最近お母さんの子どもへの虐待問題が新聞を賑わしている。8月末に次男に女の子が生まれたが、今回初めて子供を産んだ直後の次男の嫁の話を聞き、女性の生む苦しみの実態を垣間見ることができた(自分の二人の息子が生れた時は、既に家内が退院してから息子と対面するという仕事一筋の夫でした。すみません!)。こんな苦しみの結果生まれた子供を虐待するなんて、どうなっているのか正直分からない。が、平成6年にIBMを退職して幼児(0~12歳)対象の徳育教室(現・コペル)を設立している大坪信之社長は「自分が会った何千名のお母さんの中で育児ノイローゼにならなかった人は一人もいない」と言う。他の哺乳類と違って人間は未成熟の状態で生まれ、母だけではなく、祖父、祖母、近所のおじさん、おばさんなど集団で育てることで上手くいっていたのが、核家族化で母子一対一での育児が一般的になり母に負担がかかっているせいだと推測する。だからコペルがあるとの主張でもあるが、それをさておいても、お母さんの言動が子供に与える影響が大きくなり、どんな精神状態で接するか、どんな言葉かけをするかで、子供の人格形成が決まるのは真実だと思う。大坪氏はお母さん向けに「コペル便り」を毎月発行し、偉人を育てた母を紹介しているそうだ。(「致知2013.10月号」より)
野口英世
2歳の時、囲炉裏に倒れこみ左手の指が癒着し使えなくなる。母は目を離したことを悔やみつつ、「それでも命は助かった。ありがたい!」と感謝し、この子は農家を継ぐのはダメで、学者になるしか道はないと思い「お前はきっと学者になれる」と言い続けた。そして英世を食わせるために、男でも嫌う仕事なども含めて猛烈に働いた。「どれだけ働いても、愉快な心でいれば決して体を害することはない」と、いつも「ありがたい」を口癖にした。英世は、学者になって渡米した時のあだ名が「トゥエンティフォー・マン」。1日24時間研究に没頭。「母があれほど働いているのに私にこれくらいできなくてどうしますか」と。母が「こんな手になってしまってもうダメだ」と言っていたら、野口英世はどうなっていたか?
アンデルセン
代表的作品「マッチ売りの少女」は経済的に恵まれない少女時代の母をモデルにしたもの。病気がちの靴職人と結婚して生まれたのがアンデルセン。母は息子に天賦の才能があると信じて疑わず事あるごとに「あなたには才能がある。しかも並はずれた才能が」と言い続けたそうだ。多難な人生を歩む中、最後はデンマークの国葬で葬られています。「人はどんな高いところでも登ることが出来る。しかし、それには決意と自信がなければならない」、その自信は母が語り続けた言葉によって作られたもの。
福沢諭吉
中津藩の下級武士の家の5人兄弟の末っ子として生を受けた。2歳の時に父を亡くした福沢家の生活は苦しく、母はいつも働いていた。母は、亡き父の生き方(勉強家、曲がったことの嫌いな)を常々言い聞かしたり、人としてのあるべき姿を自ら範を示しながら優しく諭したりしていた。そんな母に応えたいとの気持ちから大坂適塾で勉学に打ち込み、慶応義塾を作り、「学問のすすめ」を著すまでになった。
エジソン
質問攻めで先生を辟易させた学校をやめさせ、母自ら彼の質問を受け入れ、徹底的に好奇心を育んでいった。
「10億の人に10億の母あらむも、我が母にまさる母ありなむや」、そんな母になるために、子供のあるがままを愛し、自尊感情を育む言葉をたくさん懸けて挙げてほしいと大坪氏は提言する。お母さん、頑張って!!!