「海外旅行(南ドイツ編)」カテゴリーアーカイブ

南ドイツ旅行~その4~

日本を発ってから5日目。そろそろ疲れてきたが、ほとんどの方が一番期待しているノイシュバンシュタイン城観光の日だ。天気予報は曇りだったが、ミュンヘンから2時間30分ほど走って、シュバンガウに到着した頃は晴れ間がのぞく絶好の天気となった。シュバンガウはオーストリアと接している町で、アルプス山脈も見える絶景も楽しめ、期待を膨らませながらノンシュバインシュタイン城へ到着。

専用のバスに乗り換えて城まで上がる。バス待ちの人達でごった返していた。馬車で上がる人や歩いて上がる人もいる。場内に入る時間はチケットで指定され、30人程度で順番に入る(かなり待ち時間がある)。ガイドレシーバーは整っており日本語の案内もある。この城は、バイエルン国王ルートヴィッヒ2世によって19世紀に建てられた。ディズニーランドの“シンデレラの城”のモデルでもある。この城を作ったルートヴィッヒ2世は、18歳でバイエルン王国の王についたが、プロイセンとの戦いに敗れ多額の賠償金を請求されバイエルン王国は権威を失っていくことになる。と共に争いや政治と言う現実から逃避していき、中世騎士道への憧れを具現化するために惜しまず金を投入し、ノイシュバンシュタイン城を作ったそうだ(他にも2城作っている)。彼は、ワーグナーの熱心な支援者で、城内の各部屋の壁絵には、ワーグナーの歌劇を主題とした絵が描かれている。例えば、寝室には「トリスタンとイゾルデ」、居間には「ローエングリン」を描き、タンホイザー伝説にあるゼベルグの洞窟になぞらえて、洞窟の部屋もある。贅を尽くした部屋が並んでいる。ビザンチン、ゴシック、ロマネスクなど様々な様式を用い、彼の憧れとファンタジーを追求した建造物と言える。しかし、結末は国の財政を圧迫し、精神病を宣告され、ヴァルトボルク城に幽閉され、その翌日近くの湖で謎の死を遂げている。最初の5枚はいろんな角度から見たノイシュバンシュタイン城、次の4枚はノイシュバンシュタイン城から見た景色(下方に見える城がホーエンシュバンガウ城:24日のブログの写真http://jasipa.jp/blog-entry/9132が美しい)、最後の写真は城から降りる道での馬車と紅葉の光景だ。

次に向かったのが、“ヴィースの奇跡”で有名なヴィース教会(世界遺産)だ。18世紀ある修道院に「鞭打たれるキリスト」の像がもたらされたが、血を流す姿があまりにもリアルで悲惨だったため屋根裏に放置されていた。それをある農婦が見つけ、持ち帰って熱心に祈りを捧げていると、キリストの像が涙を流したそうだ。この噂が瞬く間に広がって、この像をおさめた礼拝堂に巡礼に訪れ、その数はどんどん増えたそうだ。そのため、修道院長が新しく建設することに意を決し、造られたのが今の教会だとのこと。この教会の内部は、外観からは想像もつかない華やかなフラスコ画で天井が飾られ、ドイツ・ロココ建築の最高傑作と言われている。正面の祭壇の下方に「鞭打たれるキリスト像」がある。後方にはパイプオルガン。

ヴィース教会“の観光を終え、再度一路ミュンヘンへ。

南ドイツ旅行~その3~

日本を発って4日目、シュトゥットガルトを朝8時に出て、ファンタスティック街道をひたすらヘッヒンゲンにあるホーエンツォレルン城を目指す。プロイセン帝国皇帝となったホーエンツォレルン家の故郷の城で、創建は11世紀。理由は不明だが15世紀に破壊されたが即再建。その後、この城の戦略的意味合いが薄れたため廃墟化が進む。今の姿に復元を始めたのがプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム四世(ホーエンツォレルン家出身)で1867年に完成。最初にeagle’s gateを入っていく。プロテスタントの礼拝堂を超えると中心地に入ってきた。中に入ると、大広間、辺境伯の間、家系樹の間、王女の青の部屋などがあり、宝物館にはフリードリッヒ大王の遺品や142個のダイヤモンドをちりばめた皇帝の冠が飾られている(写真不可)。礼拝堂としてカトリックとプロテスタント双方を備えているのは珍しい(ここだけは写真撮影可能)。高台になるため、見晴は抜群。スイス、フランスに隣接し、ドナウ河、ネッカー川などの源となっているシュヴァルツバルト(黒い森)も見渡せる。(最初の写真はバスの中からでぼやけてしまったが、山頂にあるのが城だ)

シュトゥットガルトへ戻り、そこからドイツが誇る新幹線ICEでミュンヘンへ向かう。2時間少々の工程だが、‘ドイツが誇る新幹線’に期待したが、速度は130km/H程度。(新幹線とミュンヘン駅)

ミュンヘンに到着したのが17時前。ミュンヘンの歴史は約850年と言われているが、その歴史的スポットでもあり、町の中心でもあるマリエン広場に向かう。そこに聳える1881年に落成した新ゴシック様式の新市庁舎が目に入る。夕日に照らされた尖塔の光景が素晴らしかった。残念ながら見られなかったが、この新市庁舎の中央の高さ85mの塔にある仕掛け時計グロッケンシュピール(Glockenspiel)が、新市庁舎の最も有名な見どころといわれる。ドイツ国内では最大、ヨーロッパ全体では5番目に大きい仕掛け時計で、毎日3回定時に約10分間、仕掛けが動き出す。人間とほぼ同じ大きさの32体の人形が、1568年のバイエルン大公ヴィルヘルム5世とロートリンゲン(ロレーヌ)の公女レナーテとの結婚式の様子を演じる。ヨハンシュトラウスの曲が聞こえてきた。広場でのコンサートだった。夕食に行ったお店は凄く混んでいたが、途中ミュンヘン・バイエルンのユニフォームを着た客が押し寄せてきた。当日サッカー試合があり、祝勝会のようだ。ミュンヘン・バイエルンの本拠地サッカー場の写真だ。

