「生き方」カテゴリーアーカイブ

「あなたは宝石」存在を認める言葉は私を丈夫にしました(渡辺和子氏)

今朝の朝日新聞5面の全面広告に、PHP文庫の本として、岡山にあるノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんのものが紹介されている。現在85歳で、本や動画(You Tube )、講演など、傷つくことの多い日常をどう生きるかを説くために精力的に活動されている。9歳の時、2・26事件で父(教育総監渡辺錠太郎)を目の前で暗殺された。上智大学を出て30歳で修道女会に入り5年アメリカで学び、帰国したら初めての岡山の地に行かされ、翌年には学長に任じられた。初代、2代目の学長は70歳を超えた外国のシスターが学長だったが、初めて日本人、しかも36歳という若さでの学長となった。が、その重責と周囲の風当たりの強さに自信を喪失されたそうだ。そのような時、先輩神父に相談したとところ慰めの言葉はなく、「自分が変わりなさい」と突き放された。

そのような経験の中で得た心構えとして「自分が置かれた場所で精一杯咲き、そこが和やかな場になるようにすればいい。その力があるのに、ただ環境のせいにして甘えている人が多い」と説く。「環境を選ぶことは出来ないが、生き方は選ぶことが出来る。」そして、小さい頃から劣等感を持ち、自信のなかった私に、アメリカ人の上司が言ってくれた「あなたは宝石」と言われ、心に響いたその言葉に支えられたと言う。「人間の価値は何が出来るか出来ないかにあるのではなく、存在そのものが貴いのだ」と気づかせてくれたそうだ。どんなに愛想が尽きる自分であっても、自分を受け入れなければ、他の誰も受け入れてくれません。「愛とは見捨てないこと」と言いきる渡辺氏は、最近の学生は親からあまり褒められた経験がない子ばかりと言う。「あなたのお辞儀はきれいね」とか、「今日の靴はかわいいね」と折に触れ褒めていると、次から皆、態度が変わると言う。

この渡辺氏の話しで思い出すのは、当ブログでも紹介した福井県鯖江市の岩堀美雪さん(小学校教諭)の「自己肯定感が人を劇的に成長させる」です。「どの子にもいいところが必ずある、すばらしい可能性を秘めている」との信念に基づいた教育指導方法です。http://jasipa.jp/blog-entry/6579

今年6月1日のブログで紹介した曹洞宗大本山總持寺参禅講師大童法慧氏の法話にある「いま、ここ」を大事に生きるとのお話にも通じます。http://jasipa.jp/blog-entry/7593

苦労を乗り越えてこられた渡辺氏のお話は、貴重な教訓として我々の心に染み入ります。

座禅と法話の会(6月1日)

「運を活きる~一息の禅が心を調(ととの)える~」(さくら舎)刊行記念行事が、6月1日東京八重洲ブックセンターで開催された。50~60名の参加者で8階ギャラリーはほぼ埋まっていた。講師(著者)は、曹洞宗大本山總持寺参禅講師大童法慧氏。サッカーの中田英俊氏も教えを請うた方である。

なぜこのような会に参加したか?NSD在籍時、社員有志で「冲中サロン」をやっていたが、その時外部から参画して下さった「さくら舎」の古森さんからご案内を頂き、一度も経験のない座禅に興味があり、出かけることにした(古森さんは私の送別会にも出席頂いた。http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2012/3/24)。JASIPAの理事も一人出席頂いた。

まず座禅の経験。それも椅子に座っての「一息の禅」。腰の前で手を組み、半畳先を見つめて、息を口からゆっくり吐き出し、口を閉じて息を腹のあたりに吸い込み、ゆっくり吐き出す。15分間このままの姿勢で、心に浮かんできたことを「相手にしない、邪魔にもしない、追いかけない、ひきずらない、つかまない、持たない」。頭で考えて心を調(ととの)えるのではなく、身体でもって心を調える。この訓練で、「逃げない、ぶれない、比べない」、「自分が自分になる」悟りを得る。鶴見にある大本山總持寺には、多くの老若男女が参禅に来られると言う。

