「海外旅行(北欧2都&ロシア)」カテゴリーアーカイブ

北欧2都&ロシア旅行記~フィンランド・ヘルシンキ編~

今日は午前中ヘルシンキ観光を行い、午後列車でサンクトペテルブルグに移動する。

先史時代(〜1155年)、スウェーデン時代(1155年〜1809年)、ロシアによる大公国(フィンランド大公国)時代(1809年〜1917年)を経て、フォンランド王国として1917年に独立し、今年独立100周年のフィンランドの首都がヘルシンキだ。1812年ロシア・ロマノフ王朝アレクサンドル1世がスウェーデンの影響を弱くするためにサンクトペテルブルグに近いヘルシンキを首都とした。
まずは、フィンランドが生んだもっとも尊敬され、もっとも有名な作曲家シベリウスのモニュメントがあるシベリウス公園へ。海を見下ろす公園の中にシベリウスの顔面の彫刻と、森の木をイメージするパイプの集まりのようなモニュメントが岩盤の上に建てられている。何の変哲もない公園だが、このモニュメントを見るため多くの人が訪れるそうだ。

次に行ったのが、テンペリアウキオ教会。1960年代に岩盤をくり抜いて地下空間に埋もれる形で実現した近代建築の教会だ。入り口を見ると盛り上がった崖の様子がよくわかる。中に入ると岩肌がむき出しになった空間に天井のスリットから採光し、祭壇とともにコンサート用にも使われる、なんとも不思議な雰囲気を醸し出しているルター派教会。

エテラ港(ヘルシンキ港)は、タリン、ストックホルム、サンクトペテルブルグなどに向かう豪華客船が行きかう。周辺には市庁舎、大統領官邸(写真左側建物の右端)、北欧最大のロシア正教教会ウスペンスキー協会が見える。1899年設立のオールド・マーケットホールや、テント市場も賑わっている。観覧車には、VIP籠とサウナ籠があるとか(色の違う籠)。

エテラ港から歩いて数分で、ヘルシンキのシンボル的存在である大聖堂に着く。19世紀半ばにドイツの建築家エンゲルが設計した御影石が敷き詰められた元老院広場を囲む、大聖堂、ヘルシンキ大学、国会議事堂が建設され、今では市民の憩いの場としてヘルシンキのシンボル的場所となっている。中央にはロシア・ロマノフ王朝アレクサンドル2世像がある。


大聖堂内は比較的シンプルで、中央の祭壇画はロシア皇帝ニコライ1世により寄贈されたキリストの埋葬を題材とした絵が飾られている。後方にはパイプオルガンが。ルター派教会のためマルチン・ルターなどの像もある。


フィンランドは、”ムーミン“を生んだ国(トーベ・ヤンソン)。人気のムーミングッズやマリメッコなどの北欧ブランドが土産物店では揃っている。フィンランドの郷土料理”にしんのフライ“を食した後、ヘルシンキ中央駅から特急列車「アレグロ」でロシア・サンクトペテルブルグに向かう。”アレグロ“はそれまで5~6時間かかったのを3.5時間に短縮するために2010年に開通した高速新線で、2011年にはプーチン大統領も開通記念で乗車したそうだ。列車がロシアに入った途端、入国審査官が厳しい顔で乗り込んできて、荷物などの検閲もしていた。

明日はエルミタージュ美術館見学だ。

北欧2都&ロシア旅行~エストニア タリン編~

初日は、朝早く7時30分のフェリーでヘルシンキからエストニアの首都タリンに向かう。2時間強の行程だが、定員2040名9階建ての大型フェリーで心地よい船旅だった(線所から眺めた朝日、エストニアの国旗がはためく船尾)。

エストニアの地は、ドイツ、デンマークとロシア、スカンディナヴィアを結ぶ軍事戦略地点として大いに着目されたため、たびたび各国の侵略、占領を受けた歴史を持つ。1918年にやっと独立を達成したが、その後もナチス・ドイツやロシアの侵攻を受け1991年に再度独立を果たした。1219年デンマークの侵攻を受けた際、デンマーク王によりトーンペア城が築かれた。南西の塔は「のっぽのヘルマン塔」と呼ばれ、高さは46メートルもあります。“タリン”はエストニア語で「デンマークの城」との意で、トーンペア城がその名の由来となっている。世界遺産となっている旧市街は、13世紀から14世紀にかけて作られた強固な城壁に囲まれている。トーンペア城の本丸(ピンクの建物)は今は国家議事堂となっている。

