「感動スポーツ」カテゴリーアーカイブ

驚嘆!77歳で3年がかりでヨット世界一周!

敬老の日にふさわしいニュースがあった。17日に横浜港に3年ぶりに寄港された世界的に有名なヨットマン斉藤実さん。世界一周8度目もギネス記録だそうだが、77歳も新記録だとか。さらに驚くのは、10か月の無寄港世界一周予定が、昨年のチリ地震の津波を受けて痛めた船を修理せざるを得なかったり、ハワイでは今回の東日本大震災の津波を受けたりして、3年がかりとなってしまったとか。57歳に世界一周に初めて成功し、それから8度というから、まさに高齢での達成はお見事というしかない。

今もご健在の堀江健一さんが太平洋横断で世間を驚かせたのが、24歳の時(東京オリンピックの年)。36歳で世界一周を初めて成功させ、68歳が最後の成功(どちらも無寄港で、8~9か月で達成)。ヨット「マーメイド」を製造したのが、私の故郷の数キロ先のヨットハーバーにある製造会社(姫路市的形)。

私の年代になってくると、高齢の方の頑張っているお姿に接すると元気をいただく。まだまだ頑張らねばとの思いを強くする。裏返せば、年を重ねることに対する不安が常にあるのかもしれない。年をとっても息子たちに迷惑をかけたくないとの思いは強いが、現実はさてどうなるものか?

今朝の日経朝刊1面の「春秋」に、アメリカの映画スター(ベティ・デービス)の言葉が載っている。「年を取るのは、弱虫には出来ない」。「敬老の日」の今日、寄る年波を考えることとしたい。

高校球児に教わること

この春は東海大相模の打力が爆発し危なげなく優勝しました。この春は大震災の後ということもあり、いつもと違う雰囲気の中(鳴り物禁止、選手もホームラン打ってもガッツポーズはしないなど)でしたが、いろんな話題がありました。

創部1年で全員2年生の創志学園(岡山)の野山主将の選手宣誓は、被災者はじめ多くの人に感動や元気を与えました。

1回戦で横浜高校を破った波佐見高校(長崎)は2009年春優勝した清峰高校に勝つためにノーサイン野球で選手の自立性を育てた。(清峰高校監督と親しいある社長にこの話をしたら、伝えると言われていました)

昨年春夏連覇の興南高校(沖縄)の監督も、勝つ事よりも自分で考える、人としてのあるべき姿を徹底的に教え込んだ。

若い人たちが立派な指導者のもとで人間力を育んでいる姿を実際に見ると、頼もしさを感ずると同時に、彼らが社会人になってからももっと成長出来るよう、我々の責任の重さを痛感する。

まず、創志学園野山主将の選手宣誓文を挙げる。

「宣誓。私たちは16年前、阪神大震災の年に生まれました。いま、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。人は仲間に支えられ、大きな困難を乗りきることができると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。「がんばろう!日本」。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。」野山主将のもとに被災者などからおびただしい数の御礼の葉書が来るそうです

次に興南高校野球部の話です(「致知2010.12」より)。

人間学を学ぶ月刊誌「致知」12月号に高校野球春夏連覇の興南高校我喜屋監督と高校ラグビーの大会ここ数年敵なしの東福岡高校の谷崎監督の対談がありました。興南高校は、試合中にガッツポーズをしない、全力疾走、内外野におけるカバー体制の完全さが他と比しての特徴と言われる。なぜこのようなことが他校と比して出来るのだろうか?勝つことを第一義の目的にするのではなく、人としてのあるべき姿を学び、「小事大事」、「利他無私」を教える。その結果が勝ちにつながる。

