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杉良太郎さんに安倍総理が感謝状を

2月4日の日経夕刊に菅官房長官が4日の閣議後「日ベトナム特別大使を務めるなどアジア各国との友好親善活動に携わっている俳優の杉良太郎さんに安倍晋三首相名の感謝状を贈ることを検討している。長年にわたり日本とベトナム、東南アジア諸国連合(ASEAN)を始めとするアジア諸国との文化交流、文化振興に多大な貢献をした方だ」と述べたとの記事があった。

「PHP Business Review 松下幸之助塾2013年11・12月号」の新企画「朝倉千恵子の社会を変えたい人列伝」の第1回目に「人の痛みを知ったらやらずにはおれない」とのタイトルで杉良太郎氏をゲストとして招いた記事があった。朝倉千恵子氏は、㈱新規開拓の社長をしておられる方で、「松下幸之助塾」の雑誌に連載されていた記事を私のブログで紹介した所、お礼のコメントと同時に朝倉氏のブログに私のブログを転載して下さった方だ(http://jasipa.jp/blog-entry/9244)。

今年芸能活動50周年を迎える杉さん。一方で、15歳で刑務所を慰問されたのを皮切りに、福祉活動歴は55年と芸能活動のキャリアより長い。国内外を問わず、被災地への救援・炊き出し(東日本大震災では石巻市と女川町に車両15台分の支援物資と共に駆けつけ炊き出しを行った)、刑務所の視察や慰問、ベトナム支援、肝炎対策、さまざまな団体や施設への寄付・慰問、ほんの一端を紹介するだけでもこんな具合になると言う。ベトナムを初めて訪問されたのは1976年。食糧事情の悪い孤児院に、お菓子とおもちゃを持って行ったが、一人の少女がお菓子を食べようとせずに、じっと杉さんを見つめて「お父さんとお母さんがほしい」と言ったそうだ。その言葉に杉さんは涙を流し、その子と兄弟たちを養子にされた。それをきっかけに養子縁組した子供たちが今やベトナムに76人もいるそうだ。最初に養子にした子は36歳になったが、年を取ったから援助を中止するのではなく、杉氏は生きている限り彼らの心の父親で有り続けたいと言う。ベトナムの人づくりのためにも貢献している。ベトナムの経済を活性化するためにも、これからは日本との関係が深まることを予想して、1995年にハノイに日本語研修センターを作り、日本語と日本の文化の分かるベトナム人を育てた。その卒業生は5万人になると言う。ベトナム政府中枢部に入って活躍している人も多いそうだ。

杉さんはこのような活動をしていると、「売名行為だ」とか、「芸能人は金があるから」とかの中傷を受けることも有ったと言う。しかし、杉さんは「根が単純かも知れないが、“やろうか、どうしようか”と悩むことがないんですよ。思ったことはやるしかない。やると口にしたら絶対やる。火の玉のようにやる。あいまいなこと、中途半端なことが出来ない。」と。家計は火の車で、自分の身体を担保に銀行から金を借りたこともあるそうだ。あくまで自然体なのだ。

朝倉氏は、インタビューを終えて、「杉さんはなぜそこまでブレずに続けられるのか、その原動力は何なのか、その真髄をおしえてもらった。ブレない軸、決めた事を最後まで貫く勇気と覚悟、一貫性ある言動に、誠(“言”ったことを“成”すと書く)を追求する姿を見た気がする。杉さんのような方が増えていくことで日本は必ず変わっていく、そんな確信を得た」と、そしてお二人で、杉さんは日本の男性を鍛え、朝倉さんは女性の育成に今以上に力を入れていくことを宣言された(杉さんは「杉塾」で若い俳優の育成に力を入れておられ、朝倉さんは人材育成会社を経営されている)。杉さんに対する安倍総理からの感謝状に心からお祝い申し上げたい。

私のブログが転載されました!

「多数の著書も著し、メディアにも引っ張りだこの㈱新規開拓の朝倉千恵子社長。小学校教員を経て35歳(平成9年)で「地獄の特訓」で有名な㈱社員教育研修所に入社。初めての営業経験ながら3年でトップセールスに。平成13年に独立し、平成16年に現会社を起業。」で始まるブログを書いたのが2013.1.19(http://jasipa.jp/blog-entry/8399).題名は「ガマンならない男を副社長にした女性社長」。

突然22日にブログコメントが当の本人からあり、やり取りしているうちに、昨日「朝倉千恵子です。本日のブログにこの記事の事を引用掲載させて頂きました。ありがとうございます(http://ameblo.jp/shinkikaitaku-asakura/entry-11733930148.html)。」とのメッセージを受け取った。22日の最初のコメントは「冲中一郎様、朝倉千恵子です。偶然今回のブログ記事をみつけました。気付くのが遅くて申し訳ありません。感動しました。35歳の時に、営業職に転職した時のことを今一度思い出しました。 あの時のあの出逢いがあったからこそ今がある。その時にわからかなった真意が後になってわかることもありますね。 未熟な時は人を見る目がありません。仕事を通して磨かれ成長し真価を知る。今は本当に出逢いに感謝しています。あの日、あの時「あなた営業やりませんか?」と言われなかったら今日の私はありません。これからも慢心せず精進してまいります。ブログに掲載してくださり、心からお礼申し上げます。ありがとうございます。」