次の日の帰りだったが、ミュンヘンのニンフェンブルク城に寄った。バイエルン選帝侯、ウィッテルスバッハ家の夏の居所として17世紀に造られたバロック建築。全幅700メートルに及ぶ壮観な構造物だ。その前の広大な庭園(ベルサイユ宮殿の庭園を模した)と白鳥の浮かぶ運河の組み合わせも見事。当日は何かの催しがあったようで、優雅に着飾った人たちの行列に出くわした(我々に向かってポーズをとってくれた)。

後日、同行者の方から頂いた写真です。その広大さが分かります。

南ドイツ旅行~その2~

朝8時にフランクフルトを出て、1時間ほどでライン川クルーズの拠点リューデスハイムに着く。このあたりは、ライン川が東西に流れているため、南斜面の日当たりがよく、かつライン川面からの反射もあり、ドイツで最古、最大のぶどう産地となっている。早速1時間半のクルーズに出かける。日本や韓国、中国の団体観光客も一緒に乗船する。ちょっと肌寒いが、最上階に向かう。人で一杯だ。

川沿いに並んだ白い建物と山の斜面一杯のぶどう畑が日差しに映えて美しい。写真のクルーズ船は我々の船と同じ型だ。

ライン川に沿った山の中腹には古城が点在しています。10~13世紀頃、大司教の居城や、川を行き来する船から通行税を取るための城が建てられました。それぞれの城には歴史が秘められている。現在は廃墟だったり、レストラン、ホテルとして使われているようだ。最初に見えるのは“ネズミの塔”。川を行き交う船から通行税を取るための税関だが、残忍な大司教がこの塔で鼠に喰い殺されたという伝説からこのような名前がついたらしい。次に見えたのは“ラインシュタイン城”だ。この城も税関として建造され裁判所としても使われていたとか。今は博物館。次は“ライヒェンシュタイン城”。11世紀の建物で、一時は船を襲う盗賊の根城になっていたそうで、今はホテルらしい。すべてを網羅するのが難しい(写真と城名を対応付けるのが難しい?)ほど古城が多い。次の写真が“ハイムブルク城”、次が“フェルステンベルク城”。フェルステンベルク城は1219年に建造されたが、30年戦争でスペイン軍、さらにはスウェーデン軍に占領され、1689年頃にはプフォルツ継承戦争でフランス軍により破壊され、今は廃墟だとか。戦争の影響の大きさに驚く。次は“シュターレック城”。この城はホーエンシュタウヘン家の居城だったが、同じように占領・破壊されたが1925年頃に修復され今はユースホステルとか。次が“ブファルツ城”。後ろに見えるのは“グーテンフェルス城”。ブファルツ城は、徴税のため1326年に建立。水流の抵抗を少なくするために船先のように尖らせているのが面白い。船内にローレライの唄が流れ始めた。かの有名なローレライだ。「どこだ。どこだ」と皆さん探すが、見当がつかない。それも当たり前で、何ともない普通の崖山だった。世界3大がっかりの一つとも言われているそうだ。下船前にまた一つ古城が。”猫城“だ。”鼠城“も対岸にあったそうだが見落とした。これでライン川クルーズは終わり、”古城街道の町“ハイデルベルグに向かった。

世界的に有名なハイデルベルク大学の設立は1386年。600年以上の時を経た現在でも世界トップレベルの大学で、多くのノーベル賞受賞者を輩出している。校風はいたって自由で、学生自治の精神が浸透。かつて、軽犯罪を犯した学生は大学が管理する学生牢へ投獄された(写真は学生牢の看板)。

大学の周辺を通って、ハイデルベルグ城へ。ケーブルカーで登った山上にある。建立時期は不明だが、破壊の歴史は明確で、17世紀の30年戦争(宗教)、フランスルイ14世とのプフォルツ戦争(王位継承)で徹底的に破壊された。その後、バイエルン選帝侯カール・テオドールなどが修復を試みるが途中で断念し、今の廃墟状態に至る城である。妃の誕生日祝いに一夜で作ったエリザベス門(裏に回ると何の造作もない)、代々の選帝侯の居住館だったフリードリヒ館、正面の外観しか残っていないオットー・ハインリッヒ館(旧約聖書の偉人などの像があり、ドイツルネサンスの最高傑作と言われている)がある。フリードリヒ館の裏側にあるテラスでは、眼下に、旧市街の赤い屋根の町並み、ネッカー川の流れ、アルテ橋などが臨める。1751年カール・テオドールが造ったワインの大樽が残っている。直径7m、長さ8.5mあり、222,000リットルの容量で、木製の樽としては世界一のものだそうだ。

ケーブルカーで下り、テラスから見たアルテ橋(正式名・カール・テオド-ル橋)に向かう。橋にある門は、昔の古城の一部で、防禦の為の意味もあると言う。像はこの橋を木造から石造に変えたカール・テオドール。橋から見あげるハイデルルブルク城も絵葉書になる光景だ。

ハイデルブルクから古城街道を通って、本日の夕食、宿泊のシュトゥットガルトに向かう。