興味を持ったのは「1分間スピーチ」。就寝、起床など24時間の生活を徹底的に見直し、6時起床、15分間で洗顔、トイレをすませ、駐車場に集合。その後、全員ばらばらで散歩させる。そして全員、散歩の間五感を全部働かせ、見て、聞いて、嗅いで、何かを感じて戻ってきて、それを1分間でスピーチする。自分のことしか考えないようではスピーチにならない。これを続けていくとだんだんチームのためになることを言うようになるとのこと。何かを感ずるためには、自分以外に関心を持つことが必要になる。我喜屋監督いわく「我利我利君」ではなく「利他無私君」にならないとダメ。野球は瞬間を争う競技のため、自分で考え行動することが重要で、本試合ではタイムもほとんど取らないそうです。ガッツポーズをするくらいなら、その時間は周りを見渡して次の行動を考えろ、全力疾走して次の行動を考えろ、球がライトに飛んできたら中堅手がすばやくカバーに廻るのは次を考えた結果だと。「個人の存在を認める」「選手の個性を伸ばす」、そして、試合の反省会では、皆で評価し合い、お互いを認め合う。監督の思うように皆を従わせることでは、変化への対応が出来ない。まさに社会人としても良く言われる「指示待ち」ではなく「自立精神」、指導者としては「ティーティング」ではなく「コーチング」の典型だと思います。

感謝・感激・感動は自分のことしか考えない独り芝居では絶対味わえない。他人との関係、自然との巡り合い、本との出会いなど、自分以外との出会いの中で味わえるもの。積極的に外に出よう!

世界の王と荒川の不思議な出会い

私は子ども時代からの根っからの阪神ファンですが、王選手の人間的な魅力には心を惹かれます。

荒川コーチとの出会いがなければ、世界の王になれたか?これは必要条件ではありますが、十分条件ではない。彼の「素直さ」「感謝の心を忘れない純粋な心」、そして探究心、向上心が相まって今の王選手があると思います。「素な心」は松下幸之助さんはじめ成功した経営者の多くが、自らを成長させるために必須のスキルと言われています。(人間学を学ぶ月間誌「致知」より)

荒川コーチがいた故に世界の王になれた話は有名です。しかし、この二人の出会いは実に奇妙なのです。というか会うべき人に運命的に出会ったとでも言うのでしょうか。

王14歳(中学生)、荒川24歳(プロ野球選手ー毎日オリオンズ)の時です。荒川選手がとある草野球場に足を運んだ時、中学野球をやっていました。4番で右打ちで打っていた中学生に、次は左で打ってごらんと進めたそうです。それまで3打席凡退だったのですが、初めて左で打って2塁打だったそうです(なんと素直な!)。この選手が王だったのです。

王の素質を見抜き、早稲田実業高校への進学を両親にお願いに行ったそうですが、父親は息子にはエンジニアになって祖国中国のために頑張らせる、そのために両国高校から東大に進学させると言って頑なに反対されたそうです(兄は医者)。たまたま両国高校を落ちたため、やむなく早実に行ったそうです。

その後は皆さんご存知だと思います。そして川上監督のときに将来を期待され巨人に入団。しかし、2-3年は泣かず飛ばずで王も銀座で遊んでいたそうです。その時川上監督が外部から王を育てるために荒川を呼んだとの事、それから球場への行きかえりに荒川の自宅の畳部屋で地獄の特訓、そこで一本足打法を開眼したのです。特訓をはじめて、1年ほどは実績が出なかったそうですが、王は何も疑わずもくもくと荒川コーチの指示に従って畳が擦り切れるほど素振りを繰り返したのは有名です。荒川コーチが言っているのだそうですが、自宅でここまで出来たのは荒川コーチに子供がいなかったから。こんな運を呼び込むのも人間力。

荒川コーチ曰く、「指示した事を疑わず、素直に受け止めてくれた」王の素直さがあった故に、そして向上心と感謝の心を常に持ち続けた故に、荒川コーチも途中で投げ出さずに出来たとのこと。素直な心と感謝の心なくして荒川との出会いはなかったと思います。そして人との出会いの不思議さ!成功者から教わるものが多いですね。