「日本の歴史・文化」カテゴリーアーカイブ

身近なところに江戸の歴史が!

私の住んでいるマンションのすぐ近くの、竪川河川敷五ノ橋下に本格的日本庭園「三代豊国 五渡亭園」が8月11日(土)に開園した。首都高速7号小松川線の高架下である。今回開園したのは、まだ工事中の東西約2.1キロの竪川河川敷公園(竪川埋立地)の一部250mの区間である。以前から、亀戸の「もち吉」や「佐野みそ」などの店頭に、「三代豊国 五渡亭園8/11開園」ののぼりが立っており、「何だろうな?」と思っていたが、8月11日(土)の開園を告げる新聞記事で初めて分かった。

明治通りにかかる「五の橋」から、亀戸緑道公園までの間であるが、五の橋付近で生まれ育った江戸後期の浮世絵師「三代目歌川豊国(五渡亭国貞)」の屋敷をイメージし池にはコイ600匹を放ち、その池に朱色の太鼓橋を渡している。また亀戸では、江戸時代の庶民の通貨「寛永通宝」銭が作られており(「亀戸銭座」と呼ばれ今でもその跡地にモニュメントが建てられている)、公園内に「寛永通宝」をデザインした噴水も設置している。小川では子供たちが水遊びできる親水ゾーンもあり、今日も水遊びに興じている親子連れが多く来ていた。豊国の浮世絵を飾る展示ギャラリーも出来るらしい。

以前の職場、八丁堀も歴史豊かな土地だったし、聖路加のあたりも興味あったが、なかなか深堀できなかった。折角江戸にいるのだから、江戸の歴史をもっと勉強せねばと思っている。

幸せの種は歴史にある!?

先般「歴女が語る日本人の生き方」をブログで紹介した(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2012/2/13)。その白駒さんから当ブログに対してご丁寧なコメントを頂き、驚くとともに、また一つブログを通じて素晴らしいご縁ができ、ほんとに嬉しく思いました。その白駒妃登美さんが昨年出版された「人生に悩んだら日本史に聞こう(ひすいこたろうさんとの共著、祥伝社)」を読んだ。白駒さんは、偶然ある居酒屋で出会った「名言セラピー」シリーズ著者天才コピラーター「ひすいこたろう」氏のお蔭で、歴女として歩む道が拓けたそうです。

日本人のすばらしいDNAが歴史の中から読み取れる、そしてそんなすばらしい歴史上の人物が常に友として自分の横にいてくれる。ひすいさんとの出会いを演出してくれたのも吉田松陰です。ひすいさんが、友人の講演会の打ち上げで来ていた居酒屋で吉田松陰の話を持ち出し、「鎖国中の日本で、黒船襲来。黒船に驚き、こんな船を作れるアメリカで学びたい欲求にかられ、見つかれば死刑確実な中で、真夜中に黒船に忍び込みます。アメリカ人は吉田松陰などの知識欲に驚き、日本の将来の可能性を感じたそうだが、結局つかまり獄に送られます。」と。そして獄への連行中の泉岳寺前で詠んだ歌『かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂』を読み始めたとき、『かくすれば』と呼めば、突然奥から『かくなるものと』との声が、『知りながら』と続けると『やむにやまれぬ』、そして最後に『大和魂』。その相手が白駒さんだったのです。歴女がその運命を変える瞬間だった!ほんとに不思議な出会いが人生を変えるものですね。

すべての登場人物が興味深く描かれ、個々人の持つ日本人としてのDNAが分かりやすく解説されている。その中で、幕末に活躍したジョン万次郎も登場している。坂本竜馬や勝海舟、岩崎弥太郎など、そうそうたる人物が、アメリカ滞在経験のある(と言っても沖合で漂流中にアメリカの捕鯨船に助けられ、船長の家で育てられた)ジョン万次郎の影響を受けているのです。今話題の坂本竜馬の「船中八策」、福沢諭吉の「学問のすすめ」(アメリカ独立宣言を参考にした)や、株式会社の発想に基づく「亀山社中」創設、岩崎弥太郎の三菱創設、薩摩の造船技術などなど、ジョン万次郎の功績は限りなく大きなものだったのです。東京オリンピックの実現のため、中南米の国々を味方につけるために自費で奮闘した日系2世のフレッド和田氏。その御礼にメキシコオリンピック実現の際にも大いに恩を返されたとか。日経一世のための老人ホーム建設など、日本や日本人に対する功績は大きい。