ただ単に、雑誌「PHP Business Review松下政経塾」の「朝倉千恵子の上司学―仕事ができて愛される<人>の育て方」の記事に注目し、紹介しただけなのに、こんなに喜んで頂けるとは想像だにしなかっただけに、その反響に自分自身驚くとともに、感動を覚えた。過去にも、講演でひっぱりだこの「博多の歴女―白駒妃登美さん」の記事を紹介(http://jasipa.jp/blog-entry/7270)したところ、ご本人から「はじめまして! 白駒 妃登美です。『致知』の記事を読んでくださり、さらにこのように素敵なブログ記事を書いてくださったんですね。ありがとうございます!! とても光栄で嬉しいです♪ 「成功したら幸せになるのではなく、幸せになれば成功する」…本当にその通りですね。この言葉の意味をかみしめながら、心をこめて丁寧に毎日を過ごしていきたいと思います。 素敵なご縁に心から感謝します。」のコメントが返ってきた。東北の市会議員や有名人からもコメントを頂いた。思わぬ反響に驚くことが多い。ブログが何らかのお役に立てれば、喜びはひとしおだ。

車いすだったら、日本に住みたくない(佐藤真海)

日経ビジネスの11月25日のインターネット記事(http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20131120/256090/?n_cid=nbpnbo_mlp&rt=nocnt)に表題の記事があった。副題は「五輪招致の顔、佐藤真海氏が語る7年後の東京」だ。佐藤さんは前稿のレーナ・マリアさんとは違って早稲田大学在学中に骨肉種を発症し、2002年から義足での生活を余儀なくされている。リハビリを兼ねて陸上競技を始め、驚くことに2004年にアテネパラリンピックに出場し、その後続いて北京、ロンドにも出場した。健常者から急に障害者になったショックは大きかったと思うが、義足生活2年でパラリンピック出場とは驚く。その精神が、五輪招致の際のプレゼンで、地元気仙沼を襲った東日本大震災を振り返り「大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではない」との言葉に表れていると思う。まさに前稿のレーナ・マリアさんの「悲しんだり、落ち込んだりしたことは一度もない」と自分に出来ることに邁進した姿勢と相通じるものがある(http://jasipa.jp/blog-entry/9193)。

その佐藤さんが10年間世界各国を回る中で、「世界との違い」に何度も愕然とし、東京でのパラリンピック開催に向けて「まだ」を何個つけても足りないくらいやることがあると言う。例えば、日本における障害者のスポーツトレーニング環境。「味の素ナショナルトレーニングセンター」はオリンピック選手専用、コーチや競技団体も健常者と障害者は別々。ロンドンでは健常者と障害者が同じフィールドで練習することも珍しくなく、リハビリ施設の横にはスタジアムや体育館が作られ、現役パラリンピック選手が指導する。障害者がスポーツに取り組むハードルは日本に比べて極めて低いと言う。

さらにはスポンサー企業の違いにも触れる。ロンドンでは大手企業がパラリンピックを精力的に盛り上げた。大手スーパーマーケットチェーンのセインズベリーは「1ミリオン・キッズ・チャレンジ」と題して数年前から子供にパラリンピック競技に関心を持ってもらうために100万人の子どもに競技を経験してもらうプログラムを実施した。そのキャンペーンのアンバサダーがあのベッカム選手だったそうだ。そのような活動の結果として、ロンドンでのパラリンピックは、朝の部も夜の部もいつも満員、スタジアムが期間中ずっと8万人の観客であふれかえるほど盛り上がったとのことだ。その頃には日本は、オリンピック選手の凱旋パレードが実施され、テレビでもパラリンピックはほんの一部しか放映されなかった。ロンドンでは朝から晩まで生中継で、パラリンピック盛り上げのための選手登場のCMも大きな評判になった。

ロンドンでの障害者に対する接し方も自然体で、日本のように障害者を特別扱いしない。電車に乗ろうとすれば「お手伝いを必要とされているお客さんがいます」と注目され、仰々しく専用エレベーターに乗せられる。佐藤さんは「障害者に対してと言う目線ではなく、全ての人に対しては思慮の視点を持つ」事を提言する。足が不自由なお年寄りもいる。すべての人に対して、子供も大人も自然体で「おもてなし」の心で接することが出来るような社会に日本がなって欲しいと。

「おもてなし」を日本古来の慣習と言うが、「現在の日本社会におもてなしの心や文化があると思うのは幻想」(日経夕刊11.9・青木保国立新美術館館長)と言う方もいる。7年後のオリンピック・パラリンピックを、日本をアピールできる場にするには、障害者・健常者、そして外国人の区別なく、同じ視線でおもてなしが出来るハード・ソフト面での環境つくりが大きな課題となる。