「生き方」カテゴリーアーカイブ

日本科学未来館の館長を知っていますか?

私の愛読誌「人間学を学ぶ月刊誌“致知”10月号」の記事「諦めなければ道は開ける」の題での日本科学未来館館長の浅川智恵子さんの記事が載っている。記事のリード文は下記。

日本科学未来館館長の浅川氏は、IBMフェローとしてアクセシビリティの研究もリードされている。14歳で失明。IBM入社後は、ウェブ上の文字情報を音声で読み上げる「ホームページリーダー」など時代の流れを大きく変えるソフトを開発してきた。“諦めなければ道は開ける”を信条として今も前進を続ける浅川氏に、失明という試練や、師との出逢いによって切り拓いた人生を振り返っていただいた。

初代館長の毛利衛さんの後任として2021年日本科学未来館2代目館長に就かれた浅川さん、その浅川さんが14歳で無念にも突然の事故(プール)で失明という悲劇を逆にチャンスとして歩まれた人生を語られている。

失明されたとき、情報のアクセシビリティ移動のアクセシビリティという二つの問題に直面され、視覚障碍者にとっての問題解決に一貫して取り組まれた経緯とその意気込みに感動を覚えた。視覚障碍者として、高校や大学への進学、あるいは就職の時も、その選択肢は少なく、一度選んだ選択肢は最後までやり遂げるしかなく、選んだ道をやり遂げることを常に心がけてこられた結果が、今の浅川さんの成果としてあらゆるところで評価されている。

1985年IBMに入社し、情報のアクセシビリティに取り組み、ウェブ画面の文字を音声で読み上げる世界初の実用化に成功し、「ホームページリーダー」により視覚障碍者が介添えなしに膨大なネット情報に触れられるようになった。ホームページリーダーは2000年までに11か国語に対応し、世界中から大きな注目を集めているそうだ。

移動のアクセシビリティに関しては、スーツケースと白杖の両方を持って歩くと両手がふさがってしまうため、Aiスーツケースの開発を進められている。カーネギーメロン大学の学生プロジェクトとして、IBMも加わりスーツケースにモーターやコンピューター、さらにはカメラやセンサーを搭載して自己位置の推定や障害物を確認するなど機能を順次増やしているそうだ。2020年以降日本でも企業や大学との共同研究も始まっている。ただ「道路交通法」を変えるという難関がある。そのため未来館館長になってからも、未来館を実験場にして社会への理解活動も展開中だそうだ。

世界の視覚障碍者を対象に、様々な研究を展開し、実現させる浅川さんには頭が下がる。浅川さんが言うには、このような力を与えてくれる出逢いがあったからこそ出来たともいわれている。その一人がカーネギーメロン大学のロボット工学のパイオニア金出教授だ。金出教授の「素人発想、玄人実行」の言葉に「私の研究活動もまさにそうだ」と共感、感動を覚えたとのこと。“一度選んだ道を最期までやり遂げる”との強い意志が人との出会いを作ってくれるとも言える。

同じ号に、WBCを優勝に導いた栗山監督と臨済宗円覚寺派横田管長との対談も掲載されている。栗山監督も監督となる際に人間学の必要性を感じ、ファンの方から送られた“致知”の本を通じて稲盛さんなどいろんな方との出逢いや、本を通じて学ぶことが多かったと言われている。栗山監督もチームをまとめるためにキャプテンを置かない、起用する人を信じるなど、その手法に感銘を受けた人も多いと思われる。まさに栗山監督も、浅川さん同様、チーム全員をその気にさせることに強い意志をもって戦われ、結果を残された。いまだに日本中にその余韻は残っている。

中年の孤独にどう向き合うか?

3か月ほどブログが中断してしまいました。この間、新規投稿が出来なくなり、やっと回復手段が分かり、4月予定していたブログを投稿します。心配していただいた方には申し訳ございませんでした。

4月5日の朝日新聞夕刊3面のタイトルに目が止まった。4月と言えば新入社員が躍動する時期に、中年の悩みの話?と一瞬驚いたが、リード文を見て、興味を覚えた。

出会いと別れの春、新しい人間関係が始まる。40~50代の働く中年世代は、この季節に何を思うのだろう。会社の安定なんて今や昔。人生の半分が過ぎた今、「例えようのない不安」「中年の孤独」にどう向かい合えばいいのか。会社員を辞め、永平寺で修業し、日本三大霊場の一つの青森・恐山菩提寺の院代(住職代理)を務める禅僧、南直哉(じきさい)さんに聞いた。

~なぜ不安を感じたり、孤独感にさいなまれたりするのか?~

あなたが誰であるかを決めるのは他者です。目的も意味も価値もわからず生まれてきただけのあなたは、かけがえのない命と他者が言ってくれたから大切なんだと思う。自己を愛せるのは自分を肯定してくれる他者がいるからです。

人は皆、他者を欲します。孤独は物理的に一人でいることではなく、人間関係から生まれます。他人に分かってほしい、話を聞いてほしいという気持ちがないと孤独にはなれません。だから、自分の気持ちが理解されなかったり、言いたくても言えないと感じたりすると孤独を感じます。わかってもらいたくても、何に悩んでいるか言語化できない人が多いように思います。

~なぜ、気持ちを語れないのでしょうか?~

家庭も友人も社会もビジネス化し、弱肉強食の市場原理の価値観が社会を覆っていることが背景にあります。何かと自己決定、自己責任が言われ、市場の論理があたかも生き方の基本のように錯覚されています。

