで1勝しかしていないシンガポールの選手に最初に勝利し、その勢いで石川、平野選手が勝った。「メダル獲得」の長年の目標を達成したその喜ぶ姿に感動した。水泳の男女メドレーリレーもそうだが、日本はチームプレーでいつも以上の力を発揮している。これこそ、日本の特質、美質なのではないだろうか。過去の悔しさをバネに何年も体に鞭打ち頑張ってきたアスリート達が、チームワークの中でさらにその思いを共有し、そして明確な目標に向けて精神を高めあう。身体的能力や技術面で劣る日本人が、外国人と対峙し勝つには、チームとしての競争力を日本人の最大の強みとして活かすことだということを教えてくれているように思う。さらには、外国に積極的に出て戦いながら、「日本人としての強み・誇り」を認識し、精神的にも強くなってきているようにも思える。

日本企業のグローバル化が喫緊の課題となっているが、「日本人としての誇り」を胸に世界と競争できる人材育成の必要性を、今回のオリンピックは教えてくれているのかも知れない。

日本男子サッカーの強さの秘訣は?

サッカー男子が44年ぶりの準決勝進出を決めた。私の愛読する「致知2012.9号」にタイミングよく日本サッカー協会の田嶋副会長の「サッカーはサッカーを教えるだけでは強くならないー強さの秘訣は「言語技術」なり」との記事があったので、紹介する。

1993年Jリーグが10チームで始まった時日本人監督は8人いたが、2年後14チームとなったが日本人監督はたったの4人になってしまった。当時川淵チェアマンから何とかしないと日本人監督はいなくなってしまうと言われ、辞めた監督などにヒアリングをしたそうだ。当時はチーム強化策としてジーコなど有名選手を招聘していたが、彼らから「あの時、あの場面でなぜ監督はあの選手を変えたのか?」、「この練習は何のためにやるのか?」といった質問をされ、多くの監督は答えられなかった。企業チームの時は監督・コーチはいわゆる上司だったため、選手からそんな類の質問はなかったため、面食らう監督が多かったそうだ。しかし、答えられない監督に対し、外国選手は「無能な監督」とダメ出しするため、いたたまれず辞表を書くことになった監督が多かったそうだ。2002年ころから日本選手も外国のクラブチームにチャレンジし始めたが、現在のようにゲームに出て活躍できる選手はほとんどいなかった。聞いてみると、自分はこうしたい、だからこんなパスが欲しいと、自分の考えを伝えることが出来ないため、ゲームに出させてもらえなかったということらしい。

そこで田嶋氏が考えたのは、身体能力や技術はベースとして必要だが、それに加えて「如何に自分で考えてプレーができるか」ということ。そして真っ先に取り入れたのが「ディベート」だった。自分の思いをどう説得でき、相手に納得してもらうか、その能力を獲得する手段として論理的思考や言語能力を伸ばすため日本ディベート協会にお願いして指導を仰いだとのこと。さらには三森ゆかりさんの言語技術教育も導入。さらに、「誇り」を持ってプレーできるよう、未来の選手にマナーや立ち居振る舞いも教える「エリート教育」を行うため2006年に「JFAアカデミー福島」を開校したとか。ここでは学校に通いながらの寮生活を基本とし、マナー講習や英会話、ディベートや言語技術を学ぶ。

これまで日の目を見ず、つらい思いをしてきたU23、U20の選手たちは明らかに海外と渡り合える選手に変貌してきたと思われる。大活躍の清武選手も、同僚香川選手に後を押されてニュールンベルグに出て、ますます磨きがかかってきた。ヨーロッパのクラブチームは百年、二百年という長い歴史の中で培われてきた「誇り」があり、「ユニフォームに袖を通すなら、それに相応しい人間になれ」との「エリート教育」を徹底的に受けると言う。名実共にグローバルに戦えるチームになった日本サッカー、その経緯はまさにグローバル化せねばならない企業人材育成にも参考になるものが多いと思われる。

日本の伝統文化を守る‘伊勢神宮の式年遷宮’

伊勢神宮は、天照大御神がご鎮座されて以来二千年以上もの間変わることなくそこにある自然と、絶えることなく続く精神文化が存在する。この神宮の森を歩く時、森の清々しさと、そこにある生命力を誰もが感じます。昔と変わらない場所にいることで、二千年という時を越え、深い日本文化と自分がつながっている気持ちにもなれます(伊勢神宮式年遷宮HPより)。

この伊勢神宮で、西暦690年以来続いている20年に一度社殿を建替え、御装束や御神宝を新調して神さまにお遷り願う我が国最大のお祭り「式年遷宮」が来年2013年に62回目を迎える。神宮にとって永遠性を実現する大いなる営みでもある。

前々回の当ブログ「君が代の起源」(http://jasipa.jp/blog-entry/7820)で紹介した作家長部日出雄氏は、還暦を過ぎてから伊勢神宮を訪れ、それまでの反体制の立場からコペルニクス的転回をした。長部氏曰く「鳥居をくぐって広大な神域を一回りした途端、僕の歴史観、国家観、天皇観はコペルニクス的転回を遂げた」と。「世界中のあらゆる神殿や聖堂は、その圧倒的な規模や装飾の煌びやかさによって、見るものを威圧する。ところが伊勢神宮の建築は非常に簡素で、規模も小さく、基本の造形と素材の美しさのみで構成されている。それに加えて驚いたのは参道の両側に聳える木の幹の太さと途方もない高さだった。樟、樫、椎など、どれもこれまで目にしたことのないほどの大樹で、そんな木々が森の中に点在しているーーー。この簡素な建築と聳え立つ木々との関係性を見れば、我々の先祖が如何に自然を大事にしてきたかが分かる。」(致知2010.8号より)

遷宮のスケールの大きさはその歳月だけではない。93正殿の建て替えだけでなく、「御装束神宝」(おんしょうぞくしんぽう)と呼ばれる神々の調度品や衣装など714種1576点もすべて一新する。全てが古代から続く寸法、技法で作られ、完成品は神宮司庁の職員が細部まで検査して質を確認するという。造営に必要な木材は約1万本、萱は2万3000束。ヒノキは大きなもので長さ10メートルを超えるという。

このための作業は7~8年前に始められているそうだ。式年遷宮が20年ごとに行われる理由については、弥生建築の「清浄さ」を保つ限界とも言われているそうだが、日本の伝統文化を支える技術の継承が第一義ではないだろうか?

国費はかかるが(今回550億円)、日本の誇れる伝統・文化は大事にしたい。伊勢神宮は小学校の卒業旅行で行ったきりだが、ぜひじっくりと訪ねてみたい。