「政治」カテゴリーアーカイブ

三流政治は変わらないのか!

民主党が分裂し、造反者に対する処罰も決定した。それにしても国民不在もいい加減にしろと叫びたい気持ちだが、今に始まったことでもないのかもしれない。それにしても、政治家というものは「反省」という言葉が辞書にない人種なのか?反省しない人種しか政治家になれないのか?反省したら政治生命が終わるとでも思っているのだろうか?

  • 民主党マニフェスト違反と声高らかに小沢さんや小沢グループは言うが、自動車暫定税を廃止したのは小沢さんだし、‘ムダ金なぞ政権をとればいくらでも出てくる’と言いながら事業仕分けで約束した16.8兆円の財源確保は程遠く・・・。「消費税増税の前にやることがある」と言っているが、鳩山―小沢体制でその「やること」が全く進まず、破たんした。そのことの反省もせず、自分が破たんした事実も言わず、具体的にどうすればいいのか語らず、「マニフェスト違反」とばかり言い続けて国民は納得すると思っている。国民をばかにするな!
  • 鳩山さんが、党員資格6カ月停止処分を受けて「多くの議員が離党したこと自体を深刻に受け止めなくてはいけないのに、反省していないとしか思えない」と批判。「最低でも県外」と沖縄の人たちをもてあそび、議員はやめるといいつつ、すぐ翻す人が、人を批判する資格などないと思うが・・・。ましてや、反省できない人が「反省していない」と批判するのは・・・。やはり宇宙人か?真偽のほどは分からないが鳩山弟と鳩山新党を作ると言う噂が出ているが、二人で42億円の贈与を受けた兄弟、庶民の常識とかけ離れた「宇宙人党」とでも命名したらどうだろうか?受けると思うが・・・。そんな鳩山氏をトップに抱く鳩山グループの面々は何を考えているのだろうか?単に金目当てか?
  • 日教組を率い、日本の教育を台無しにした興石幹事長は、反省の声をあげた?
  • 自民党も、自民党時代の原子力行政に関する反省もしていない!いまの借金財政の責任も重いが反省の声は何一つ聞こえてこない。

政策議論よりは、政敵の粗を見つけることに終始し、それに税金をつぎ込んでいる(と思う)のが政治家の仕事だろうか?しかし、これも真偽のほどは不明だが、小沢さんの奥さん(離縁しているので元妻)の手紙が週刊誌で話題になっている。7月1日の日経朝刊2面の「風見鶏」で「政治家は何が最も痛手か」の記事がある。「放射線を浴びるのが怖くて東京から逃げ出そうとした」「愛人や隠し子がいる」などの情報だが、若い時から悪評の中で生きてきた小沢さんはどこ吹く風?朝日新聞のある欄(かたえくぼ)の「離縁状、書いたり、書かれたり」に吹き出した。

政治が止まるのは怖いが、解散総選挙はやむを得ないだろう。前回は、流れに乗って民主党に深く考えず投票してしまったが、次回は、じっくり人となりをよく勉強して投票しなければと強く思っている。そのためにも今回の個々人の動きを見守りたい。国民の一人としての責任を全うするために。

「自衛隊、好印象」最高91%!

11日の日経朝刊にひっそり掲載されていた記事のタイトルです。内閣府の調査結果で、「いい印象を持っている」と答えた人は91.7%(2009年調査より10.8%増)で1969年の調査開始以来最高になったそうだ。東日本大震災での災害派遣活動を「評価する」との回答は97.7%と高く、自衛隊の復旧・復興支援が好印象につながったと分析している。

時を同じくして、11日のメルマガ「JOG-Mag No.739」に「気は優しくて力持ち~自衛隊の人づくり」という記事が掲載されていた。親を亡くして海を見つめていた子どもの横に座って肩を抱きながら一緒に海を見ていた自衛官。この子は「俺、自衛隊に入る」と言っているそうだ。おなかをすかせている被災者に自分の食料を分け与えた自衛官。自分達用の風呂を全部被災者用に供したり、一緒に風呂に入って悩みに耳を傾けたり。

自らも過酷な状況の中で、なぜこんなにも優しくなれるのか?朝6時から、ひたすら救援・捜査活動をし、遺体が発見されると背負って収容所まで運ぶ。被災者に暖かい食事を与え、自らは乾パン、缶詰、カレーなどのレトルト食品だけ。それも、被災者に見られないように、遺体を運んだ車の中で素早く食事をとる。風呂も被災者に提供しているので、隊員たちは汗ふきタオルで済ます。こんな毎日が何カ月も続くと、通常の人は精神的にもおかしくなるだろう。

