「海外旅行(フランス)」カテゴリーアーカイブ

フランス旅行~その5~オルセー美術館

ベルサイユ訪問後パリに向かい、19世紀美術専門の“オルセー美術館”を訪れる。1900年のパリ万博時に誕生したオルセー駅の駅舎を整備し美術館として開館した。印象派を中心に19世紀中ごろから20世紀初頭までの作品を所蔵している(明日訪問する“ルーブル美術館は18世紀以前の作品を所蔵)。オルセー美術館名物のオルセー駅名残りの大時計(1900年パリ万博時誕生)が有名だ。構内には駅舎の模型があった。入場口近くの彫刻の広場も駅舎を感じさせる光景だ。

マネ、モネ、ルノワール、ドガなど、日本人にも馴染み深い作品が多い。まずマネの作品を紹介する。「草上のピクニック」と「オランピア」。裸婦は女神になぞらえるのが常識の時に普通の裸婦、そして娼婦と、最初は世間から受け入れられなかったそうだ。

次にモネの作品。1日目に訪問したジベルニーの「睡蓮の池」と「庭」、そして妻と息子を描いた「ひなげし畑」。「傘をさす女」の右向きと左向きの絵も有名だ。

ルノアールの「日の当たる女の上半身」、モンマルトルで写生したとされる「ムーラン・ド・ウ・ギャレット」、庶民のささやかな幸せを描いた「ブランコ」、しゃれたドレスで華奢な女性の「都会のダンス」とちょっと太り気味の女性の「田舎のダンス」、対比が面白い。

ドガの「青い踊り子たち」、セザンヌの「りんご」、ミレーの「晩鐘」、カバネルの「ヴィーナスの誕生」、壺から流れる透きとおった水が印象的なアングルの「泉」など。

彫刻では、ブールデルの「弓を引くヘラクレス」、オペラ座の玄関アーチにもあるかカルポー作の有名な「舞踊」(ダンス)、とオルセー美術館名物のポンポン作の「白くま君」など。

次に紹介する“ルーブル美術館でもそうだが、有名な美術作品を目の当たりにすると、作者の見事な筆使いや息遣いを直接肌で感じることが出来、感動する。

フランス旅行~その4~ベルサイユ宮殿

今日は、パリ南西部のベルサイユ宮殿訪問。ルイ14世がその権力、支配力を誇示するために日本の江戸時代前半にあたる16611710年に構築した、庭園も含めると敷地の総面積約800万㎡という広大な宮殿だ。エントランスでは多くの人が入場を待っている。マリーアントワネットが、ルイ15世の孫で後のルイ16世となる王太子のルイ・オーギュストと結婚式を挙げたのもこの宮殿の“礼拝堂”だ。婚礼舞踏会を開いたのが、宮殿で最も有名な”鏡の間“。左が367枚の鏡の壁で、天井画もルイ14世が直接統治する絶対王政をテーマにしたものらしく、すばらしく豪華絢爛そのもの。この部屋で第一次世界大戦時、帝政ドイツ帝国の終焉を告げる「ベルサイユ条約」を締結したのがこの部屋だ(1919年)。右側にはグランカナル(大運河)が窓を通して正面に見える。

 

宮殿には鏡の間を含めて17個ほどの部屋がある。どれも豪華な部屋ばかりだが、その一部を紹介する。礼拝堂の隣の“ヘラクレスの間”は、ヴェネチア共和国から送られたヴェロネーゼ作『パリサイ人シモンの家の宴』(壁の絵)を飾るために作られた。天井画はフランソワ・ルモワアンヌ『ヘラクレスの神格化』空の青とヘラクレスの姿が美しい画だ。次は“ヴィーナスの間”。この部屋は正殿で夜会が行われる時、軽食をとる部屋として使われたそうだ。天井画はこの部屋の名前の由来になった『神々と超大国を従わせるヴィーナス』の絵が描かれている。次の写真はローマ皇帝姿のルイ14世。

次が“マルスの間”。衛兵の詰め所だが、ルイ16世のお妃マリー・レクザンスカの肖像画がある。“アポロンの間”には玉座が置かれ、接見にも利用された。リゴー作のルイ14世の肖像画があり、天井にはシャルル・ド・ラフォス作『太陽の戦車』。次は“戦争の間”、これはオランダ戦争の勝利をテーマに作成され、その時のルイ14世の像がある。この像は、漫画「ベルサイユのばら」で出てきたオスカルの肖像画のモデルとなったことでも有名だとか。

