サッカー男子が44年ぶりの準決勝進出を決めた。私の愛読する「致知2012.9号」にタイミングよく日本サッカー協会の田嶋副会長の「サッカーはサッカーを教えるだけでは強くならないー強さの秘訣は「言語技術」なり」との記事があったので、紹介する。
1993年Jリーグが10チームで始まった時日本人監督は8人いたが、2年後14チームとなったが日本人監督はたったの4人になってしまった。当時川淵チェアマンから何とかしないと日本人監督はいなくなってしまうと言われ、辞めた監督などにヒアリングをしたそうだ。当時はチーム強化策としてジーコなど有名選手を招聘していたが、彼らから「あの時、あの場面でなぜ監督はあの選手を変えたのか?」、「この練習は何のためにやるのか?」といった質問をされ、多くの監督は答えられなかった。企業チームの時は監督・コーチはいわゆる上司だったため、選手からそんな類の質問はなかったため、面食らう監督が多かったそうだ。しかし、答えられない監督に対し、外国選手は「無能な監督」とダメ出しするため、いたたまれず辞表を書くことになった監督が多かったそうだ。2002年ころから日本選手も外国のクラブチームにチャレンジし始めたが、現在のようにゲームに出て活躍できる選手はほとんどいなかった。聞いてみると、自分はこうしたい、だからこんなパスが欲しいと、自分の考えを伝えることが出来ないため、ゲームに出させてもらえなかったということらしい。
そこで田嶋氏が考えたのは、身体能力や技術はベースとして必要だが、それに加えて「如何に自分で考えてプレーができるか」ということ。そして真っ先に取り入れたのが「ディベート」だった。自分の思いをどう説得でき、相手に納得してもらうか、その能力を獲得する手段として論理的思考や言語能力を伸ばすため日本ディベート協会にお願いして指導を仰いだとのこと。さらには三森ゆかりさんの言語技術教育も導入。さらに、「誇り」を持ってプレーできるよう、未来の選手にマナーや立ち居振る舞いも教える「エリート教育」を行うため2006年に「JFAアカデミー福島」を開校したとか。ここでは学校に通いながらの寮生活を基本とし、マナー講習や英会話、ディベートや言語技術を学ぶ。
これまで日の目を見ず、つらい思いをしてきたU23、U20の選手たちは明らかに海外と渡り合える選手に変貌してきたと思われる。大活躍の清武選手も、同僚香川選手に後を押されてニュールンベルグに出て、ますます磨きがかかってきた。ヨーロッパのクラブチームは百年、二百年という長い歴史の中で培われてきた「誇り」があり、「ユニフォームに袖を通すなら、それに相応しい人間になれ」との「エリート教育」を徹底的に受けると言う。名実共にグローバルに戦えるチームになった日本サッカー、その経緯はまさにグローバル化せねばならない企業人材育成にも参考になるものが多いと思われる。