いまだに日本に対する恩義(明治23年串本沖で座礁したトルコ軍艦乗組員69名救助)を忘れないトルコ、1919年ロシアとの戦争で取り残されたシベリアの戦争孤児700数十名を救済したポーランドの日本に対する思いも今でも変わらない。

「白駒さんのような日本史の先生がいたら、日本史がもっと好きになっていたのに」といわれるそうですが、それ以上に日本人の誇りを取り戻すために、小さい頃からこのような教材を教育に取り入れるべきと強く思います。少なくとも、私はこんな教育は受けていません。「日本を元気に!」にするためには、なんとしても実現したいですね。

歴女が語る日本人の生き方

「致知2012.3号」に、「歴史が教える日本人の生き方」というタイトルで、“博多の歴女”として歴史講座を展開、「人生に悩んだら日本史に聞こう」との本も出されている白駒妃登美さんの記事が掲載されている(現在の職名は結婚コンサルタント)。

中学生の時「福翁自伝」に出会ってから歴史への関心が高まったと言う白駒さんは、大手航空会社の客室乗務員で世界を飛び回っていたが、結婚後退社し、子どもの世話に追われていた。ある人との出会いでブログに日本史のエピソードを綴り始め、それを一冊の本として出版したところ、福岡、東京から講演依頼が舞い込み、“博多の歴女”と呼ばれるようになったそうだ。そして多くの出会いに恵まれ、自分でも予想すらしなかった素晴らしい人生が展開できたと言う。

学生時代から欧米流の成功哲学(カーネギーやマーフィーなど)を信じ、「善悪」「損得」「勝ち組・負け組」といった二元論で、いかに勝ち組になるか、そのために受験、資格取得に頑張ってきた。が、この哲学では、「もっと、もっと」の欲望が際限なく広がり、達成感は得られても安心感や幸福感が生まれず、逆に敗北を恐れる気持ちばかりが高まってしまう。ある時、白駒さんは、子宮頸がんとの診断を受け、その後も転移が見つかり、医者から「子どもを誰にみてもらうか、よく家族と相談しておくように」と言われ、「負け組」ということで、これまでの笑顔がなくなり焦燥し切っていたそうです。その時、友人から「妃登美ちゃんが笑顔でなくても、どんなに不機嫌でも、生きていてくれるだけで嬉しい」の言葉をかけられ、その言葉が白駒さんの人生を変えたと言う。成功哲学二元論で、お金や健康など幸せに「条件」を求めていた自分にとって、友人の言葉の有難さを痛感した時、幸せは条件が決めるものではないと気付いたそうだ。

周囲を見渡すと、何気ない日常生活の中に、自分を応援してくれる家族や仲間がいること、日々食事を頂ける事など、喜びや感謝が一杯満ち溢れていることに気付いた。「たとえ病気が治らなくても幸せ」と感じた段階で昔の笑顔が戻ったそうです。そしたら医者から宣告を受けて3週間もしない内に、すべての癌細胞が消えていたとのこと。

人間の生き方には「目標達成型」とは別に「天命追及型」があるという。「天命追及型」とは将来の目標に縛られることなく、自分の周囲の人の笑顔を何よりも優先しながら、いま、自分の置かれた環境でベストを尽くす。それを続けていくと、天命に運ばれ、いつしか自分では予想もしなかった高みに到達するという考え方で、自分の夢だけを叶えるfor meより、周囲に喜びを与えるfor youの精神が優先される事だと言っている。歴史上の事例として、豊臣秀吉が紹介されている。秀吉は最初から天下統一を夢見たわけはなく、徹底的に信長に尽くし、喜ばせることに集中した。結果が夢を遥かに超えてしまった。

近年の脳科学の発見と言われる「成功したら幸せになるのではなく、幸せになれば成功する」の言葉もあるそうだが、あらためて人間関係を広め、感謝を忘れず、今にベストを尽くすことの意味を噛みしめたい。