鏡の間を経て、“閣議の部屋”に行く。次が“王の寝室”。王の起床の際、毎日1時間半の儀式が行われるとの事。本日着る服の選定など、配下の貴族が執り行う由。大変なことだ。“王の寝室の横に”貴族の間“や”衛兵の詰め所“がある。

「朕は国家なり」、ルイ14世が世界に覇を唱えるためにフランスが傾くほどの財を投入して作らせた宮殿で、今回見学できなかったが庭園もすばらしいそうだ。東京ドーム220個分以上あるという(当時はその10倍もあったというから驚く)。ルイ14世の狙い通り、ベルサイユ宮殿の影響を受けた宮殿は、ドイツ(サンスーシ宮殿など)、オーストリア(シェーンブルン宮殿)、スウェーデン(ドロットニングホルム宮殿)、ロシア(ペテルゴフ宮殿など)など世界に及ぶ。次は“オルセー美術館”だ。

フランス旅行~その3~ロワール&シャルトル

前日トゥールに宿泊したのは、すぐ近くのロワール地方に散在する古城を巡るためだ。パリの南西、ロワール河流域には古城を含む建築遺産が数多くあり、2000年に世界遺産に登録されている。中世の城塞、威風堂々たる大聖堂などの建築遺産は、歴史家が後に「フランス式ライフスタイル」と呼ぶものまで生み出したそうだ。発端にあるのはイギリスとの百年戦争での敗北で、141510月、アザンクールの戦いにより当時のフランス王シャルル7世が英国軍よりパリを追われ、既に堅固な要塞が建造されていたロワールのほとり、ロレーヌ地方に身の安全を求めたこと。その後、多くの王もこの地に居を構え“フランスの庭園”とも言われるようになった。レオナルド・ダヴィンチもなくなる前の3年間、クロ・リュセ城で過ごしたそうだ。

まずは、ロワール川を見下ろす“アンボワーズ城”へ。対岸からの光景はすばらしい。もとは中世の城砦で、シャルル8世とフランソワ1世(15世紀末から16世紀初頭)の時代に、王家の居城となった。多くのヨーロッパの知識人や芸術家が、フランス王の招きでアンボワーズの宮廷に滞在したそうで、レオナルド・ダヴィンチもそうした人々の一人だった。対岸の公園にダビンチの像があった。

次に向かったのは〝シュノンソー城“。王家の領地であり、その後王の住居となったシュノンソー城は、シェール川をまたぐその独特のスタイルで、ヴェルサイユ宮殿に次いで、フランスでもっとも観光客が訪れる城だそうだ。フランス王アンリ2世(在位15471559)が愛妾ディアヌ・ド・ポワティエに与えたこの城を、王妃だったカトリーヌ・ド・メディシスが、王の死後に取り返した城だ。プラタナスの並木の向こうに、まずはカトリーヌ庭園とディアヌ庭園という2つの庭園がある。二人の権勢を表すようにディアヌ庭園の方が素晴らしい。城内には、いろんな部屋がある。女帝ディアヌ、カトリーヌの部屋、5人の王妃の部屋、ルイ14世のサロン、護衛兵の間、その奥には礼拝室、橋の上の回廊(ギャラリー)など。飾りも可愛い。

次に行ったのは、自由奔放に流れる王家の河のほとり、シカやイノシシが遊ぶ森林地方の大自然の中(800ヘクタール)に聳え立つ“シャンボール城”だ。ロワール渓谷の入り口に位置する。フランス・ルネッサンス様式の城の中でも最も大きく最も有名な城だ。16世紀フランソア1世の命で建立、その後ルイ14世も滞在した。

ロワールからパリの方向に戻り、パリの南西87kmにあるシャルトルの大聖堂に向かう。フランスで最も美しいゴシック建築、世界で最も美しいステンドグラスとも言われる。写真の右の塔が12世紀のロマネスク様式(先頭の高さ105m)、左が16世紀のゴシック様式(113m)。内部のステンドグラスは全部で172枚とか。確かに素晴らしい。特に青色が“シャルトル・ブルー”と呼ばれる。ステンドグラスは12世紀のものというが、その後の技術の進歩にも拘らず、この青はいまだ出せないといわれているそうだ。