あなたが誰であるかを決めるのは他者だ”、言い換えれば“自分の存在価値は他者がいるから分かる”この言葉に納得感を覚えた。南住職代理は、「孤独と思っている時は自分を閉じている時です。自分を開くことが大事です。その気持ちを受け止めてくれる人間関係を習慣的に築いておくこと。身の回りを覆っている常識がすべてと思わず、意識的に見方を変えるだけで楽になれます」と記事を締めている。

「自分はこんなに努力しているのに、なんで評価されないのか?」と愚痴を言う人がいる。昔、上司に言われた言葉が「サルでも食べるためには努力する」と言われたことを思い出す。何か目標を持って努力し、そしてそれが他者にも理解できることであれば、その努力を評価してくれる。あくまで自分の存在感は、他者が認めてくれることで生まれてくる。まさにWBCベースボールで、栗山監督が不調の村上を信じて使い、結果的に優勝に大いに貢献したことを思い出す。これこそ優勝を目標に意識を高く持ち、自分を信じ努力する姿を見ている栗山監督の村上に対する評価、信頼感であり、それを感じた村上の本来の力の発揮を生んだ。

稲盛氏など有名なリーダーは、厳しい指導の中にも、部下の気持ちを察したリーダーシップを見事に発揮され、そのために社員との対話を重視し、個々の力を存分に発揮させた方々だ。リーダーと各個人とのの信頼関係を如何に築くか、個人としても目標を持って頑張る姿を見せ、積極的に上司と対話の機会を持つことが自分を開くことにつながると思う。

中年の方ばかりではなく、今年入社の新人にも頑張ってほしい。

<参考>他者との関係性作りに関して「ブレッドが教えてくれた仕事でいちばん大切なこと」(ソフトバンクパブリッシング出版、2005.3)が面白い。帯封には「郵便の配達員というお世辞にも華やかとは言えない職業に従事するフレッドという名の男が、ひときわ優れた熱意あふれる顧客サービスを提供できるのだとしたら、私やあなたの周囲にも、他人のために尽くす機会がいくらでも見つかるに違いない。」とある。昇進や昇給を目指すのではなく、他者との関係性を良くするだけで自分自身の心が豊かになるヒントが書かれている。

聖路加国際病院日野原先生のお人柄を偲ぶ!

2017年に惜しまれながら105歳の天寿を全うされた聖路加国際病院の元院長日野原重明氏。亡くなられる直前に日野原氏のたっての願いで、骨折してベッドに横たわれる状態の時も含めてのインタビュー内容が2020年に出版された。題名は「生きていくあなたへ~105歳どうしても遺したい言葉~」(2020.4刊、幻冬舎)。102歳の時、「長い人生の中で歌を聴いて神様を感じたのは初めて」と日野原氏に言わせた韓国のテノール歌手ベー・チュチョルのプロデューサー輪嶋東太郎氏がインタビュー形式で日野原氏の言葉を紡いだ本だ。ちなみに、この出会いの後「日野原重明プロデュース ベー・チェチョルコンサートを全国で10回開かれたそうだ(you tubeで日野原氏指揮のもと日野原氏作詞作曲の「愛のうた」を歌うベー・チェチョルが見られます)。今回の対談も、「愛する人々に言葉を残したい」との強い思いで、他の仕事をすべてキャンセルされている状態の中で輪嶋氏に頼んで実現できたそうだ。

この本では輪嶋氏が問いかけることに対し日野原氏が答える形で進めている。「人目ばかりが気になります。自然に自分らしく生きていく秘訣はありますか?」、「愛することと愛されること、先生はどちらを重視しますか?」、「家族や恋人、大事な人にきつい口調になってしまったり、素直に感情表現ができません。」、「人間は孤独な存在なのでしょうか?」、「そもそも愛って何ですか?」、「自分のことを嫌いだという人とどうすればうまく付き合えますか?」など36個の問いに日野原先生は自らの信条に基づいて丁寧に答えられている。

最後の質問「先生の次の目標は何ですか?」の問いに対しては、人間の生きる目的は”愛“だと言い切り、そのために、残り少ない時間を精一杯使って、人のために捧げること。そしてその過程で、未知なる自分と向き合い、自己発見をすること。それを最期のその時まで絶え間なく続けていくこと。そのためには、これからも何度も何度も苦難にあうでしょう。でもその苦しみが大きければ大きいほど、きっと自分には大きな自己発見がある。それを超えて自分の時間を人々に捧げる。その喜びは苦難と比例して大きなものであると信じ、ただただ、ありのままに、あるがままに、キープオンゴーイングだ。

延命措置を断り自宅療養されている人の言葉とは思えません。実際、そのあと元気を取り戻された時期もあったそうですが、インタビュー後5か月半で旅立たれた。

詳しくは述べませんが、長い人生を生きぬくための考え方が学べ、元気をもらえる書だと思います。

最期に、先生作詞・作曲の「愛のうた」全文を記しておく。これは先生が90歳を過ぎたころ、ホスピスで毎日のように天に召されていく人達を前にボタンティアをしていたコーラスの方々のために作られた曲だそうです。

「愛の歌」

我ら いまここに 心を合わせ 善き業(わざ)のために この時を過ごさん

愛の手を求める その声に応えて いとしみの心 人々に送らん

我ら いまここに 力を合わせ 報いを望まで 奉仕にぞ生きなん

捧げる喜び 心こそ溢るる

愛するあなたに 愛をば送らん 愛をば送らん