次に法話が40分ほどあった。運を良くするために3つのことを言われた。

  • 1)「自分は運がいい」と思える人になること。日常、否定の言葉を使わない。言葉が意識を変え、意識が行動を変え、行動が結果を変える。
  • 2)公け(義)に活きる視点を持つこと。まわりの人が幸せになるための努力を。

レンガ積工夫3人に聞いた。1人は「ただ毎日レンガを積んでいるだけだ。なんで毎日こんなことをせねばならないのか」と愚痴っぽい。もう一人は「大きな壁を作っている」と。最後の人は、生き生きとした声で「俺たちは、歴史に残る大聖堂を作っているんだ。多くの人たちがこの大聖堂で、祈りを捧げ、祝福を受けることになる」と。どの人になりたい?

  • 3)座禅を続けること。そして「いま、ここ」を大事に活きること。過去の何一つかけても今はないし、未来の出発点は「いま、ここ」。人間の命の長さ=一息の間。「一息の禅」で心を調えることに心がけて欲しい。

自分を他人と比較するから、心が乱れる。「自分が自分になる」ための座禅。奥深いものを感じた。もっと、もっと禅の世界を追求してみたい。今回の話の余韻を残しながら、法話の後、JASIPAの理事と二人で飲みに(話しに)行き、盛り上がった。

人生ニ度なし(森信三)

哲学者・教育者として著名な森信三(1896-1992)氏が大阪の天王寺師範学校の講師時代の講義内容をまとめた「修身教授録―現代に蘇る人間学の要諦―」が致知出版社から復刊された。本の帯には「小島直記氏絶賛!(中略)奥深い真理が実に平明に、丁寧に語られていて、おのずと心にしみてくる。よほど愛と謙虚さと使命感と責任感がなければ出来ないことだ。」とある。その中に、「人生ニ度なし」という有名な言葉がある。

「そもそもこの世の中のことというものは、大低のことは多少の例外があるものですが、この『人生二度なし』という真理のみは、古来只一つの例外すらないのです。しかしながら、この明白な事実に対して、諸君たちは、果たしてどの程度に感じているでしょうか。すなわち自分のこの命が、今後五十年くらいたてば、永久に消え去って、再び取り返し得ないという事実に対して、諸君たちは、果たしてどれほどの認識と覚悟とを持っていると言えますか。諸君たちが、この『人生二度なし』という言葉に対して深く驚かないのは、要するに、無意識のうちに自分だけはその例外としているからではないでしょうか。要するにこのことは、諸君たちが自分の生命に対して、真に深く思いを致していない何よりの証拠だと言えましょう。すなわち諸君らが二度とない人生をこの人の世にうけながら、それに対して、深い愛惜尊重の念を持たない点に基因すると思うわけです。」

この言葉が、齢65歳にならんとする私にも、かなり激しく心に響きます。就職して、実際に実業で活躍している人たちを知った時、なぜもっと学生時代に○○を勉強しておかなかったか」と後悔することも度々あったが、もう既に学生時代は過ぎ去り、元には戻らない。現在も、経営や人生に関する偉大な方の言葉に触れる機会が増えたが、もっと早く知っていればもっと意義ある人生を送れたかもしれないと思うが、もうその知識を活かせる時の大半は過ぎ去っている。反省することばかりだが、少しは自分の将来を真剣に考え、行動していればもっと充実した人生になったのではと思う。

最近当ブログにUPした「人の命の摩訶不思議さ(http://jasipa.jp/blog-entry/7116)」にあるように、膨大な数の運命に支えられて生を受けた、その人生をもっと真剣に意義あるものにするために、やはり森信三氏が言う「立志」を若い時から考えるべきだった。

「真に志を立てるということは、このニ度とない人生をいかに生きるかという、生涯の根本方向を洞察する見識、並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち勝つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならぬのです。(中略)そもそも真の志とは、自分の心の奥底に潜在しつつ、常にその念頭に現れて、自己を導き、自己を激励するものでなければならないのです。」

今からでも遅くない。悔いのない、楽しい人生を送るための人生設計を考えたい。