イラク支援の「ヒゲの隊長」で知られる自衛隊OB佐藤正久氏(現衆議院議員)は「強くなければ優しくなれない」として、こう説明している。「もっと過酷な訓練をし、体力と精神力を鍛えているから」、加えて集団生活の中で、落後者を出さないよう、自分を殺して他人をフォローする「自己犠牲」の精神をしっかり心に叩き込まれるから。この自己犠牲の精神から、「困っている人がいたら、理屈抜きで助ける」という優しさが出てくると言う。入隊した時点で尖ったり、やたら威張っている連中も、丸坊主にしたりして、入って3日で人が変わると言う。

国立大学の秋入学が話題になっているが、ある教授は、4月から9月まで自衛隊の訓練を受けよと主張しているそうだ。特に国民の血税での支援を受けている国立大学の学生に、このような訓練を通じて、強い体力と精神力、自己犠牲の精神とそれに支えられた優しさ、日本人としての自覚を持たせれば将来の日本は変わる。

自衛隊の訓練とはほど遠いものと思うが、我々の年代は、製造業(他業種でも)に入社すると、過酷な実習が待っていた。鉄鋼では、3カ月間に最も過酷な現場を二か所3交代で経験させられる。私は、1000度以上の熱塊が入っていた鍋を覗き込みながら整備する部署(顔の前にある防熱板が曲がるほど熱い)や、1日で作業着が油だらけになってしまうロール整備の2か所を経験した。この経験はいまだにお世話になった方々の顔と共に鮮やかに記憶に残っている。仕事の厳しさや、そして現場で働く人たちを慮る気持ちを体で覚えることが出来た。戦争を経験された方々も急速に減っている。日本の「平和ボケ」からの脱出のための施策として、検討の意味は大いにあると思う。

政治不信「2.0」

29日の朝日新聞「ザ・コラム」に現在の政治に対する興味ある記事があった(大野博人編集委員)。政治不信には二つのバージョンがあるというのだ(立教大学の小川有美教授の見立てだそうだ)。

  • 政治不信「1.0」:政治家がやるべきことをやらず、国民の負託に応えない。経済は上向かないし、雇用も増えないし、対外関係も上手くいかない。こんなときに与党を中心に政界に向けられる不信。
  • 政治不信「2.0」:グローバル経済や少子高齢化、環境など重要な問題に、もはや政治は解決をもたらせないではないか、リーダーや政権党が交代しても同じではないかというもっと深刻な不信。

今、日本を含め民主主義国では「2.0」へのバージョンアップが進んでいるとの事で、日本では信用を失っているのは与党だけではなく政治そのものなのに、自民党も「1.0」の不信しか視野に入っていない(政権奪回すれば何とかなるとの主張)。ことここに至っては「信頼ではなく不信に込められた民意を政治に活かす仕組みを考えよう」とのフランスの歴史学者の意見を実現させるしかない。多くの国で、民主主義の骨格をなす選挙と議会に対抗して、その外側から民意を表現するさまざまな仕組みが動き始めている。デモや市民運動、新旧メディア、NGO、専門家たち、あるいは市民による各種の委員会や評議会だ。すなわち民が立ち上がらなければ今の政治は変わらないとの主張だ。

東日本大震災では、復興に向けての斬新なアイディアを自主的に構成した市民委員会で提案し、それを市議会が承認することで復興を進めている気仙沼の事例もある。中央政治に依存していたのでは復旧も進まない。代表制民主主義と民意(カウンター・デモクラシー)が補完的に動いた好事例と言う。地域が抱える課題の解決策をさぐる市民による討議会という手法がドイツで始まり、日本でも一部で広がっているそうだ。

旧来のメディアの発信力が問題視されている中、今急速に広がっているソーシャルメディアは、民意を即時性をもって汲み上げる有効な手段になりつつある。しかし、その前に我々がもっと政治に対して関心をもつことが必要ではなかろうか。デンマークでは、「教育は社会のための人材育成のため」ということが徹底され、小・中・高校生が国の教育問題に意見を出し、国会デモをすることも珍しくないとか。デンマークの国会議員選挙で投票率が80%を切った事がないと言う。日本では驚くべき数字である。

今朝の日経に、29日閉幕した世界経済フォーラム・ダボス会議の記事で、「世界覆う危機、焦燥と無策と」「社会不安、民主主義に試練」とのタイトルが踊っている。政治の世界でのリーダーシップ欠如はともかく、代表制民主主義は世界的な問題のようだ(ダボス会議は企業経営者や学者など有識者も入っているが、決めるのは政治家)。