国会議事堂の前には、ロシア正教の宗教建築アレクサンドル・ネフスキー大聖堂がある。1905年にロシア・ロマノフ王朝17代アレクサンドルⅢ世の命によってエストニアの民族運動を抑えるために建てられた。歴史的にエストニアの人々にはあまり歓迎されていないようで、一時は取壊しの計画すらあったそうだ、それでもエストニアに住むロシア正教の信者(国民の25%)にとっては今も大切な教会となっている。バルチック艦隊の出航地で、エストニア人の戦死者を追悼するプレートも飾られている。すぐ近くにタリン最古の教会「聖マリア教会」がある。こちらはルター派の教会の中心的存在となっている。キリスト系の聖ニコラス教会もある。いろんな教会が共存するのが、侵攻・侵略の歴史を物語る。

城壁に囲まれた旧市街に足を踏み入れれば、まるで絵本の世界に迷い込んだかのよう。中世の建物がそのまま残る歴史地区はトーンペア地区も含めてユネスコ世界遺産としても登録されている。昔ギルトが住んで今はアーティストのアトリエなどが集まる聖カタリーナ通りや、「セーターの壁」と呼ばれるおばあちゃん達が手編みをしながらセーターや帽子を売っているミューリバヘ通りなどもある(城壁の壁に赤い屋根が突き出ている)。

途中にある2か所の展望台から背の高い聖オラフ教会、そして赤屋根の可愛らしい街並み、そしてバルト海が一望できる。

タリン歴史地区の中心となるのが、タリン旧市庁舎の建つラエコヤ広場 だ。広場に通じる通りには店頭に面白い飾り物があった。その一角に1422年来のヨーロッパ最古の薬局がある。中に入ると普通の薬を販売していますが、奥の部屋に行くと「焼き蜂」や「ユニコーンの角の粉末」など、中世の怪しげな薬が展示されている。タリン独特のお菓子(薬?)「マジパン」を売り出したのもこの薬局。

1864年創業のタリン最古のカフェ「マイアスモック」ではマジパンをベースにした可愛いオブジェが人気で観光客を呼び寄せている(材料の72%はアーモンド、残りの28%は秘密だという薬)。

昼食も含めて6~7時間歩いたが、一見する価値のある街だ。16時30分のフェリーでヘルシンキへ戻り宿泊。

北欧2都&ロシア旅行記~序章~

9月末から10月初めにかけて、フィンランド(ヘルシンキ)、エストニア(タリン)、サンクトペテルブルグ&モスクワ(ロシア)を訪問した。ヘルシンキ、タリン、サンクトペテルルグは、フィンランド湾に面した都市で歴史的につながりが深い。日本航空直行便でヘルシンキまで行き(10時間弱)、翌日、85km先のエストニアの首都タリンまでフェリーでの日帰りを楽しんだ。初めて知ったがタリンは、日露戦争で戦ったバルチック艦隊が日本に向けて出港した港だそうだ。17世紀前半まで世界で最も高い建造物だった聖オラフ教会を中心としたかわいらしい街並みが有名だ。


翌日はヘルシンキを半日観光し、午後、特急列車「アレグロ」で国境超えの列車の旅でサンクトペテルブルグへ。ヘルシンキは19世紀初めにロシアのアレクサンドル1世がスウェーデンの影響を弱くするためにサンクトペテルブルグに近いヘルシンキを首都とした。その後、19世紀半ばにドイツの建築家エンゲルが設計した御影石が敷き詰められた元老院広場を囲む、大聖堂、ヘルシンキ大学、国会議事堂が建設され、今では市民の憩いの場としてヘルシンキのシンボル的場所となっている。


サンクトペテルブルグはロシア帝国時代(1721-1917)の首都で、ソビエト連邦時代(1924 91年)はレニングラードと呼ばれた街だ。まさにロマノフ朝時代(1613年 – 1917年)のピョートル大帝(1682年 – 1725年)によって1703年にヨーロッパ風に築かれた人工都市だ。エルミタージュ美術館をはじめ、周辺には“琥珀の間”で有名なエカテリーナ宮殿、噴水で有名なピョートル大帝夏の宮殿などのある見所一杯のネヴァ川河口の美しい街だ。


最後は、ロシアの首都モスクワだ。サンクトペテルブルグから飛行機で1時間強で着く。交通渋滞が激しく、政府の要人がクレムリンなどに行く際、道路を封鎖することもしばしばで渋滞をより激しくしているそうだ。モスクワの観光スポットはやはり政治の中心クレムリンと赤い広場だ。


今が紅葉のピークで、行く先々で黄葉主体の少し赤みがかった紅葉が見られた。ヘルシンキでホテルの前のビルが真っ赤な蔦で覆われているのが特に印象的だった。


6泊8日の旅だったが、懸念していた食事も期待以上に良く、雨にも降られず気持ちよく廻れた旅だった。エルミタージュ美術館が目的だったが、行く先々見所が多く、飽きずに楽しめた旅でもあった。続いて、今回の旅行を日ごとに追いながら、報告することにしたい。