「企業理念」カテゴリーアーカイブ

“響働経営”を掲げて保育園初の「ハイ・サービス300選」受賞

お母さんを日本一元気にして、お子さんを日本一可愛がる」との思いで21年前に愛媛でゼロから立ち上げた「マミーズファミリー」。今では250名のスタッフを抱え。全国29か所で保育所経営をするほか、ベビーシッターや保育士の派遣、保育商品の開発など保育全般にかかわる事業を展開している。私の近所にも2か所の保育所が開設されている。その代表増田かおり氏の投稿記事が「致知2015.11」の致知随想に掲載されている。

増田氏は、次女の育児でノイローゼになったことが起業の原点と言う。子供と一緒に自殺を考えるほどひどい状況の中で、ある時友人が子供を預かってくれ自由な時間のありがたさを感じた時、「自分と同じように困っている人がいるはず」との思いが募り、全く起業に関する知識ゼロの中、誰かのためにとの思いが自分を突き動かし起業に至った。その後も、幾多の困難にも遭遇したが、お客様のニーズに直面しながら、ベビーシッター、24時間保育と範囲を拡げ、お客様の要望に応えてきたそうだ。特に24時間保育の時には、友人はもちろんご主人からも猛反対を受け、離婚届を突きつけられるほど激しい議論を2週間続けたと言う。しかし、自分を頼ってくれるお客さまを放っておけないと言う責任感と使命感でやることを決めた。ほとんど休みなしに働く自分を見て、ご主人は会社に辞表を提出し仕事を手伝ってくれるようになったとか。

該社の経営理念は「私たちは人が好きです」、そして人の対象は最初のころは「子ども」だけだったが、今では、親御さんや一緒に働く仲間、取引先、地域の方々、そして「自分」にまで概念が広がってきたと言う。今期からは、「響働経営で、一人ひとりの素晴らしさを尊重し、心が響きあう保育所にする」とのビジョンを掲げた。

今年、マミーズファミリーは「ハイ・サービス300」に保育所としてははじめて選ばれた。「困っている人達を助けたい」との純粋で熱き心が、周囲の人を巻き込み、まだまだ成長しようとしている。多くの苦難に遭遇しながらも、めげずに最初の思いを貫き通し続ける増田氏に頭が下がる。

「繁盛創り、人創り」理念で60年続く町の酒屋さん(泉谷酒販)

かつてはどこの街角にも見られた「町の酒屋さん」も1990年以降の規制緩和でスーパーや大型量販店に押され廃業を余儀なくされ次々と姿を消した。私の故郷でも以前何軒かあった町の酒屋さんが今は全くなくなっている。そんな状況の中で、創業60年を経た今も、年商35億円、利益率はコンスタントに3%以上挙げている町の酒屋さんが福岡県久留米市にある。「泉屋酒販」だ。理念を掲げ、その理念を徹底的に追及し、具現化していったその知恵と行動が、今につながっている(「PHP松下幸之助塾2015.1-2」の「酒文化の創造と伝承で人と地域を幸せにする」記事より)。

泉屋酒販は、飲食店や外食産業にお酒を納める業務用酒販店で、自らの事業を「酒文化価値創造業」と位置付け、お酒を販売するだけでなく、それを通じて酒の文化的価値を伝え、お客さまである店の繁盛や人の幸せを創造していくことを目指した。そして「繁盛創り、人創り」の経営理念を掲げた。「繁盛創り」とは、お客さまである飲食店の繁栄を実現する事。業務用に絞って営業展開してきたことで、飲食店が繁盛するためのノウハウを50年以上にわたって蓄積してきた。その蓄積を活用して、久留米随一の歓楽街「新世界」(1960年代)や「文化街」(1970年代後半)の基盤を作ったのは泉屋酒販だ。

そして、このようなお客様の繁栄に貢献できる社員を育成することが「人創り」だ。酒の文化を伝えていくには、社員自身がその知識に精通している必要がある。そのため、ソムリエや唎酒師(ききざけし)、焼酎アドバイザーなどの資格取得を奨励し、多くの社員が何らかの資格を持つ「お酒のプロ集団」となっている。

1955年(昭和30年)に4坪の店舗からスタートした土師軍太現会長の理念を、息子の現社長(康博氏)と専務(正記氏)が受け継ぎ、現在も博多や北九州、熊本の八代などまで取引先を拡げている。泉屋酒販が扱っているのはお酒と言う「モノ」ではなく、お酒と言う「文化」であり、社員やお客さまと共に、お酒の夢やロマンを語れ、人の幸せにつながるお酒の飲み方、売り方を今後も提案していくと息子たちも言う。

東京町田市にある「でんかのヤマグチ」を何度かこのブログでも紹介した(http://okinaka.jasipa.jp/archives/180)。「町の電気屋」も酒屋さんと同じく多くの店が廃業に追い込まれる中、地域のお客さまに対するサービスを徹底することで安売り競争に巻き込まれることなく、今なお高い利益率(粗利率35%)を挙げられている。日本の課題「地方創生」の大きなヒントになるのではなかろうか。

11人の会社を6000人の一流企業に成長させたその秘訣とは?

その企業は、日立キャピタル。その立役者は、花房正義氏。「致知2015.9」に「誠こそすべての礎」と題した花房氏とTACT高井法博会計事務所代表社員高井法博氏との対談記事があり、その中で80歳になられる今でも「花房塾」と称し、各企業での講演などで全国を飛び回っておられる。岡山出身の花房氏の人生は、期待された跡継ぎを放棄して、画家を目指して東京に出てきたのがスタートだ。しかし、東京では美術学校にも入れず、仕方なく東京経済大学に入学。そこで出合った、経営学の大家「山城章先生」によって花房氏の人生は大きく開くことになった(山城先生は今は故人だが、今でも名だたる企業が参画している「経営道フォーラム」などを実施している「山城経営研究所」の発起人として花房氏は活躍された)。

大学卒業と同時に、創立間のない「日立家庭電気販売」に入社、月賦販売が始まり作られた「月賦販売」に異動、社員は社長含めて11人だった。その会社が「日立クレジット」になり、さらに「日立キャピタル」になった。その会社を牽引し、好業績で日立に貢献してきたことで、後日日立本体の取締役にも抜擢されている。

山城先生の教えに基づき、いろんな施策を実施してこられた。理念の明確化とその理念の実践のための行動指針策定、そして「人を愛して人を活かしていく企業」を目指すことなどだ。日立キャピタルで掲げた企業理念は「健全経営・人間尊重・社会責任」。行動指針で実体経済に基づいたクレジットビジネスに徹するなどを掲げ、サラ金など目先の利益を追求する単なる金融はやらず、徹底したサービスに特化することで、債権内容が高く評価されダブルAの格付けをもらったそうだ。

花房氏の人を大切にする経営に興味を持った。「人を育てる楽しみをもっと意識せよ」と経営者によく言われるとの事だが、人を育てるにはまず、基本をしっかり根付かせることが大事で、その上で自由に働いてもらうことが大事と花房氏は言う。「自由・自己責任・自助努力」の3つの言葉を言い続け、決められたことや、上から言われたことだけをやると言うのではなく、自分自身で考えて行動すべしと言うことを徹底された。さらに、リーダーの条件として「改革者・人間愛・自己規律」を挙げられる。

成長する企業と言うのは、煎じ詰めると、社員もお客さまもすべて、人を愛し、人を活かす企業だと思うんです」との花房氏の言葉は、11人の会社を6000人の一流企業に育て上げ、日立本体からもその業績を高く評価された人の言葉として、大きな重みをもって強い共感を覚える。