朝8時にフランクフルトを出て、1時間ほどでライン川クルーズの拠点リューデスハイムに着く。このあたりは、ライン川が東西に流れているため、南斜面の日当たりがよく、かつライン川面からの反射もあり、ドイツで最古、最大のぶどう産地となっている。早速1時間半のクルーズに出かける。日本や韓国、中国の団体観光客も一緒に乗船する。ちょっと肌寒いが、最上階に向かう。人で一杯だ。
川沿いに並んだ白い建物と山の斜面一杯のぶどう畑が日差しに映えて美しい。写真のクルーズ船は我々の船と同じ型だ。
ライン川に沿った山の中腹には古城が点在しています。10~13世紀頃、大司教の居城や、川を行き来する船から通行税を取るための城が建てられました。それぞれの城には歴史が秘められている。現在は廃墟だったり、レストラン、ホテルとして使われているようだ。最初に見えるのは“ネズミの塔”。川を行き交う船から通行税を取るための税関だが、残忍な大司教がこの塔で鼠に喰い殺されたという伝説からこのような名前がついたらしい。次に見えたのは“ラインシュタイン城”だ。この城も税関として建造され裁判所としても使われていたとか。今は博物館。次は“ライヒェンシュタイン城”。11世紀の建物で、一時は船を襲う盗賊の根城になっていたそうで、今はホテルらしい。すべてを網羅するのが難しい(写真と城名を対応付けるのが難しい?)ほど古城が多い。次の写真が“ハイムブルク城”、次が“フェルステンベルク城”。フェルステンベルク城は1219年に建造されたが、30年戦争でスペイン軍、さらにはスウェーデン軍に占領され、1689年頃にはプフォルツ継承戦争でフランス軍により破壊され、今は廃墟だとか。戦争の影響の大きさに驚く。次は“シュターレック城”。この城はホーエンシュタウヘン家の居城だったが、同じように占領・破壊されたが1925年頃に修復され今はユースホステルとか。次が“ブファルツ城”。後ろに見えるのは“グーテンフェルス城”。ブファルツ城は、徴税のため1326年に建立。水流の抵抗を少なくするために船先のように尖らせているのが面白い。船内にローレライの唄が流れ始めた。かの有名なローレライだ。「どこだ。どこだ」と皆さん探すが、見当がつかない。それも当たり前で、何ともない普通の崖山だった。世界3大がっかりの一つとも言われているそうだ。下船前にまた一つ古城が。”猫城“だ。”鼠城“も対岸にあったそうだが見落とした。これでライン川クルーズは終わり、”古城街道の町“ハイデルベルグに向かった。
世界的に有名なハイデルベルク大学の設立は1386年。600年以上の時を経た現在でも世界トップレベルの大学で、多くのノーベル賞受賞者を輩出している。校風はいたって自由で、学生自治の精神が浸透。かつて、軽犯罪を犯した学生は大学が管理する学生牢へ投獄された(写真は学生牢の看板)。
大学の周辺を通って、ハイデルベルグ城へ。ケーブルカーで登った山上にある。建立時期は不明だが、破壊の歴史は明確で、17世紀の30年戦争(宗教)、フランスルイ14世とのプフォルツ戦争(王位継承)で徹底的に破壊された。その後、バイエルン選帝侯カール・テオドールなどが修復を試みるが途中で断念し、今の廃墟状態に至る城である。妃の誕生日祝いに一夜で作ったエリザベス門(裏に回ると何の造作もない)、代々の選帝侯の居住館だったフリードリヒ館、正面の外観しか残っていないオットー・ハインリッヒ館(旧約聖書の偉人などの像があり、ドイツルネサンスの最高傑作と言われている)がある。フリードリヒ館の裏側にあるテラスでは、眼下に、旧市街の赤い屋根の町並み、ネッカー川の流れ、アルテ橋などが臨める。1751年カール・テオドールが造ったワインの大樽が残っている。直径7m、長さ8.5mあり、222,000リットルの容量で、木製の樽としては世界一のものだそうだ。
ケーブルカーで下り、テラスから見たアルテ橋(正式名・カール・テオド-ル橋)に向かう。橋にある門は、昔の古城の一部で、防禦の為の意味もあると言う。像はこの橋を木造から石造に変えたカール・テオドール。橋から見あげるハイデルルブルク城も絵葉書になる光景だ。
ハイデルブルクから古城街道を通って、本日の夕食、宿泊のシュトゥットガルトに向かう。