ジム通いで腰痛克服!

20~30年前から続く慢性的な腰痛で、歩く姿から腰痛持ちと分かるようで、多くの方から治療院の紹介を受けたり、「プールで歩く」ことを推奨されたり、皆さんにほんとにご心配をおかけしました。現役時代は、多忙を理由に、皆さんのご厚意をすべて実行できずにいましたが、やっと5月21日から近くのジム(徒歩数分)に通い始めました。

今日で8回目になりますが、不思議なことに通い始めた途端に、腰の痛みがなくなり、毎日のように足のシビレで、歩いている途中少し休まないと歩けない状態だったのが、全くなくなりました。もっと早く行っておけばと後悔しきりですが・・・。

今のところジムでのメニューはほぼ一定で、歩行&ジョギング10分~15分、サーキットトレーニング(6種類の機器とその間にある昇降台を組み合わせて30秒ごとに順番に回りながら運動する。これを3回繰り返す)」を30分、その後レッグプレスなどを10分、その後プールに移って、プール内歩行20分~30分、ジャグジーで5分、風呂で5分とジムにいる時間はほぼ2時間です。実質行き帰りの歩行を加えると1時間半体を動かしていることになります。

昨日、プール内のジャグジーをやっていると、若いトレーナーが話しかけてくれ、私のトレーニングパターンを言うと、「ベストに近いですね」と褒めてくれました。「ホットストレッチ」や「ホットヨガ」なども一度体験することを薦められましたが、自信を持って当面このパターンを続けたいと思っています。(もしお奨めのパターンがありましたら教えてください)

平日は、お年を召した方が多く、またレッスンも女性が圧倒的に多いのですが、恥ずかしさを忘れて、私もその仲間だと割り切りながら頑張っています。サーキットトレーニングに82歳のお婆さんが参加されているのには驚きました。見た目は70歳前半と思ったのですが、さすがお若く、ご本人曰く「周囲に迷惑をかけないよう、ピンころりを願って来ています」と。

今週7日、高校同期14名と姫路でゴルフですが、この成果が出るかどうか?腰痛を言い訳にしていたのがバレルかも。

座禅と法話の会(6月1日)

「運を活きる~一息の禅が心を調(ととの)える~」(さくら舎)刊行記念行事が、6月1日東京八重洲ブックセンターで開催された。50~60名の参加者で8階ギャラリーはほぼ埋まっていた。講師(著者)は、曹洞宗大本山總持寺参禅講師大童法慧氏。サッカーの中田英俊氏も教えを請うた方である。

なぜこのような会に参加したか?NSD在籍時、社員有志で「冲中サロン」をやっていたが、その時外部から参画して下さった「さくら舎」の古森さんからご案内を頂き、一度も経験のない座禅に興味があり、出かけることにした(古森さんは私の送別会にも出席頂いた。http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2012/3/24)。JASIPAの理事も一人出席頂いた。

まず座禅の経験。それも椅子に座っての「一息の禅」。腰の前で手を組み、半畳先を見つめて、息を口からゆっくり吐き出し、口を閉じて息を腹のあたりに吸い込み、ゆっくり吐き出す。15分間このままの姿勢で、心に浮かんできたことを「相手にしない、邪魔にもしない、追いかけない、ひきずらない、つかまない、持たない」。頭で考えて心を調(ととの)えるのではなく、身体でもって心を調える。この訓練で、「逃げない、ぶれない、比べない」、「自分が自分になる」悟りを得る。鶴見にある大本山總持寺には、多くの老若男女が参禅に来られると言う。

次に法話が40分ほどあった。運を良くするために3つのことを言われた。

  • 1)「自分は運がいい」と思える人になること。日常、否定の言葉を使わない。言葉が意識を変え、意識が行動を変え、行動が結果を変える。
  • 2)公け(義)に活きる視点を持つこと。まわりの人が幸せになるための努力を。

レンガ積工夫3人に聞いた。1人は「ただ毎日レンガを積んでいるだけだ。なんで毎日こんなことをせねばならないのか」と愚痴っぽい。もう一人は「大きな壁を作っている」と。最後の人は、生き生きとした声で「俺たちは、歴史に残る大聖堂を作っているんだ。多くの人たちがこの大聖堂で、祈りを捧げ、祝福を受けることになる」と。どの人になりたい?

  • 3)座禅を続けること。そして「いま、ここ」を大事に活きること。過去の何一つかけても今はないし、未来の出発点は「いま、ここ」。人間の命の長さ=一息の間。「一息の禅」で心を調えることに心がけて欲しい。

自分を他人と比較するから、心が乱れる。「自分が自分になる」ための座禅。奥深いものを感じた。もっと、もっと禅の世界を追求してみたい。今回の話の余韻を残しながら、法話の後、JASIPAの理事と二人で飲みに(話しに)行き、盛り上がった。

“専門家”を待つ落とし穴

昨日の日経夕刊1面のコラム「あすへの話題」に、生物物理学者の和田昭充東大名誉教授の記事がある。専門家が専門家を評しているところが面白く、納得してしまう。

曰く「専門家には、自信の強さに比例する深さの落とし穴が待っている」と。思いつく事例は、今日の政治、経済、科学技術に山ほど見られるとし、差し障りのない範囲で事例を紹介している。1910年飛行機を見て、聡明で知られたフランスの連合国軍総司令官は「飛んで遊ぶのは体にいいかもしらんが、軍事的価値はゼロだ」と一笑に付したとか。英国の陸相も最初の戦車を見て「手際のいい玩具」と評したそうだ。バーナードショー曰く「由来、専門家というものは自己の職務を知らないものだ」。ロイド・ジョージ英国首相は「英国は次の戦争のために準備せず、ただ過去の戦争のために準備した。ボーア戦争(1900年ころ)のとき我々はクリミア戦争(1853)のつもりでこれを迎えた。その後もわが軍事専門家たちは、過去の戦争をそのまま参考にして次の戦争計画にふけっていた」と。岩田氏は「まさに日本も日露戦争時代の、銃剣突撃の精神主義と日本海海戦の大艦巨砲主義で太平洋戦争に突入してしまった」と言う。最後に、『いつの時代でも「本物の専門家」に求められるのは「謙虚さ」、そして「自分の能力の限界」に対する不断の反省だ』と。

評論家日下公人氏も「思考力の磨き方(PHP研究所、2012.4)」の中で、学者、政治家も過去のデータに基づく思考形態「直線思考」の考え方に固まっており、新しい発想が出ないと言う。「思い込み」を捨て、事に当たって「自分の知識は十分か」「先入観にとらわれていないか」と自問しつつ、仮説を立て、自由に発想を広げる「拡散思考」が出来るよう頭を鍛えることが必要と説く。

原発はじめ、最近のいろんな社会問題を眺めてみると、専門家の主張を丸呑みする危険性を感じざるを得ない。我々も、情報が氾濫する世の中で、虚心坦懐に情報を読み解く訓練をしなければならないと痛感する。